外国人の通称名はワガママか ― 2006/09/09
>帰化はしないが、通称名は使用する。 >これこそ、外国人のワガママ
外国人が通称名を使うのは、様々な場合があります。
例えば、日本人男性と結婚した外国人女性は、すぐには帰化できないので、夫の姓を通称名で使うことが多いものです。
本名が日本文化に馴染まないことがあります。日本語では卑猥語そのものであったりすると、日本で生活すると支障になりますので、日本風でなくても、通称名を使うことになるでしょう。
韓国の女性にしばしば見られますが、名前に「男」がある場合があります。例えば「金 淑男」(仮名―以下同じ)というような名前ですと、日本では男性と誤解されますので、「金 淑南」という通称名を使う、という話を聞いたことがあります。
在日で親が日本風の名前で出生届を出すことが少なくありません。この場合、例えば本名が「金 千代子」、通称名が「金本 千代子」というようになります。この方が大きくなって民族意識に目覚めると、名前について悩み、通称名を「金 淑蓮」と変更するようなことがあります。
はたして「ワガママ」と言えるのかどうか、疑問です。それぞれの事情があるのですから、決めつけることは、いかがなものでしょうか。
本名を隠し通そうとする行為だけが「ワガママ」と考えます。
コメント
_ ようちゃん ― 2006/09/10 04:37
_ 辻本 ― 2006/09/10 09:16
法律上の名前が本名だとする意見が通説のようです。
日本は昭和15年の創氏改名は法的に有効としていますから、この時に日本名にした在日が、そのまま使い続けていれば、本名です。
この人の運転免許証では、名前は全くの日本名、国籍欄に「韓国」とありました。
現在の外国人登録では、通名を一つ設けることが出来ます。
そうすると、この名前も法律上の名前となるから、銀行の口座開設、不動産登記も可能となります。
日本名は本名ではなく通名だ、と一概には言えないものです。
日本にいるから日本名、本国では本国名で、両方とも本名だと考える人が結構多いです。
_ ようちゃん ― 2006/09/11 01:31
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やっぱりお得なのですねー!
隠し口座が銀行に作れる、1人で堂々と不動産売買で複数の住所を2つの正式な名前を使い分けると転売と売り抜けに利用すると手が早い資金調達になるし脱税も為替差を利用して国外の自分で作った会社名義の銀行口座を操作して送金したりも簡単で錬金術としては都合が良いシステムです。成る程、在日で2つの名前を正式に使える(銀行と不動産)がこの国の資産形成では安全で一番信用される根幹なのだから有利ですねー。
_ 辻本 ― 2006/09/11 05:00
品がありませんので、このような投稿を繰り返されると削除します。
_ コペテン ― 2006/09/11 23:48
そういう人間から見ると、多分、これは自分だけではなく、関東の若い世代の素朴な感情だとは思うのですが、国籍や本名(法律的な名前とします)を隠そうとする人間は、正直、うさん臭く感じるのです(若干ですが)。
在日の中国系の人たちが堂々と本名を出しているのに、なぜか在日の朝鮮・韓国系の人たちは本名を隠しているのはなぜなのか?と。
国籍や本名を隠して生きようとする人間を、人は、心の底から尊敬できるものでしょうか?何かを隠そうとする人間にうさん臭さを人は感じるものです。
国籍や本名を隠して生きることが逆に差別感情につながることは確実にあると思います。負の連鎖ですね。
別に通名を止めろと言うつもりはありません。それは在日の認められた自由です。
ただ、彼らが本当に心の底からの尊敬と敬意を得たいと考えるのなら、自分自身の生き方によって、行動によって尊敬を勝ち取るべきでしょう。そして、国籍と本名を隠していては、差別から脱するには逆効果だと知るべきではないでしょうか?
それは厳しい生き方かもしれませんが、アメリカでの黒人や日系人などはそうして生きてきたのですから、不可能ではないはずです。
_ 辻本 ― 2006/09/12 03:56
これは初耳です。在日差別は関東以外の地域の特殊現象だ、ということですね。
>自分は関東の人間ですので、元々、在日に対して偏見などはかけらもありませんでした。>
関東の人間であるが故に偏見を持っていない、という理由が理解できません。関東以外の人たちに対する偏見と受け取られます。
>そういう人間から見ると、多分、これは自分だけではなく、関東の若い世代の素朴な感情だとは思うのですが、国籍や本名(法律的な名前とします)を隠そうとする人間は、正直、うさん臭く感じるのです>
差別感情を持たなかったとする方が差別感情を持つに至った、ということですね。具体的に在日とどのような付き合いをされたのでしょうか。
>国籍や本名を隠して生きることが逆に差別感情につながることは確実にあると思います。負の連鎖ですね。
これは逆もあり得ます。国籍や本名を明らかにしているがために、差別感情が増幅されることがあります。近年の外国人犯罪は、国籍や名前を隠していない人たちによるものが多いです。このことによって、その国の人たち全体の印象が悪くなっています。
>アメリカでの黒人や日系人などはそうして生きてきたのですから、不可能ではないはずです。
アメリカの黒人は差別から脱しているとお考えのようです。詳しく論じていただけませんか。
_ コペテン ― 2006/09/12 13:33
そうは言っていません。
>関東の人間であるが故に偏見を持っていない、という理由が理解できません。関東以外の人たちに対する偏見と受け取られます。
比較的、関東以北と比べると関西から西、特に関西は差別感情が厳しいと思いますが。
>差別感情を持たなかったとする方が差別感情を持つに至った、ということですね。具体的に在日とどのような付き合いをされたのでしょうか。
大学時代のサークルの先輩に在日の方がおりました。大学は関東です。もちろん皆、偏見も差別もなく仲良くやっており、差別感情を持つに至ることはありません。ただ関西出身のある先輩だけは、差別的な感情を持っていましたね。また、千葉の実家の近所に韓国人労働者が住んでいる家がありました。特に親しくもしていませんが、差別もなかったですよ。
>これは逆もあり得ます。国籍や本名を明らかにしているがために、差別感情が増幅されることがあります。近年の外国人犯罪は、国籍や名前を隠していない人たちによるものが多いです。このことによって、その国の人たち全体の印象が悪くなっています。
それは認めます。ただ、犯罪者が国籍や名前を隠していたとして、もしそれが暴かれたら、もっと感情が悪化しませんか?特にそれが凶悪犯罪の場合。
しかし、どっちにしろ、外国人犯罪によって、日本人(に限らず受け入れ国の国民)が悪い感情を抱くのは避けられないと思います。ですから、本当に差別から逃れたいのなら彼らが行動によって(つまり犯罪や暴力など、負の感情を持たれ易い行動を避け、模範的市民としての行動を取るなりして)、尊敬や敬意を勝ち取るしかない、と言っているのです。
人間というのは、正直ですから、いくら差別が悪いとわかっていても、そして表面上は差別が無くなったとしても、外国人が変なことをしている限り、心の底では感情的なものが残るでしょう。
>アメリカの黒人は差別から脱しているとお考えのようです。詳しく論じていただけませんか。
差別から脱してるとは言ってませんが。まあ、しかし、黒人も日系人も国籍はアメリカ人ですから、参考には不適当ですね。しかし、日系人は努力によってそれ相応の地位を獲得しているようですが。ブラジルでも日系人は信頼できると思われているようです。
辻本先生、ちょっと感情的になっていませんか?自分の意見は、常識から逸脱しているものとは思えませんが。
人間は他人からの本当の尊敬や敬意を得たいとするなら、その言動、行動で勝ち得るしかない、というのは、どこの国でも同じことでしょう。人間というのはえてして唯我独尊になりやすい生き物です。そしてただでさえ外国人に対しては、排他的な差別的な感情を持ちやすいものです。それをくつがえすには・・・やっぱり言動で示すしかないんじゃないですか?他に何か有効な方法があるでしょうか?
_ 李漢南 ― 2006/09/15 21:25
_ コペテン ― 2006/09/15 23:53
父親の実家の土地の半分が、元々在日が住んでいたんですね。それを買い上げたという話でした。特に差別的な話は聞いてないです。
確かに関西のほうが在日が多いので、差別問題も多いのでしょう。ただ、部落差別も関西のほうが強いみたいなので、元々そういった差別感情は関西の方が強い可能性はあります。関東では「あすこは部落の家だ」とか言うのは年配の人に偏ってますが、関西では若い人もけっこう語りますよね。
_ コペテン ― 2006/09/16 00:04
_ 辻本 ― 2006/09/17 07:37
_ コペテン ― 2006/09/17 23:01
よろしかったら、どこが予断と偏見が激しいのか、指摘していただけますでしょうか?
_ 流れ者D ― 2006/09/20 10:43
あっしは元々関西の人間ですが、
中学の時分(’80年代初頭)は、親の仕事の
影響で、横浜に住んでおりやした。
横浜市内にも、北朝鮮系の朝鮮学校(朝校)が
あり、クラスの不良が
「”チョン校”(朝校はそう呼ばれていた)では
ケンカを教えるそうだぜ、お前も”チョン”なんだろう」
と、当時いじめられっ子だったあっしにそう言った
ことを思い出します。
現在も住んでいる、関西の某地方都市の
高校時代には、苗字一字の同級生が、
「チョーセン、ニンニク臭い、カエレ」とはやし
立てられたことがありました。
少しでも異質な人間がいると、あらゆる理由をつけて
いじめ、差別するのは世の常なのかもしれません。
しかし、そんな世の中を憎み、解放運動をはじめとする
あらゆるサヨク系の運動に手を染めていった、自分の
原点の一つが、このような出来事だったのです。
ここでは在日に限定しましたが、部落民や在日に
対する差別的感情は、関東も関西も変わらない
ように思います。
_ コペテン ― 2006/09/21 20:35
学校を転校したときですね。
いじめる相手をアホな奴だなあ、と思っていたので
黙っていたら図にのってきたので、耐えられなくなり、
殴り合いの喧嘩になりました。
それからそいつはいじめなくなりました。
「なるほど」と心の中で思いました。
それからは、いじめるような言動をする奴にはパンチを
または頭突きを一発ぶちかますようになりました。
それでうそのようにいじめはなくなりました。
(これは中学のことですが。)
いじめから逃げようとしては、いじめは終わりません。
堂々といじめをする人間に立ち向かわなくてはなりません。
いじめや差別をする人間は、深い気持ちでやってるわけ
ではないのです、たいていの場合は。
いじめや差別が相手をどれだけ傷つけるか、とは理解し
ているわけではないのです。
ただ、軽い気持ちでやっている場合が多いのですよ、
理論とか根の深い感情ではないのですね。
>部落民や在日に 対する差別的感情は、関東も関西
>も変わらない ように思います。
そうかもしれません。アッシは自分の経験を語った
だけです。
_ さぬきうどん ― 2006/09/23 00:10
経験に基づいた貴重なコメントありがとうございます。
一言。
「いじめ」と「差別」は違うのではないでしょうか。
差別には社会的基盤というか歴史的根拠があると思います。ごっちゃにされない方がいいと思います。
ちなみに、私は四国出身ですが、部落差別に関しては小学時代に認識しました。しかし、あなたのおっしゃるような明らかなものではありません。母に、同級生の子が「同和」出身者だと指摘されただけです。私は母に激しく反発しました。朝鮮人差別は知りません。
その後も「差別事件」などはありませんし、経験しませんでした。だから、最近問題になっている、何のために行うのか何で予算を付けるのかと疑問が湧き上がっている「同和教育」は一切ありませんでした。ゼロです。
私が多少、部落問題に関して親族などから見聞きしたことは、今から解釈すると、部落解放同盟や糾弾闘争に対する陰ながらの批判(すでに公然とは口に出来ない雰囲気でした)だったと思います。解同が利権をがっちりと固めつつあった時期だったのだと思います。それに多くの市町村等の自治体が屈しつつあったんです。屈服し言いなりです。今も状況は好転していません。
こんなんで差別撤廃・解消できますか。(現在の感想!)
今、私のふるさとは「同和教育」一色のようです。
_ anonymous ― 2006/09/27 16:38
>差別には社会的基盤というか歴史的根拠があると思います。
>ごっちゃにされない方がいいと思います。
そうですね。確かに似て非なるものかもしれません。
しかし、つながっている気がします。
>こんなんで差別撤廃・解消できますか。(現在の感想!)
部落解放同盟や糾弾闘争をする人たちは、差別撤廃・解消という本来の目的を忘れて、利権確保へ走ってしまった・・・のでしょうか。
そして、マスコミもそれを批判しない(でも、ネットでは堂々と批判できる。マスコミの権威は尽きつつありますね、言論の自由を実践しないという自殺行為ですね)。
運動側の人たちは、部落問題を本当に真摯に考えていたんでしょうか。もっともっと根本的に突き詰めた議論をして、社会に訴えるべきだった・・・のではないでしょうか。
自分はそんなに詳しくないのでわからないですが。
難しいんでしょうが。
_ さぬきうどん ― 2006/09/29 02:10
大雑把なことしか言えませんから、読み流してください。
アファーマティブ・アクション(Affirmative action)という言葉があります。
きちんと定義しているかどうか分かりませんが、以下を。
http://ja.wikipedia.org/wiki/アファーマティブ・アクション
こういう方法に関しては今は否定的な意見が多いと思います。
私は、アメリカと日本の歴史や文化や風土、社会環境を踏まえるべきだと思います。
アメリカは現在も人種・民族差別社会だし、階級社会だし、格差社会です。一言でいえば差別社会です。その中で適用されたAffirmative actionについて、決して肯定的な評価が多数ではないということが重要だと思います。
では、日本は。差別は存在します。しかし、アメリカやヨーロッパ、韓国や中国、インドなどとは全く違います。
欧米とは国民国家の形成過程が違うし、アジア諸国とは、近代化、民主主義化、国民国家形成の歴史が全く異なっています。日本がはるかに先行しました。
思い切って結論を言いますが、日本にはAffirmative action政策は適合しないということです。
それを部落解放同盟や在日諸団体が無理な主張をし、それを政府・行政が受け入れ、とくに部落解放同盟や朝鮮総聯が利権化していった。そのことが結局差別撤廃を困難にしたということではないでしょうか。
私の知人の父親に、自治体の高級幹部だった人がいます。
彼自身は一言も言いません。ただ、いろいろ周りの人の話を聞くと、同和対策事業が開始されて以降、自治体が解同の言いなりになり食いものにされる、それを責任者として黙認しあるいは机の下で手を結んで、「出世」していった軌跡を知ることができました。
同和対策事業は成果をある程度上げました。貧困などの目に見える差別は解消されました。しかし、長く続けすぎました。その後も莫大な費用を掛けましたし、現在でも別の名目で多くの予算や公務員の採用枠などが供与されています。
差別は解消しませんでした。彼もいまだに部落民に対し差別意識を濃厚に保有しています(多分)。
無意味でした。
運動側が主犯ですが、国・自治体は共謀正犯、マスコミは従犯、私たちはそういう問題を黙認してきたということで一種の共犯だと言えそうです。
_ 大田区民 ― 2006/10/01 07:16
差別問題はそれをなくそうとする意気込みが逆に多くの人々に加害者意識を植え付けることになるのでそれに対する感情的な反発を呼び込みやすい。特に日本の反差別教育にはその傾向が強いのではないか。一部の若者の排他的な言動もそこらへんに起因していると思う。
_ コペテン ― 2006/10/02 05:57
差別学?とでもいうような。
差別について、差別をどうしていくか、というアカデミックな研究が無ければ、
所詮、素人の知恵が幅をきかすことになってしまうと思うのですよ。
まあ、すでにそういうものがあるのかもしれませんが。
_ anonymous ― 2006/10/03 06:40
まるで他人事のような言い方です。まずはご自分が研究すべきことでしょう。
>所詮、素人の知恵が幅をきかすことになってしまうと思うのですよ。
ご自分の自戒ならいいのですが。
>まあ、すでにそういうものがあるのかもしれませんが。
差別については、国内の深刻な問題としてかなりの調査研究がなされてきました。またアメリカやカナダ等々でも深刻な問題として調査研究がなされてきています。専門書や研究論文は多数あります。
こういうところから研究を始めたらいかがでしょうか。
_ コペテン ― 2006/10/03 23:54
>差別については、国内の深刻な問題としてかなりの調査研究がなされてきました。またアメリカやカナダ
>等々でも深刻な問題として調査研究がなされてきています。専門書や研究論文は多数あります。
>こういうところから研究を始めたらいかがでしょうか。
なるほど、そうでしたか。恥ずかしいことにまったく知りませんでした。
では入門としてどういったところから始めたらいいのでしょうか。
入門書とか、いいのがありましたら、お教えください。
よろしくお願いします。
_ anonymous ― 2006/10/04 21:55
まずは、図書館に行って、その方面の本をたくさん読むことです。学術雑誌等にも論文が多くあります。
この問題は意見が対立することが多いですから、一方に偏らずに選ぶことですね。全ての意見を知った上で、自分の見解をまとめるようにしてください。
_ コペテン ― 2006/10/08 02:32
↑このように具体的なものがいっさい無くては何もアドバイスにもなっていませんよ。
見ず知らずの人に勧められない?どうして?わかりません。
サンプルとして2、3の本、雑誌すらも上げられないの?
>全ての意見を知った上で、自分の見解をまとめるようにしてください。
全ての意見を知ることなど、現実的に可能だとお考えですか?
何も知らないド素人の自分でも無理だとわかりますよ。
まあ、ここを荒らす気もないので、これでコメントは止めますが、正直、失望しました。
_ ビール ― 2007/10/10 18:57
_ あん ― 2008/03/06 10:18
普通に日本語使って見た目も変わらない人間が
外国人の名前を名乗ると日本人の方が事態を把握できなくて困るんですよ。
相手の手間を考えて本名使うのを控えてます。
差別する人はいますけど、そういう人とは関わらなければ良いだけですからね。
関わる人を選別するのは差別問題に限ったことではないので全く気にしてませんよ。
_ nic ― 2008/09/17 17:35
事態を把握できないなんてことはほとんどないと思うんですけどね。
まぁ日本風な名前の方がやりとりがスムーズなのは確かですけど。
実際ほとんどの在日外国人が通名を使うならともかく、
ほとんど在日朝鮮人の方しか使っていないのが差別意識につながっている気がします。
_ りん ― 2008/09/27 13:14
_ たんぽぽ ― 2010/06/12 13:11
物心ついたころから、親の背中を見ていて、本当のこと(韓国人だとか名前が違うとか)を言うとこの世界ではきっと生きにくいんだろうなと、感じていました。
子供の遊びの中で弱いものいじめや仲間はずれがあるように。子供ながらに(まだ子供だからこそ?)それは困るな、と思いました。
みなさん(日本国籍の方)も、自分が仲間はずれになるのは直感的に「嫌だ」と思いませんか?
小学校に上がって、とても仲良しになった友達数人に、秘密を持っているのが悪い気がして、ドキドキしながら「私、日本人じゃないんだ、韓国の名前もあるんだ」と告白しました。
友達は「そうなんだぁ~」と笑顔で受け入れてくれ、「もう絶交されるかもしれない」と身構えていた私は心底ホッとしました。国籍が違うのは嫌われる要素ではないのだと体感し、私は大好きな担任の先生にもコッソリ教えました。
その夜、担任の先生が弟の担任の先生を連れて私の家に来ました。
先生たちは、私の両親に「今後、お子さんたちに、自分が在日であることを周囲に向かって言わせないでください」と言ったそうです。
理由は、「子供の世界では受け入れられても、保護者の中にはまだ韓国を敵視したり見下す人がいて、うるさく言ってくるから」だそう。
これって、世間一般では、差別なんでしょうか。それとも教育の一つとして言われて当然のことなんでしょうか。私には未だに分かりません。
ただ、当時思ったことは、「私は、「本当の私」を隠さないといけない人間」、
「私の大好きな先生は、毎日かわいがってくれるけど、本心は私を嫌いなんだろうな」、
「お父さんお母さんは私に”気にするな”と言ったけど、先生にあんな風に家族のことを否定的に言われて辛かっただろうな」ということです。
それ以降、私は「私」を隠してきました。周りの人と元気に明るく過ごせ、多くの人に信頼をいただける今の「私」も本当の自分。でも「私全て」ではありません。本当のとこを言ってはいけないから。
通称名を使うのはワガママなのでしょうか。
また、上記のことがあったり、旅行で行った韓国でも在日への敵視が強いことも身をもって知りました。
韓国人にも日本人にもなりきれない宙ぶらりんな自分はいったい何なんだろうと、自分の存在についてずっと悩みました。
子供の頃からずっと、国籍や国境関係なく、争いごとがない世界を願っていました。
普段平穏な毎日を送っていて家族や友人や周りに恵まれている、と思いますが、いざ、と言うときやはり社会生活上では障害があります。
こうしてネットを検索しても、私達のような在日や外国籍の人間と知っただけで敵視される方々がこの国に多くいることも知り悲しい気持ちにもなります。
幼い頃から、差別とは感じなかったけど、目の敵にされていると実感していた身としては、
国籍がなんであれ、名前が何であれ、男であれ女であれ、宗教が何であれ、
ここに立ってだたあなたと接している「私」を見てください。って言う気持ちで一杯です。
私は、”ただ一人の人間”です。”日本で生まれ日本で育っています。”
社会的に区別が必要なら、そう言ってください。国籍も名前も示して生きます。個人情報保護だからとかで本籍を伏せていいというならそう生きます。
今の日本は、示していれば「お前らは…」と言う社会でもあれば、隠して何事だと言う社会でもあるし、元から示さなくてもいいという社会でもある。そしていざ示す場面で正直に示すと「それは困る。聞かなきゃ良かった」と言う社会でもある。
素直に従おうとする側も困ってしまう矛盾があります。
「私は私」として生きたい私は、もう国籍にとらわれず、日本で生まれ日本で生きる人間として帰化も考えます。
でも、本当はもう何人(なにじん)でもいい。何て名前でもいい。
差別せず差別されない国籍の一人の人になりたい。
_ 金 国鎮 ― 2010/06/13 14:33
南北朝鮮を連呼する総連・民団はその見本です。
日本の新聞・メディアにはその現実に向かい合ってペンを取って具体的に何かを書ける人はいません。
又、教育のレベルに於いても同様です。
表面的には逆のことを言っている場合が多いですが、
殆どの場合アメリカに向けての擬態です。
自分の足で在日の人達が探さなければ在日の人達が必要とする情報は見つかりません。
日本の社会には戦前も戦後も在日の人達が必要とする情報を持っている人達は少数ですが存在していると思います。
海外で生活した事がある日本人はその代表ですが、彼らの社会的な地位に拘わらず、彼らは日本の少数者でした。
又日本の遠くは江戸時代にまでさかのぼる日本の価値観を今も受け継ぐ人たちも日本の少数者です。
南北朝鮮では日本のような社会的少数者を認めてはいません。
彼らが韓国人を連呼するのは彼らが韓国人をしなければ韓国の社会では生きてはいけないということでしょう。
北朝鮮はもっとひどいと思います。
在日の人達がどの道を取るかは各個人に委ねられています。
_ 金 国鎮 ― 2010/07/12 12:25
在日の若い人たちの素朴な質問に答えられる人だった。
何も言わずとも多くの在日の人達を励ますことができる人である。
小渕政権当時、同じ早稲田出身ということで登場してきたのでしょうが。自らの生い立ちを朴訥に平易にテレビで語りかけていた様は圧巻だった。
恐らく多くの日本人の心に届いたと思う。
女優の岸田今日子さんがかってつかこうへいを評価するに際して、その厳しさとその表現力を評して日本人ではないみたいと
評した事がありますがこれは彼の努力に対する褒め言葉でしょう。
在日の人達が忘れていて忘れてはならないものを表現してくれた恩人です。
さようなら。
_ abcd ― 2010/07/17 18:46
自分の立ち位置をしっかり持っていれば、帰化したとしても
何も問題は無いと思いますが。
韓国・朝鮮問題の核心は、彼らが日本人に歩み寄ろうと
しないことですね。
在日が日本で暮らし易いように、韓国・朝鮮はなんらかの
サポートをしても良いのでは。
因みに私は在日三世です。
_ (未記入) ― 2013/08/12 11:41
_ 辻本 ― 2013/08/12 20:55
法案を作るのは国会議員ですが、そんな法案を作っていたなんて聞いたことがないですねえ。
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公式な文書(結婚・出生証明書、不動産登記簿の記入や変更、運転免許書、住民証明書ETC・・)は当然として誰でも本名でなければならないし、まして犯罪報道の加害者・犯人でも日本人は本名を公表されます。晒されるのです。自業自得ですうが・・・・ね。しかし問題が在日だけはこういう公平な措置がされず、通名で新聞報道されるのは、納得できません。比較的軽い窃盗・すり、万引きなどなら直ぐ出所してきます。住所変更もして
又同じ稼業が簡単に続行できます。仲間内、親類などではずっと同じ通名ですから過去の繋がりも絶たれないし連絡可能です。日本人なら犯罪が晒されると本名はずっと一生付きまとうのです。犯罪は償って出て来てみても残って行きます。自分に名前の戸籍名表記を新聞報道でも避ける理由は無い筈です。平等に人間は扱われるべきですよねー。都合の良い時だけ平等を使い分ける必要はどうなのでしょう?