赤松啓介さんの思い出2010/09/17

 故赤松啓介氏は、古くからの民俗学・考古学者で、共産党員でした。戦前は唯物論研究会事件に関連して逮捕され、特高から厳しい拷問を受けながらも、非転向を貫いた方です。 戦後も共産党員として活躍されましたが、1970年代に高齢のため離党しました。それからは自由な執筆活動をするようになりました。  

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E6%9D%BE%E5%95%93%E4%BB%8B

 彼は夜這いを体験した最後の世代で、この経験に基づく著作が有名です。私も、彼の家を訪ねた時に、この話を聞いたものでした。

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/02/02/2596000

 ところで、彼からはこのようなスケベ話だけでなく、戦前の拷問体験も話も聞きました。

 深夜に留置場から警察の道場に連れてだされた、電気も付けない真っ暗な中に、火のついたロウソクが一本立っている、その前に座らされて、体を固定される、手の指も十本とも固定される、特高は蒲団針を十本持ってきて、目の前でロウソクの火で焼く、そしてそれを一本ずつ自分の爪のなかに刺していく・・・・

 そういう拷問を受けたために、彼の爪は変形したままでした。耳も拷問のせいで遠くなっておられました。このような厳しい拷問にも拘わらず、彼は非転向を貫きました。

 その時は私も左翼がかっていましたので、非転向の彼を尊敬して話を聞いたものでした。そして転向者に対しては、裏切り者として批判するものと期待していました。

 ところが、彼は転向者に対して、そのような言葉は全くすることがなく、むしろそんな人もいて当然、それはその人の生き方だと肯定されたのには驚きました。  あの厳しい軍国主義のなかで、この赤松は転向もせず何年もの間ブタ箱に入っていたが、しかしそうしないで、その場では一歩後退して一旦世に出て、知識を身につけ研鑽していこうとするのも一つの生き方だとおっしゃったのです。

 非転向を貫いた方が、転向者に対して決して悪く言わない、むしろ同情するような言い方には、その時は大いに驚いたのですが、後になって成る程そうだなと納得するようになりました。

 ある人は非転向を貫き、またある人は転向して自分のことに邁進したのですが、一方が正義で、他方は裏切りだとする評価は決してしてはならない、ということを学びました。

 人はその時のその時代を、自分の最善と思うところを生きていくものです。その時代を体験しなかった後世の若造が、その時代の人々の選択を良い悪いと評価することは、余りにも傲慢なことです。