1970年代の北朝鮮=総連の手口2011/11/12

 1970年代前半に朝鮮総連のHさんから朝鮮語を教えてもらったことは、先に記しました。

 ところで、その朝鮮語教室に1・2ヵ月ほど来た女性がいました。日朝協会か主体思想研究会かの関係者かと思われましたが、次のような話をしてくれました。

>知っている在日朝鮮人(総連関係者)から、韓国に旅行に行って朴政権の悪辣ぶりを宣伝するビラを撒いてきてほしい、旅費は援助するからと言われた。彼女は、韓国の朴政権は軍事独裁ファッショ政権と思っていたので、承諾して友人と二人でソウルに行った。

>鞄の奥に何十枚かのビラを隠して、金浦空港ではすり抜けることができたのだが、ソウルのホテルで一体どのようにしてビラを撒いたらいいのか。万が一見つかったら、北のスパイとして逮捕されてトンデモないことになる。色々悩んだ末、ビラをくしゃくしゃに丸めて、駅や公園などのゴミ箱に一つ一つ入れていった。

>日本に帰ってその人に報告すると、それでいい、と言ってくれた。

 このような話でした。思い出しながら書いていますので、どれほど正確なのかは分かりませんが‥・。1970年代の話ですので、こんな話をしてもビックリする人が多いでしょうが、当時はそれ程、南北関係が緊張していた時代でした。

 もし彼女が韓国で逮捕されたら、北のスパイとして立件されていたことでしょう。彼女自身はお世話になった総連関係者にお返ししたかった程度の認識だったようでしたが、韓国では死刑を含む重罪でした。

 しかし朝鮮総連には、彼女との関係を示す何の証拠もありません。ビラ自体が事前に見てもらったとはいえ、彼女らの手作りでした。従って北=朝鮮総連が彼女に指示したという物的証拠は全くないのです。たとえ彼女が韓国で逮捕されようとも、北=総連にとっては朴政権のでっち上げだと反論するだけで、痛くも痒くもない話です。

 つまり1970年代は、北=朝鮮総連は自分たちは傷つかないようにしながら、在日や日本人を利用してプロパガンダしていた時代でした。

 1990年台後半の金大中政権誕生以降、在日韓国人政治犯と言われる人たちが冤罪だと訴え、韓国の裁判所はこれを認めているようです。しかし、彼らは日本で朝鮮総連と本当に何の関係もなかったのか?

 北=朝鮮総連は、たとえ発覚しても自分たちに波及しないように注意しながら在日や日本人をオルグしていた事実を知るならば、疑問を感じざるを得ません。

(参考) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/05/17/5092838

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/01/16/5639024

在日コリアンと本国人との対立2011/11/20

 最近発行された『日本の論点2012』(文芸春秋)を購読。

 710~713頁に、梁石日さんの「南北の相克を乗り越える鍵は、在日文化のさらなる創造にある」と題する論文が掲載されています。

 私には疑問のある部分がありますが、それはともかく、在日の現状を記すなかで、本国人との断絶というか、対立があるところに興味が引かれました。

「(東京の)大久保通りと職安通りにいくつもある狭い通り‥‥韓国の飲食店が並び、休日もなると日本の若い女性が飲食にくるのである。飲食店のオーナーも韓国からやってきた者が多く、日本の若い女性たちは、いわば韓国のソウルあたりの飲食街を散策しているような気分になる‥‥二〇年ほど前から職安通りに面した場所で飲食店を営んでいた七〇歳くらいの女店主は、『‥そのころは店が数えるほどしかなかった。ところが今では、韓国からきた連中にみんな取られた』と嘆いていた。この女店主は、自分の経営している周辺は自分の縄張りと思っていたのに、その縄張りを韓国から来た、いわゆるニューカマーたちに土足で踏み込まれたと嘆いているのであった。」(711頁上段~下段)

「昔から暮らしている旧在日コリアンと、数年前から日本にきて生活しているニューカマーとの間には、ほとんど交流がない。」(711頁下段)

「旧在日コリアンはニューカマーを上からの目線で見ているところがあり、逆にニューカマーは旧在日コリアンを、母国語を知らない日本人化した人間として見ているところがある。」(712頁上段)

「在日コリアンが韓国に旅行した場合、韓国語が話せない在日コリアンに対して、韓国人なのに、なぜ韓国語ができないのか?と問われる。そこで在日コリアンは深く傷つき、そもそも在日コリアンとは何か、という歴史的な経緯に対してまったく無知な本国の韓国人に強く反発する。韓国が日本の植民地になったのは誰の責任なのか。その根源的な問いを不問にして、在日コリアンを母国語もろくに話せない非民族的な存在であるかのようにみなす言説は容認できないのが、在日コリアンの立場なのである。」(712頁上段)

「在日コリアンは、いわば歴史のはざまに産み落とされた子供のようなようなものである。その子供が親を求めて彷徨しているのだ。そのことについて本国や組織の人間はほとんど理解していない。(712~713頁)

   このように、梁さんの所論には在日コリアンと本国人との対立について、かなりの分量を割いています。

 在日が、自分たちは韓国人であると名乗るなら、本国の人から、だったら何故韓国語ができないの、という疑問は自然だと思うのですが、梁さんによれば、それは歴史を知らないトンデモナイ言説となるようです。

 梁さんの言う「歴史」を在日が知っていれば、民族の言葉を勉強しようとする熱意は大きくなるはずですが、梁さんによれば在日はどんどん韓国語を忘れていきます。民族にとって極めて重要な言葉がこんな状況ですから、標題にあるような「在日文化の創造」とは一体どういうものなのでしょうか。

 梁さんが論じる「在日文化」とは、国籍は韓国・朝鮮でありながら本国人とは断絶し、中身は全くの日本人が創る文化と言えるようです。彼らの自民族文化へのまなざしは、日本人が異民族文化である韓国文化を見る目と変わりなくなります。

 そして韓流ブームで韓国文化に関心を寄せる日本人が非常に多くなりましたが、こういった人に「在日文化」を宣伝しても、異文化ではなく、日本文化の一つとして捉えられることでしょう。

 本国からも日本からも違いを持った「在日文化」が果たして成立するのか、疑問とするところです。

http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/burogu