日本の白米至上主義2007/01/06

 私は「白米至上主義」、他では「米食至上主義」、「コメ中心主義」とも言うようです。  この考え方の歴史をちょっと調べてみましたが、まとまった論文はなさそうです。  私なりに調べたことでは次のようです。

 江戸時代は、武士階級および江戸や大坂などの都市生活者の多くがコメを常食としていた。農村では麦や雑穀も重要な食材で、コメだけを常食とする農民はほとんどいなかった。

 この傾向は明治になっても変わらなかった。都市生活者は食料を購入するが、主食のほとんどがコメで、雑穀はなかった。軍隊ではそれが徹底された。コメは活力の源泉とされて、白米ばかりの食事となり、麦飯などは食べることがなかった。

 この白米至上主義が大きな弊害となって現れた。脚気である。脚気はビタミン不足からくる病気で、白米にはビタミンがほとんど含まれず、麦に多く含まれる。大日本帝国陸軍では脚気患者が大量発生した。しかし陸軍軍医総監の森鴎外は白米至上主義を貫き、特に日露戦争で多大な被害をもたらした。

 鴎外没後、陸軍ではやっと麦飯が導入され、脚気が少なくなる。しかし都市生活者の米食至上主義は続く。そのため、コメが食べられないとは即ち生活困窮であるとする思想が広まっていった。

 このときに起きたのがコメ買占めが原因の「米騒動」である。都市生活者が麦飯や雑穀を食べていたら、このような騒動はなかったであろう。かつて池田首相が「貧乏人は麦飯を食え」と発言して、大きな問題となった。その背景には、都市では白米、農村では麦飯・雑穀飯を食べていた社会状況があったのである。池田首相自身がそれを体験していた。

 コメは日本の食料政策の基軸となる。これは戦後も続く。そして農民もコメ生産に最もエネルギーを注いできた。そのため今度はコメ過剰が大きな問題となり、現在に至っている。一般農民も戦後になるとコメを常食とするようになった。

 このような歴史でした。白米至上主義は近世・近代に発生し、現代に定着した日本独自の考え方と思われます。  朝鮮では日本とは食文化が違い、白米至上主義の考え方がありませんでした。  この考えを朝鮮史に持ち込んで、「植民地時代にコメを食べられなかった朝鮮人の恨み」を説く歴史観の誤りは明らかでしょう。