在日コリアンの「課題」2012/01/08

 『日本の論点2012』(文芸春秋)について、梁石日の論考については先に論じました。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/11/20/6208029

 この論考の続いて出てくる解説([基礎知識]在日コリアンのたどってきた道は?)では、在日コリアンの課題について、次のように論じています。(715頁)

このように日本への社会的・文化的同化が進むなかで、韓国籍を有していても韓国を祖国としてそこに帰属する意識はもてず、日本においては韓国籍でありながら「外国人」としての意識をもちにくい存在―この民族と国籍のずれの問題にどう取り組むか、韓国人でもない日本人でもない「<在日>コリアン」として、みずからのアイデンティティとエスニシティをどう確立するか、これが若い在日コリアンの抱える新たな課題として浮上しているようだ。

 書かれている内容は、1970年代から指摘されてきたことで、何も「新たな課題」ではありません。

 韓国籍をもっているが、韓国を自分の国とは思えない、生まれ育った日本こそが自分の国という感覚を持っている、といって日本に帰化はしたくない、という考え方は、数十年前も前からの継続してきたものです。

 これは課題というよりも、在日自らが選んできた道と言えるものです。つまり在日コリアンの「民族と国籍のずれの問題」、すなわちアイデンティティの混乱は、自らの選択の結果であるということです。

 在日は日本に帰化しない限り、日本は自分の国ではなく、他人の国です。

 帰化しない道を選択したならば、外国人としての意識を再確認する、これが在日コリアンの「課題」に対する当たり前の解答です。

 もう一つ指摘しておきたいことは、この「課題」は在日コリアンの課題であって、日本の課題ではないということです。つまり在日がアイデンティティに悩もうが、これにどう取り組もうが彼らの選択に任せるべきものであって、日本が抱える問題ではないということです。