北朝鮮が崩壊しないわけ ― 2007/08/04
1994年に金日成が急逝してから、北朝鮮崩壊論が広く説かれてきました。アメリカでは90年代はこれを前提に対北朝鮮政策を行なってきたと思われます。 しかし現実には崩壊せずに今に至っています。これは何故かということについて、拙論では古代国家であるからと論じました。 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachidai
ところで一方の北側の立場に立つ人はどう考えているのかに関心があります。かつて朝鮮総連関係者と思われる人の投稿があって、この拙論のうち最後の 「北には文化がない」 という点について反発されましたが、それまでの古代国家論には成程として、崩壊しないという結論に賛成しておられたからです。
総連関係の本には長いこと接していなかったのですが、最近『北朝鮮「先軍政治」の真実』(朴鳳暄・泰相元著 光人社 2005年3月)を購読しました。要旨は次のようです。
>この国(北朝鮮)が米国とその同盟諸国が仕掛けた孤立圧殺の包囲網の中で窒息もせず、胸を張って前進しているのには‥‥北朝鮮の指導者である金正日国防委員長の存在と、彼の指導者としての手腕と能力、そして指導者と国民の一心団結―ここに謎を解くカギを見いだすことができる。‥‥‥軍事重視に基づい「先軍政治」という新たな政治方式を編み出して国民を導いている点だ‥「先軍」とは、軍事先行、軍事力の強化を拠りどころとする政治をいう。‥‥‥今日の北朝鮮を知ろうとするならば先軍を理解せねばならず、先軍を理解しようとするならば、金正日国防委員長を知らなくてはならない。> (“まえがき”より)
ここでは北が崩壊しない理由として、先軍政治と金正日の存在との二つが挙げられ、それを詳しく論じています。「詳しく」といいましても、事実かどうか疑問というか、検証の出来ない「事実」が多いものです。しかし著者の肩書きに「朝鮮民主主義人民共和国歴史学博士」とあるので苦笑させられます。 しかし北がなぜ崩壊しないのかについて、考えさせられるものです。
金正日が健在である限り北も健在であるという拙論「第8題」の結論には訂正の必要はないでしょう。逆に健在でない時が国家の危機ということになります。個人の肉体的精神的健康状態が国家を左右するというお国柄なのです。 拙論は8年も前の論考ですが、内容は今も通じるというか、有効と考えています。
北朝鮮の百トン貨車 ― 2007/08/11
最近出た『将軍様の鉄道』(国分隼人著 新潮社)が評判になっているようです。 内部事情がほとんど分からない北朝鮮で、かなりの映像・資料を集めており、なかなか興味深いものです。
ところで北では故金日成が1987年に、次のような「教示」を行なっています。
>八軸電気機関車を二台使って一台は前から引き、もう一台は中間で引くようにすれば100トン重量貨車50両を引くことができるでしょう。陽徳峠のような高い峠を越える時には力が足りないかもしれませんが、その場合には最後部に電気機関車をもう一台つけて押してやれば良いでしょう。‥‥ 八軸電気機関車と100トン重量貨車を導入すれば60トン貨車で貨物を運ぶときより輸送量をはるかに増やすことができます。100トン重量貨車50両で一本の列車を編成すれば一度に貨物を5000トン運ぶことができますが、これは大変なことです。今一本の列車が貨物を一度に1200トン運んでいますが、100トン重量貨車で編成された一本の列車が貨物を5000トン運べばそれは今より貨物を4倍以上運ぶことができます。今後物流がさらに増えれば一度に100トン重量貨車を70両も引かせることができます。‥‥ 100トン重量貨車を平壌~清津間の鉄道に導入し、それが重量貨物を載せて陽徳峠を越えて運転されなければなりません>
八軸電気機関車は『将軍様の鉄道』では1987年製造とされる「赤旗6」型と思われます。残念ながら写真はなく、絵画です。また「100トン重量貨車」はこの本には見当たりません。
日本の貨車は、積載重量30トンか40トンぐらいでしょう。貨車の重量を合わせても50トンぐらいですから、積載重量100トンの貨車がどれほど大きさか、想像できます。
金日成の教示どおり運転されているのなら、100トン貨車50両、機関車3両の編成はかなり見ごたえのあるものですが、やはり運転されていないようです。
韓国の足踏み洗い ― 2007/08/18
10年ほど前、砧について資料収集した際に、ある在日韓国人二世から「うちのお母さんはあの川で毎日足で踏んで洗濯してた」という話を聞きました。その時は、朝鮮では叩き洗いであって、このような足踏み洗いは極めて特殊な事例だろうと勝手に解釈していました。
ところが最近の韓国ドラマ(『ラストダンスは私と一緒に』)のなかに、西洋風民宿(ペンション)の娘が足踏み洗いをしている場面が出てきて、ビックリしました。この女性は24歳という設定で、このようなうら若き女性が足元をまくっての足踏み洗いです。
朝鮮では叩き洗い以外に、足踏み洗いがかなり行なわれていたと考えるべきなのでしょう。しかし、その資料が見当たりません。韓国の民俗体系にも報告されていないのです。
誰かこれについての資料・情報をご存知ならば、是非お知らせください。
ちなみに日本では、絵巻物や洛中洛外図等の絵画資料より、16世紀初めまでは足踏み洗いで、それ以降の戦国~江戸時代に手揉み洗いへと変化したことが明らかになっています。そして更に明治になって洗濯板による手揉み洗いへと変化して、戦後の洗濯機の普及まで続きます。
足踏み洗いは、日本のごく一部(岡山の奥津など)で今なおその風習が残っています。
この古風な洗濯方法が最近の韓国ドラマに出てくるとは‥!!興味深いものです。
特別永住の経過 ― 2007/08/25
在日は1952年の平和条約発効にともない、日本に継続して居住しながら日本国籍を離脱した人たちです。彼らの法的処遇は126-2-6から始まります。
この法律では「別に法律を定める」までは、在留資格・在留期限を定めることなく、日本に在留できるというものです。これは従来通りに、自由にかつ無期限に日本に滞在できるというものです。しかし「別の法律」を定めるべきと明記されたにも拘わらず、長年定められませんでした。
その子供はどうするのか、この時の法に定めがなかったので、出入国管理令にある「その他」の在留資格の一つとして4-1-16-2が定められ、そのまたその子供はどうするのかとなり、4-1-16-3が定められました。しかしこれらは「その他」ですので、あくまで特殊例外的な位置づけです。
1965年に日韓条約が締結し、これにより在日のうちの「韓国籍」のみに協定永住が認められることになりました。さらに協定永住者以外の在日に永住権を与えるための「特例永住許可」という制度も設けられました。これは申請して許可を受けるものです。
つまり在日は、その歴史的由来は同じであるにもかかわらず、126-2-6、4-1-16-2、4-1-16-3、協定永住、特例永住等々の様々な法的地位に分かれるという複雑な状況になりました。
時代を経るとともに複雑化してきました。そのまま放置すれば、これまでと同様にその場限りの処置を繰り返すだけになり、さらに複雑化していきます。その最大の原因は、1952年の法律第126号に「別に法律を定める」と明記されているのに、制定してこなかったことです。この点で、日本側の不手際を指摘しておきたいものです。
特別永住はこのように複雑化した在日の法的地位の問題を解決するものとして定められたものです。40年前に「別に法律を定める」とされたことが、ようやく定められたのが特別永住です。
以上が特別永住の経過の簡単な概略です。特別永住制度は在日の法的位置づけの問題を解決したと言っていいものです。
ところがこのような経過で成立した特別永住ですが、「特権」「身分差別」「貴族制」というような言葉で否定する方が現れたのには驚きます。特別永住は外国人のなかで最も恵まれた在留資格ですが、それでも日本国民という法的地位には及びません。
特別永住制度をなくせという運動が登場していますが、余りにも非現実的なものです。一部の在日活動家の主張に対抗しているだけの運動に止まればいいのですが、これがすべての在日に対する対抗的あるいは嫌悪的主張となっている傾向が強く、困ったものだと思います。