『歴史通』(2012年1月号)に拙HP ― 2011/12/10
『歴史通』という雑誌の最近号に、私の名前とHPが記載されました。該当部分を引用します。
>「閔妃 肖像写真は妓生?」(三谷憲正)
>さらに関連する写真を学習院大学東洋文化研究所が所蔵していることを、辻本武氏の「『歴史と国家』雑考」ホームページを通して知りました。> 9~10頁
これは拙論「閔妃の写真はなかった」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dairokujuuhachidai のことです。7年も前の拙論を、このように覚えてくださるとは! 感謝感激ですね。
拙論が世の役に立っていることを知って、うれしく思いました。
ところで、この『歴史通』に掲載された三谷さんの論考に次のような一節があります。
>すると必然的に、これまで「閔妃」であると言われてきた(1に□)も同様に、①の背景にあった小道具をすべて取り払ってこのスタジオで撮られたものということになります> (12頁上段)
つまり、同一人物が同一スタジオで、背景の小道具を取り替えて二回撮影したかのように論じられています。
ところが、三谷さん自身が付記で紹介している金文子『朝鮮王妃殺害と日本人』(2009)のなかでは、(1に□)の写真の人物の背景を取り替えて合成した写真が①であると論じています。
そして(1に□)の写真は1895年の『戦国写真画報』にあり、①の写真はそれから9年後のロゼッティ『韓国と韓国人』(1904)に出て来る写真ということです。
つまり実際に撮影したオリジナルの写真は(1に□)であって、①はその数年後に加工された合成写真ということです。
確かに①の写真をよく見れば、合成写真のようです。(1に□)の写真と①の写真が同一スタジオで撮影されたものとするには、ちょっと疑問です。
元々あった(1に□)の写真の人物を、その時にあったスタジオの背景に貼り込んだ合成写真が①だと考えるのが自然なように思われます。
【注】 (1に□)は『歴史通』2012年1月号の5頁、①は7頁に掲載されている写真です。
金正日委員長、父と同じ病気で急死 ― 2011/12/19
北朝鮮の金正日国防委員長が亡くなりました。
この人の肩書について、10年程前に論じたことがあります。 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainijuukyuudai
ところで、彼の死因について「心筋梗塞と心臓ショック」と報道されています。‘おや!’と思ったのは、私だけではないでしょう。
17年前の1994年に、父親の金日成主席が亡くなった時も、その死因が「心筋梗塞に心臓ショックが重なった」とされました。つまり、親子が全く同じ病気で突然死したことになります。
また死後の措置についても、父の金日成の場合と同じく、病理解剖を行なったとか、外国からの弔問を受け付けないとか、報道されています。
今度の金正日の死に当たっての取り扱いが、父親の場合を踏襲するのは分かるのですが、死因までが同じというのがちょっと理解が出来ないところです。
先軍政治は改革開放を否定するもの ― 2011/12/23
金正日が亡くなり、金正恩が後継者となったので、北朝鮮は改革開放に向かうだろうという観測が強いようです。 その根拠は、改革開放しなければ北朝鮮は立ち行かないし、金正恩はそれを自覚しているだろうから、ということのようです。 しかしこれは勝手な観測でしかありません。その理由を論じます。
亡くなった金正日が「先軍政治」を掲げ、経済よりも軍事に重点を置きました。これは父親の故金日成の遺訓によるものです。
金日成は、晩年は息子に全てを任せて、わが国は順調に発展しているという報告に満足して、悠々自適の隠居生活をしていました。しかし1991年頃、北朝鮮の惨状に気付いてビックリし、金正日を叱りつけ、自ら国家運営に乗り出しました。そして不倶戴天の敵であるはずのアメリカや韓国と関係改善しようとしました。
金正日を叱りつけたことについて、後に金正日自身が次のように語っています。(1996年12月の秘密演説)
>首領様におかれては生前に私に絶対に経済事業に巻き込まれてはだめだとおっしゃいながら、経済事業に入り込むと党事業もできず、軍隊事業もできないと何回も念をおされました。
これは黄長燁書記の韓国亡命の際にもたらされた資料のようです。これによれば、金日成は金正日に、経済に関わるな、軍事に専念しろと命令しました。
先軍政治の出発点はここにあります。つまり金日成の遺訓なのです。金正日は父親の遺訓を守り、経済をかえりみず、ひたすら軍事に専念してきたのです。
軍事を司るだけの国防委員会が、なぜ国家全般事業行ない、外国との条約批准を行なう機関なのか、国防委員長がなぜ国家の最高職責なのか。 それは金日成の後継者であり、国家の最高指導者であるべき金正日が、経済に関わるな、軍事に専念しろという遺訓を受けたからです。
金正日は国家最高指導者でありながら、国防委員会で軍事に専念し、経済には知らん顔をするという変奇的な体制になりました。最高指導者が在籍するのが国防員会ですから、ここが国家の最高機関となります。これを1999年頃に「先軍政治」として公式に掲げて推進することとなったわけです。
今度の金正恩は、祖父である金日成から直接遺訓を受けていないので、その意味では自由ですが、父親の金正日の遺訓には従わざるを得ません。
しかし金正日は「先軍革命の道を歩まねばならない」との遺訓を残したようです。とすると、金正恩は先軍政治すなわち、経済に関わることなく軍事に専念することになります。改革開放によって我が国を立て直そうという発想は出てきません。
北朝鮮の経済崩壊状態は、先軍政治がある限り続くと見るべきでしょう。北朝鮮において物資的富の生産はできず、外国からの援助に頼るしかありません。
世界を威嚇し、振り回し、時には自国民の飢餓状況を見せて同情を買うなど、あらゆる手段を使って外国から援助を引き出そうとする、それが北朝鮮の先軍政治です。
金正日が具体的にどのような遺訓を残したのか分かりませんが、先軍政治が続く限り、改革開放はあり得ないと考えます。
労働組合の力関係論 ― 2011/12/29
公務員労働組合の労働運動や政治活動に、風当たりが強くなっています。
大阪では橋下市長が、市庁舎内にある労働組合事務所が政治活動の場所になっている、或いは交通局職員で組合役員が勤務時間中に政治活動したことが明らかになったことに激怒して、市庁舎から組合事務所を退去することを求めました。
今はもう無くなったようですが、かつて公務員の労働組合では勤務時間中に組合会議をするのが当たり前だったし、組合の連絡も役所の電話・ファックスを使うのが当たり前でした。
私は役所に就職する前は民間の労働組合の事務をしたことがあったので、勤務時間中に労働運動するというのにビックリしました。
勤務時間中に労働運動をするのは違法なのでは?と問うと、労働組合の力が強いからそれが出来るようになった、労使の「力関係」で獲得した成果だ、という答えでした。
役所の外郭団体では、労働組合会議に行ってきますと上司に堂々と告げて出張する組合員もいました。さすがに出張名目はそういうことではなく、業務だということになっていましたが。
また組合運動の成果だとして、就業規則に規定されている勤務時間を毎日15分早く退出する職員もいました。
年一回の組合総会を勤務時間中にすることも認められていたくらいでした。
これはともかく、これらのことを正当化する論理が「力関係論」でした。別に言えば、組合の力が強いのだから、それ位はいいじゃないか、というものです。それに文句をいうのは、組合の力を知らない不届きな奴、となります。
「力関係論」は法やルールの上に立った上での論理ならいいのですが、力が強ければ違法も許されるという風潮を作りだしたように思います。
そしてこの論理は麻薬のような力を持っています。私だけでなく多くの人がこの論理に感化されたものでした。