総督府は「国家」2008/03/01

 ちょっと時間が経っていますが、2007年8月29日付けの韓国の新聞(朝鮮日報)に、視覚障害者団体の意見広告が掲載されました。

 >政府はもっと無資格按摩行為を防止せよ!>  >視覚障害者の生存権である按摩業を保障せよ!>

などのスローガンに続く解説のなかに、次のような一文があります。原文を忠実に訳します。

 >按摩業は視覚障害者の経済的自立のために、国家が1912年から視覚障害者に専門職種として教育させてきた生業次元の権利であります。>

 1912年と言えば、日韓併合後間もない時期です。それまでの視覚障害者がどのように生きていたのか資料が見当たりませんが、朝鮮総督府は彼らを自立させようと日本風の制度を導入したようです。そしてこれが現在の韓国に連綿と受け継がれてきたということのようです。

 ここで注目すべきことは、韓国の今の障害者団体がこの当時の総督府を「国家」と表現していることです。  この意見広告を見る限り、彼らには総督府という「国家」と現在の韓国という「国家」とは繋がっています。  つまり総督府施政(=植民地体制)を肯定していることになります。

 韓国人の歴史認識・国家意識を考える上で、ちょっと興味深く読みました。

「活動家によるレイプ事件」考2008/03/07

 拙論第87題で、 >朝鮮問題に関わる日本人女性たちが、在日活動家に警戒心をなくし、レイプされるという事件が少なくなかったのである。> http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuunanadai と論じた。これについてもう少し詳しく記されたものを見つけた。この問題は、事の性質上なかなか公になることはほとんどなかったので、貴重な記録になると考え、紹介したい。

>1970年代の初頭であった。民族差別問題に熱心に取り組んでいた都内某大学の女子学生グループがいた。彼女らはある在日韓国人青年を呼んで勉強会を開いた。その青年は、贖罪意識を煽って次々と女子学生の体を犯した。遂に、チューターの女子学生が自殺するという悲劇が起きた。他にも幾つか似たような事件が起きている。‥‥贖罪意識を利用して日本人女子学生の体を弄ぶ在日韓国・朝鮮人が今もいるかもしれない。>    佐藤勝巳「映画パッチギLOVE&PEACE”の欺瞞を切る」(『現代コリア475号』42頁下段)

 佐藤氏はこの当時、民族差別と闘う運動のリーダーとして活躍されていたのであるから、この情報の確度は高い。抽象的な情報ではあるが、私の得たものとも一致する。

【関連論考】 人権団体におけるレイプ事件

 民族差別問題だけでなく、同和問題に関わる団体・人間たちにも、こういった事例があります。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/07/28/1685192

 人権を呼号し、過激な糾弾を繰り返してきた集団は、一皮めくればこのような実態があります。  人権団体だから人権を尊重する人たちばかり、とか思ってはならないということです。むしろ人権団体だからこそ、こういった実態を隠蔽しようとするものです。

朝日の創氏改名論2008/03/15

 朝日新聞に「写真が語る戦争」が昨年(2007年)週一で連載されていました。10月7日付けでは「植民地下の朝鮮」です。そのなかで創氏改名について、次のように記されています。

「朝鮮民族は結婚しても姓はそのままだ。先祖から受け継いだ姓を変えるのは「祖先の骨を売り渡す」(姜在彦・元花園大学教授)に等しい。日本は朝鮮の民衆にそれを迫り、民族名を奪った。」

 こんなデタラメが新聞に堂々と載るとは‥!!  創氏改名については、故金英達氏が十数年も前に詳しく研究され、その実相が明らかになってきました。創氏改名の研究は進展しています。しかし朝日新聞は、それより以前の俗説を未だに固守しているのです。  執筆記者は「中野晃」とありますが、この方は一体どのような歴史の勉強をしたのでしょうか?

 創氏改名については、下記の拙論を参照ください。  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuunidai  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daisanjuudai  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuudai

関連論考 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/10/06/1838919

主催者発表3倍の法則2008/03/21

 この頃は知りませんが、1970年代に「主催者発表の数字は警察発表の数字の3倍」の法則があると言われていました。

 何かの集会で、主催者が発表する参加人数は、警察が発表する参加人数のほぼ3倍となる傾向が強い、という意味です。それで気になって、そのような集会の新聞記事を見るたびに数字を見比べていたのですが、「法則」がよく当たっているのに成程と感心した記憶があります。

 昨年9月に沖縄で行われた教科書検定問題の集会で、参加者が主催者発表で「11万人」、警察情報では「4万人」とされていましたので、この「法則」は21世紀になっても適合するものと思われます。

 ところで、どちらが正しいかですが、一般的に言って主催者発表は自分たちの成果をアピールするために人数を多めに出すのが普通です。

 一方の警察発表は、参加者人数によって警備する警官の数を決めねばなりませんし、議会等で人数の根拠を質問される可能性がありますから、実態からかけ離れた数字を出すことはありません。

 従って警察発表の数字が大体正しいと見ていいものです。とすると、主催者発表は水増し率3倍ということになるわけです。

 これ以上数字を大きくすると嘘臭さが強くなるし、少ない数字だと元気が出ないし‥‥3倍が適当なところということでしょう。

 マスコミが主催者発表数字をそのまま報道することは、水増し記事となりますので感心できるものではありません。

重村智計さんが語る植民地史2008/03/26

 重村さんは現代の朝鮮半島情勢専門家で、マスコミにもよく登場する方です。彼が歴史を語るのは珍しいのですが、昨年発刊された『今の韓国・北朝鮮」がわかる本』(三笠書房)に、次のような一節がありました。

>明治から昭和にかけての日本の指導者に、もっと歴史を見通す品格があれば、今の日本と韓国・北朝鮮の関係は良くなっていたはずだ。隣の国を植民地にするのは、教養も歴史観もない決定であった。さらに、その統治方法にも問題があった。帝国主義を非難された欧州諸国でさえ、隣国を植民地にしなかった。  この過去の日本人の失敗の責めを、現在の日本人は負わされている。この歴史の現実から、逃げないでほしい。それが、今の韓国と北朝鮮を理解する一歩なのだ。>(31頁)

 この本は現在の韓国・北朝鮮情勢を解説するもので、成る程と感心するところが多いのですが、植民地時代に触れたこの部分だけには違和感を感じました。60年以上経った現在に至るも、この時代のことが政治・外交問題になるので、当時の日本人たちについ恨み事を言いたくなったのかも知れません。  詳しく論じられていないのが残念ですが、彼は日本は隣国を植民地にしたのが「失敗」で、欧州のように遠国を植民地にすればよかった、と言っておられるようです。逆に朝鮮にとっては、日本ではなく欧州の植民地になればよかった、とも言っておられるようです。  彼は歴史の専門家ではないので、これはおそらく誰かの受け売りだろうと思います。鋭い分析に基づく記述を進める重村氏にはちょっと似つかわしくない部分です。

韓国の地域対立は古代まで遡るか?2008/03/29

 韓国における嶺南(慶尚道)・湖南(全羅道)の地域対立は有名です。重村智計さんはこれついて次のように解説しています。

>韓国の政治を左右する「地域対立」  ‥‥韓国でいう「地域対立」は、2つの地域の対立を意味する。慶尚道と全羅道の対立だ。‥‥韓国の大統領選挙は、地域別に票が分かれる。  慶尚道は、古代の新羅の支配地域だ。韓国の権力を握り続けてきた地域である。朴正煕大統領、全斗煥大統領、盧泰愚大統領、金泳三大統領、盧武鉉大統領の出身地である。‥‥韓国の政治史の中で、キョンサン(慶尚)道出身者が権力を握り続けてきた。  チョッラ(全羅)道は、かつての百済の地域である。  百済が663年に滅亡して以来、チョッラ(全羅)道地域の人たちは権力を手に入れることが、できなかった。チョッラ(全羅)道は、常に差別され、虐げられてきた。キム・テジュン(金大中)大統領の当選で、はじめて権力を手にした。およそ1300年ぶりに、権力を手にしたといっても過言ではない。」  (三笠書房『「今の韓国・北朝鮮」がわかる本』70~72頁)

 以下、チョッラ(全羅)道の被差別の状況およびキム・テジュン(金大中)大統領政権下で「千数百年の恨み」をはらすためにかなりの横暴があったこと、この地域対立が選挙の投票に露骨に表れること等々が解説されています。

 ところでこの地域対立が、古代の新羅・百済の対立まで遡るとする点についてです。これは重村さんだけでなく、韓国通とされる人がよく言う解説です。  それでは果たしてこれは正しいのかどうか。

 慶尚道は新羅の故地であることは間違いないのですが、実は全羅道は百済の故地ではありません。百済の中心は京畿道と忠清道なのです。  つまり現在の全羅道を百済の故地とみなす説は、不正確な俗説なのです。

 またこの地域対立が1300年もの間続いたのかどうかは立証されていません。例えば朝鮮時代の李王家の本貫地は全羅北道の全州ですので、この時代に全羅道への差別があったのかどうか疑問なのです。  なお全州を本貫地とする李氏一族は、1940年の創氏改名の際に、王家という国の大本となる宗族だからとして「国本」と創氏しました。今の日本で「国本」さんとういう在日がおられましたら、本名は李さんで本貫は全州と見て間違いありません。

 それでは韓国の地域対立はいつ頃から始まったのでしょうか。この答えはなかなか難しいのですが、確実に言えることは1960年代の朴正煕政権以降、大統領が同郷の人間を重要ポストに据える人事を繰り返してきたことです。

 韓国の社会状況では、政権の人事が民間にまで大きな影響を及ぼすところですから、慶尚道出身の大統領が続いた1960~1990年代は、全羅道への差別が強くなったものと思われます。

 韓国における嶺南(慶尚道)・湖南(全羅道)の地域対立は古代に遡るのではなく、近年に現れた現象と考えた方がいいでしょう。

 あるいは李朝時代の政治は「党争」による党派人事に明け暮れ、李朝末期には閨閥人事となったのですが、この党派および閨閥人事の伝統が現代になって地域に置き換わったと言えるかも知れません。私にはこれが一番しっくり来ます。

 なおこの地域対立は、民間レベルでの差別状況もかなり厳しいようです。慶尚道から来日した人が故郷の思い出として、ある店に入ったら全羅道の人の店と分かり、鼻をつまんですぐに出たと語っていたことを記憶しています。それが悪いことではなく、当然のこととして堂々と話すことに、こちらがビックリしました。