法に対する思想が根本的に違う日本と韓国2012/09/11

 韓国の李大統領が、自分のした謝罪要求発言について釈明したようです。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120910-00000019-mai-kr

 この記事の中で気になったことは、韓国が日本対して不満を抱く一つが、「日本はいつも法律を持ち出してきて解決済みだと主張する」ということです。

旧日本軍による従軍慰安婦問題などについて日本政府は「賠償や財産、請求権の問題は法的に解決済み」との立場だが、李大統領は「なぜ法律論になるのか」といら立ちを示し、「日本は柔軟に対応してほしい」と強調。そうした思いが竹島上陸につながったと示唆した。‥‥‥

 かつて拙稿で、朝鮮人と日本人では法律やルールについて考え方が違うのではないかと論じたことがあります。

http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuuichidai の(追記)

朝鮮関係資料を調べるときに私の感じる印象が、法律やルールについての朝鮮人の考え方が日本人とは異なっていたのではないか、ということです。‥‥‥ 彼らには、人の行動を制約する法律やルール(以下「法」という)というのはお上が下々に対して課するもの、つまり支配のためのものであるという発想があるようです。だから支配される立場である下位の者ほどそれを守らねばならないが、逆に支配する立場の上位に昇ればそれだけ守る必要がなくなる、守らない程度の大きさがその人の社会的ステータスを表す、となっていきます。従って「法」を生真面目に守るのは低い地位の人間のすることだ、というような価値観になります。コリアンタイムもここから派生したものではなかろうか、と思います。     これはアジアで古くからある価値観だと考えられます。この考えではお上が下々を規制するものが「法」ですから、議会やみんなで決めたものよりもお上の個人的意思のほうが優先される社会となります。   一方近代的な考えでは議会やみんなで決めた法律・ルールが「法」ですから、上位の者こそが率先して「法」を守らねば下々も守るわけがない、あるいは「法」を守ることによって自分たちの権利が保証されるとなります。   前者の古代アジア的価値観は後者の近代的なそれとは全く違い、「法治」ではなく「人治」といわれる所以です。彼らはこの伝統的価値観を引きずってきたのではないか、というのが私の仮説です。

 今回の李大統領発言の釈明は、この古代アジア的価値観が現れたものと考えます。つまり日本の政府は下々の国民とは違ってお上なのだから、法律というものにこだわる必要はないだろう、なのに何故法律を持ち出すのか、という不満となります。

 しかし日本では法治国家なのだから政府も法律に基づいて判断・行動するのは当たり前となります。一方韓国では法律よりも人間の情を優先するという考え方となるわけです。

 韓国は今なおこの古代アジア的価値観を強固に維持していると言わざるを得ません。

 法に対する考えが、日本と韓国で根本的に違っているのですから、解決は難しいでしょうねえ。