戦前の拷問のやり方 ― 2010/11/07
戦前の共産党員で、非転向を貫いた赤松啓介さんの話の続きです。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/09/17/5351878
赤松さんによると、特高の拷問は、映画なんかに出てくるような、例えば天井から吊るされて特高が木刀で叩いたり小突いたりする、ということは、あるにはあったが、あまり効果的なものではなかったとのことでした。
最初のうちは痛いが、しばらくすると痛みが麻痺してしまうとのことです。また特高も賢いから、体力的にシンドイような拷問をするよりも、体力をあまり使わないでやる効率のよい拷問をした、とのことです。
共産党員というのは、昔も今もインテリが多いのですが、彼らに対する効率のよい拷問は何か?
それは一人を選んで、肉体的拷問を集中的に行ない、その呻き声がよく聞こえる監房に他の逮捕した人たちを入れて置き、そして拷問の終わった血まみれの人を彼らに見せることでした。インテリは、その呻き声や血まみれの人を見ただけで精神的に参ってしまい、その翌日には何もしていないのに、スラスラと自供し、あるいは転向してしまうのです。
そんなことにも動じない人には当然肉体的拷問をしますが、多くの共産党員を効率よく拷問するためにはどうすればいいか、つまり如何に楽して共産党組織を解明して壊滅するか、特高も必死に考えたということです。
体験者の話は、どこでも同じですが、リアリティがあるものです。
「石落し」は石を落とすものではない ― 2010/11/13
今回はこれまでとは違って、歴史の雑学です。
城跡を巡っていると、時々おかしな説明が書かれていることがあります。その一つが「石落し」です。ネットで調べてみると、やはり同様に間違いの説明がされています。
http://www.geocities.jp/mtmt1952/rekisi/rekisi-matumotojyou/rekisi-b-mj-isiotosi.htm http://www.himeji-castle.gr.jp/JAPANESE/isiotosi.html 何が間違いかというと、「石垣をよじ登ってくる敵に対して石を落として撃退する」 とあるところです。
ある復元天守閣では、石落しの口の横に、子供の人頭大の石を積み上げて、これを落とす施設のように説明してあって、ビックリ。
こんな石を落して、果たして敵を撃退できるのでしょうか?真下にいる敵には少しは打撃にはなるかも知れませんが、ちょっと外れたところにいる敵には何の打撃にもなりません。
実は「石落し」というのは、弓矢や鉄砲を射かけるためのものです。城の壁面によくある「矢狭間」や「鉄砲狭間」も矢や鉄砲を射かけるものですが、こちらは水平方向。そして垂直方向に射かけるものが石落しなのです。
石落しの口からは、下にある石垣の面がほぼすべて見えますので、敵は石垣をよじ登ろうとしても、石落しから射かけられる矢や鉄砲のために、困難なのです。もし石を落とすためのものであれば、真下にさえ居なければ、何も怖くありませんので、敵は石垣をよじ登ることができます。
石落しは、名前には「石」がありますが、石とは何の関係もありません。
このように、ものの名前には単なるイメージ的なことだけで、直接何の関係もない言葉が入ることがよくあります。
もう一例をあげると「犬走り」があります。単に犬が走れるほどの小さな道というイメージ的なところから付けられたのでしょうが、これも実際の犬とは何の関係もありません。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8A%AC%E8%B5%B0%E3%82%8A
ある博物館で、古代建築の模型のなかに、築地塀の犬走りに犬の人形が置かれているのがありましたが、これは愛敬というものでしょうかね。誤解されなければいいのですが。
韓国・朝鮮の民族の歴史は新しい ― 2010/11/20
韓国の歴史を読んでみて、大きな違和感を持つ一つが、民族の歴史を神話も含めて5000年も遡らせていることです。
朝鮮半島に住む人々が、あなたも私もすべて同じ民族だと感じるようになったのは、せいぜい遡っても7世紀の新羅統一からでしょう。
それ以前の高句麗・百済・新羅はそれぞれ建国過程(建国神話も含めて)が違っており、また言葉も違っていますので、お互いが同じ民族だという意識はなかったでしょう。
さらに遡って、馬韓・弁韓・辰韓の時代、楽浪郡が置かれた時代、古朝鮮の時代‥‥。朝鮮半島にいた人々が同族意識を持っていたとは、およそ考えることができません。
ところで韓国における民族の歴史ですが、次のような一文を読んで、韓国でもまともというか、冷静な方がおられることを知り、やはり韓国でも5000年の民族の歴史に違和感を持つ人はいるんだなあ、と思いました。
>現在の韓国人が考える民族に対する感覚は、それほど以前からあったわけではない。いわゆる三国時代、高句麗・百済・新羅は互いに敵対国であり、彼らに同じルーツを主張し一つに統合するという概念があるはずがなかった。> 金栄勲『韓国人の作法』(集英社新書 26頁)
韓国でも、民族あるいは民族の歴史について、冷静に議論し合える環境になっていればいいのですが‥‥。どうなんでしょうかねえ。