特別永住制度の変更は非現実的2007/09/01

 特別永住制度は、1952年以来複雑化しつつ続いてきた在日の法定地位の問題を解決したものです。これを変更(廃止や他資格並みに処遇を引き下げること)することは、余りにも非現実的です。こんな非現実的なことを議論しても、意味がありません。

 特別永住制度は、21世紀の半ばには外国人としての在日は消滅するだろうという見通しのもとに成立しました。従ってこの制度が問題化する可能性があるのは、この見通しが間違っていた場合のことになります。つまり数十年先の話です。

 私自身は、完全な消滅はありえないが、もはや問題化するほどの数ではなくなっているだろうと考えています。

在日の法的地位問題は解決済み2007/09/08

 在日の法的な問題は、1991年の特別永住制度によって解決しました。  それでも一部の在日活動家らが、まだ差別があるとして、さらなる要求を繰り広げ、日本側の一部もこれを煽ってきました。これが不適切・不当なものであることは、拙論で主張してきました。

 ところが今度は、日本側で特別永住制度の廃止あるいは処遇の切り下げを要求する人が現れてきました。その理由は、特別永住制度そのものが「特権」であるからとされています。なかには「貴族制」とまで言う人がいます。またこの制度によって在日が外国人意識を持たなくなっている、あるいは日本人との距離感がなくなっているから、と言う人もいます。

 特別永住制度は外国人のなかで最も恵まれた在留資格ですが、それはそれまで法律上未解決のまま経過してきた問題を全面的に解決した制度です。今さらこれを廃止や切り下げなどと問題化することは、余りにも非現実的というか全く意味のないことです。

 また在日がどのような意識を持とうとも、法律は個々人の意識にまで立ち入ってはならないのであって、在日の意識を変えさせるために法律を変えようというのは暴論でしかありません。立ち入ることができるのは、法とルールを守るという意識を持たない行動です。

 在日の法的地位問題は解決済みです。

 これからは来日外国人の問題が重要です。彼らの多くが日本に定着してきています。彼らの法的処遇を安定させていくのか、それとも不安定なままにしておくのか。

 もし日本がこれからもどんどん外国人を入れて、いわば移民立国になろうとするなら、彼らを安定した地位につける必要があります。その場合、特別永住制度に彼らを加えるのか、それとも日本国籍を与えるのか、といった問題が生じることになるでしょう。

米国籍などの特別永住者2007/09/15

 特別永住は、日本の旧植民地出身者で引き続き日本に在住してきた人が有する法的地位で、従って国籍は「韓国」「朝鮮」「中国(台湾)」となります。しかし現在はそれだけでなく、「米国」「カナダ」「英国」等々の国籍を有するものが少なからずいます。

 特別永住者は日本に帰化すると当然ながら特別永住資格は無くなります。しかし第三国に帰化(国籍変更)した場合、特別永住資格は消滅しません。法にはそういう規定がないからです。

 従って「米国」「英国」「カナダ」等々の国籍を有する特別永住者が現れることになります。

 特別永住者の外国人登録国籍欄に記載される国・地域は、上記のように元来は「朝鮮」「韓国」「中国(台湾)」ですが、今ではこのように様々な国籍があります。

 数としては千人程のようですが、無視できるものではありません。

高句麗は韓国か、中国か2007/09/22

 日本における高句麗史研究の第一人者は、東潮氏で誰も異存はないでしょう。

 数年ほど前にお会いした時に、 「中国では高句麗史は中国の一地方の歴史と扱われているが、韓国では高句麗史は我が民族の歴史であり、中国の一部ではないと反発している。韓国人は東北地区(旧満州)で、ここは元々我が民族の土地だなどと言って、中国から顰蹙を買ったりしている。東さんは、どうお考えですか?」 と尋ねたことがありました。

 彼の答えはふるっていました。 「韓国に呼ばれると、必ずそれ(高句麗は中国の一部か、韓国か)を聞かれる。その時は、高句麗は高句麗であって、中国でもなく、韓国(朝鮮)でもない、と答えている。」

 これはなかなかの名言です。  韓国人は日本人に踏絵を踏ませようとする傾向が強いのですが、それに対する言い返し方として参考になるものでした。

 私でしたら、高句麗の北半分は中国、南半分は韓国でしょう、高句麗の歴史も半分づつ仲良く分けあったらどうですか、などと茶化して怒らせることでしょう。

朝日の〈おことわり〉の間違い2007/09/29

朝日新聞に次のような<おことわり>がありました。(インターネット版2007年3月31日付け)

〈おことわり〉文中にある「南鮮版」の「鮮」という呼称は、「朝鮮」の意味で、植民地時代に日本人が蔑称(べっしょう)として使った。「京城」は現在のソウルで、植民地時代に日本が使った呼称。いずれも不適切な言葉ですが、歴史的な名称として使いました。

 これは拙論で繰り返し論じてきましたように、間違いです。

 朝鮮の略称として「鮮」は蔑称ではありません。姜在彦『朝鮮儒教の二千年』(朝日新聞社 2000)の200~201頁では、高麗末朝鮮初期(1392年前後)の時代を「麗末鮮初」と明記しています。  つまり朝日新聞自身が最近発行した本のなかに、「朝鮮」の呼称として「鮮」が使われています。従ってこれを「植民地時代に日本人が使った蔑称」とするのは間違いです。

 また「京城」は古来より朝鮮でも首都名称として公私ともに多く使われてきた名称です。「植民地時代に日本が使った」ことは不適切の理由にはなりません。

 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainijuuyondai  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dairokujuunidai  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuukyuudai