韓国の地域対立は古代まで遡るか? ― 2008/03/29
韓国における嶺南(慶尚道)・湖南(全羅道)の地域対立は有名です。重村智計さんはこれついて次のように解説しています。
>韓国の政治を左右する「地域対立」 ‥‥韓国でいう「地域対立」は、2つの地域の対立を意味する。慶尚道と全羅道の対立だ。‥‥韓国の大統領選挙は、地域別に票が分かれる。 慶尚道は、古代の新羅の支配地域だ。韓国の権力を握り続けてきた地域である。朴正煕大統領、全斗煥大統領、盧泰愚大統領、金泳三大統領、盧武鉉大統領の出身地である。‥‥韓国の政治史の中で、キョンサン(慶尚)道出身者が権力を握り続けてきた。 チョッラ(全羅)道は、かつての百済の地域である。 百済が663年に滅亡して以来、チョッラ(全羅)道地域の人たちは権力を手に入れることが、できなかった。チョッラ(全羅)道は、常に差別され、虐げられてきた。キム・テジュン(金大中)大統領の当選で、はじめて権力を手にした。およそ1300年ぶりに、権力を手にしたといっても過言ではない。」 (三笠書房『「今の韓国・北朝鮮」がわかる本』70~72頁)
以下、チョッラ(全羅)道の被差別の状況およびキム・テジュン(金大中)大統領政権下で「千数百年の恨み」をはらすためにかなりの横暴があったこと、この地域対立が選挙の投票に露骨に表れること等々が解説されています。
ところでこの地域対立が、古代の新羅・百済の対立まで遡るとする点についてです。これは重村さんだけでなく、韓国通とされる人がよく言う解説です。 それでは果たしてこれは正しいのかどうか。
慶尚道は新羅の故地であることは間違いないのですが、実は全羅道は百済の故地ではありません。百済の中心は京畿道と忠清道なのです。 つまり現在の全羅道を百済の故地とみなす説は、不正確な俗説なのです。
またこの地域対立が1300年もの間続いたのかどうかは立証されていません。例えば朝鮮時代の李王家の本貫地は全羅北道の全州ですので、この時代に全羅道への差別があったのかどうか疑問なのです。 なお全州を本貫地とする李氏一族は、1940年の創氏改名の際に、王家という国の大本となる宗族だからとして「国本」と創氏しました。今の日本で「国本」さんとういう在日がおられましたら、本名は李さんで本貫は全州と見て間違いありません。
それでは韓国の地域対立はいつ頃から始まったのでしょうか。この答えはなかなか難しいのですが、確実に言えることは1960年代の朴正煕政権以降、大統領が同郷の人間を重要ポストに据える人事を繰り返してきたことです。
韓国の社会状況では、政権の人事が民間にまで大きな影響を及ぼすところですから、慶尚道出身の大統領が続いた1960~1990年代は、全羅道への差別が強くなったものと思われます。
韓国における嶺南(慶尚道)・湖南(全羅道)の地域対立は古代に遡るのではなく、近年に現れた現象と考えた方がいいでしょう。
あるいは李朝時代の政治は「党争」による党派人事に明け暮れ、李朝末期には閨閥人事となったのですが、この党派および閨閥人事の伝統が現代になって地域に置き換わったと言えるかも知れません。私にはこれが一番しっくり来ます。
なおこの地域対立は、民間レベルでの差別状況もかなり厳しいようです。慶尚道から来日した人が故郷の思い出として、ある店に入ったら全羅道の人の店と分かり、鼻をつまんですぐに出たと語っていたことを記憶しています。それが悪いことではなく、当然のこととして堂々と話すことに、こちらがビックリしました。