これは砧ではない ― 2012/07/25
(朝鮮日報日本語版) ロシア沿海州の渤海遺跡から砧が出土 朝鮮日報日本語版 7月25日(水)11時1分配信
東北アジア歴史財団(鄭在貞〈チョン・ジェジョン〉理事長)は24日、ロシア科学アカデミー極東支部の極東諸民族歴史学・考古学・民族学研究所と共同で、ロシア沿海州クラスキノ(渤海時代の名称は塩州)土城のオンドル遺跡を発掘した結果、長さ67センチ、幅18センチ、高さ8センチの直方体をした砧(きぬた)=写真=を発掘したと発表した。これまでも渤海の帰徳将軍・楊泰師の詩などの文献により、渤海にも砧があったと推定されてきたが、実物が出土したのは今回が初めてだ。
発掘団は砧のほか、塩州城では初出土となる、渤海時代の鉄製の「やり」2点(それぞれ長さ25.9センチ、24.1センチ)も発見した。今回改めて発掘されたオンドルは、渤海が高句麗の伝統を継承していたことを再確認させた、と財団側は説明した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120725-00001008-chosun-kr
古代の渤海時代の遺跡から「砧」が発見されたというニュース。これは砧を研究してきた私には見逃せません。 しかし写真を見ると、四角柱の形状をした石で、一見砧の台のように見えないことはありませんが、つるつるした面がないようです。 なぜこれが「砧」なのかの説明がありません。私にはただの角柱にしか見えません。 そもそも朝鮮半島における砧の具体像が分かる資料は、19世紀末の英人女性旅行家のイサベラバードの記録が初見で、それ以前に遡るものがありません。満州・沿海州は、さらに資料が不足します。
こんな状況なのに、千数百年も前の渤海遺跡で出土品を「砧」と判断するには、余りにも拙速だという印象を持ちます。
【参考】 砧については拙稿で論じております。
http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/04/07/1377485
http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/04/14/1403192
http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/12/22/2523671
http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/01/05/2545952
http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/05/11/5080220
http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/05/12/5082741
http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dairokujuurokudai
http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daikyuujuudai
http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daikyuujuusandai
http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakurokudai
http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakunanadai