嫌韓本に掲載された閔妃の写真2006/09/15

 「閔妃の写真」が存在しないことは、拙論で論じてきました。 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dairokujuuhachidai http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuusandai

 このことについては下記の報道がありましたように、否定説=歴史事実が定着してきたように思ってきました。 http://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku/text/050628-3text.html http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/08/12/20040812000038.html

 ところが今よく売れていると評判の嫌韓本のなかに、「閔妃の写真」が堂々と掲載されているのです。

 桜井誠 『嫌韓流 反日妄言撃退マニュアル』56頁  山野車輪『マンガ 嫌韓流2』221頁

 「閔妃の写真」なるものは左翼系の人たちが広めたものですが、これと正反対の立場の人間もこの間違いを継承しています。私には似た者同士、という感想です。

 間違いを正すことはなかなか難しいと改めて痛感した次第です。

>「朝鮮日報」の記事に、「右上に『(明治)42年(1909年)7月31日』付けで「馬山(マサン)」の消印が押されている。」という記述があって、写真の消印にも「42.7.31」の数字があります。> >わざわざ「マサン」と読み仮名を付けてあるので、「馬山」は朝鮮半島の地名だと思うのですが、 1909年の時点ですでに、朝鮮半島では、「明治●年」という日本の年号を使用していたということなのでしょうか?>

 貼られている切手は中央に菊模様で、左下端が「1/2」ですので、日本の菊切手(半銭)と思われます。  日本の切手が使用され、消印に日本の年号となる理由は、馬山に共同租界があったからです。(解法者様のご教示)

 馬山の共同租界については http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/sokai/korea.html に少し詳しい説明があります。

 ところで、この絵葉書を報道した朝鮮日報の記事に下記の一文があります。

>はがきの発行時期が閔妃が殺害されてから14年後である上、元皇帝(王)の正妃(皇后)であり、当時の皇帝(純宗)の母親の写真をはがきに印刷し、その上に消印を押すなどの「不敬」は当時ありえないというのが理由だ。>

 この「不敬」理由は果たしてどうかという疑問があります。というのは記憶なのですが、大正天皇のご成婚記念の皇后の絵葉書に、切手と消印が押されているのがあったからです。記憶からだけで出典を呈示できませんが、この理由は成り立たないのではないか、と思っています。

(関連論考) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/05/21/373512              10月8日追記