勝てる相手を選んで闘争していた「差別語糾弾闘争」 ― 2012/02/19
1970年代のことですが、「鮮」は差別語であるとして、糾弾する闘争が始まりました。
その一人である梁泰昊さんが、確か文芸春秋だったと思いますが、そこが発行する本のなかに「鮮」が使われたとして抗議し、出版社側はその本をすぐに回収して、社内で梁さんを講師とする研修を行ないました。
その時、梁さんに「朝鮮の略称として『鮮』を使うのは、警察や自衛隊関係の本、右翼の本などに多数出てくる。そこには闘争しないのか?」と問うたところ、「そうなのだが‥‥」と全く気がありませんでした。
私はそういう所だからこそ、さらに闘志を沸かすものと思っていたのですが、全くその気配がありませんでした。
その時、差別語糾弾闘争は、相手がすぐに謝るだろうと思われるところ、つまり闘争の勝利を得やすいところを選んでるんだなあ、と知ることができました。
「闘争」において、相手が最初から強気で反応しそうな所は避けるというのは、それなりに合理性があるでしょう。しかし「社会から差別という不合理をなくしていこう」という考え方からは外れるように思えました。
それ以前に、「鮮」が何故差別語なのかを、十分に納得させるほどの解説がありませんでした。今もありません。
例えば朝鮮史において、14世紀の高麗末~朝鮮初期を「麗末鮮初」という呼ぶのは、韓国の歴史書にも出てきます。これは日本でも朝日新聞社の本にも出てきます。また岩波書店の本でも、朝鮮の略称としてカタカナ書きで「セン」が出てきます。これらは古い本ではなく、ここ十年ほど前の近年の本です。
差別語糾弾闘争とは一体何だったのか? 今でも疑問に思っています。
(参考) http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainijuuyondai
http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dairokujuunidai
コメント
_ 宇宙飛行士 ― 2012/02/22 17:57
_ 日本国公民 ― 2012/03/23 08:56
_ 辻本 ― 2012/03/23 20:35
当時はチョ・ヨンピルの「トラワヨ・プサンハンエ(帰って来て!釜山港に」という演歌が流行っていました。
ここから本の題名をつけたと聞きました。
義理で買いましたが、読まないで「積読」してました。
_ 日本国公民 ― 2012/03/26 13:44
_ abcd ― 2012/03/29 22:31
>指紋押捺拒否運動
今、韓国のビザを取得するには、10本の指の指紋を
取られるんですよね。
在日の人は、この件に対して何も言ってないのでしょうね。
韓国から日本にくるときは、右手人指し指1本だけですよね。
私は、切り替えのときは、指紋押捺の要請に応えてますが。
_ 辻本 ― 2012/03/31 08:13
あれ?両手人差し指ではありませんか?
_ abcd ― 2012/04/03 14:34
>あれ?両手人差し指ではありませんか?
またまた中途半端ですみません。
指紋偽造での入国でも片指しか写真に写っていないので、片手だけかなと思いました。
外国人登録証カードの切り替え時も、今は片手だけだったような(切り替えが5年、7年と延びて記憶が曖昧になってます)。
_ 日本国公民 ― 2012/04/08 09:34
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例えば、朝鮮の1760年代の地図には「鮮域圖」というのがあり(http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2008/05/1760s-korean-atlas-seonyeokdo.html)、
今の韓国でも朝鮮初期の清廉だった官吏3人を「鮮初三淸」と讃えています。
(http://www.ccnkorea.com/news/articleView.html?idxno=704)
「差別」を武器にした、ただの人権屋にしか思えないですが、
政治家、マスコミはああいう攻撃にはやはり弱いですね。