朝鮮での徴用令施行は1944年 ― 2012/09/28
こういう記事を批判するのは本意ではないのですが、やはり歴史事実の間違いは指摘しておかなくてはなりません。
在日の思い詠み歌集に ◆生野のチョさん「過去でなく未来見て」 在日コリアン1世で2003年に帰化した大阪市生野区の歌人・チョ奎通(チョギュトン)さん(71)(本名・松田圭悟)が短歌214首を収めた『在日の歌 知らざる故国 何ぞ恋しき』(中井書店)を出版した。自身の半生を振り返りながら、日本と朝鮮半島のはざまで揺れる心情を、日本で学んだ短歌で表しており、チョさんは「日韓や半島、在日の歴史への理解を深めてもらえれば」と話している。(増田尚浩) 自身の半生を振り返り、約20年で詠んだ短歌をまとめたチョさん(大阪市生野区で) 1940年に現在の韓国・慶尚北道に生まれたチョさんは、父の徴用をきっかけに、43年に来日。父は東京の軍需工場や三重の陸軍飛行場で働き、家族を養った。 「五七五 七七」のリズムで詠む短歌に興味を抱いたのは中学時代。「31文字で一つのドラマを作る魅力を感じたから」という。 幼少期の飛行場の空襲体験は鮮明だ。 爆撃の炎はつつむ飛行場 父を憂いて母は狂えり チョさんは終戦を三重で迎え、高校卒業後、就職で生野区に移住。趣味の短歌を新聞投稿をきっかけに本格的に始めた。 79年に来日後初めて韓国に渡ると、生家の場所は花畑に。61年に帰郷がかなわず過労で亡くなった父を思った。 徴用の父の再び踏めざりし 故国の家跡に遺影を置きぬ その後も韓国を訪問。しかし、価値観や習慣で距離を感じ、日本での暮らしが、今の自分を形作っているとの思いを強くした。ただ、日本人と結婚した子どもたちの将来を考えた帰化には、今も複雑な思いを抱いている。 祖国とは憧れにして住めぬ国 六十年の空白あれば そも我は韓国人か日本人 時に自問す帰化なせし今も 領土問題で対立が際立つ日韓関係。チョさんは「過去ではなく未来を見据えることが大切」と語り、在日の若い世代に、「過去のしがらみを抱えた1世とは違い、友好を築く役割を担ってほしい」と願う。 日韓の血をひく孫よ願わくば 玄界灘へ橋をかけくれ (2012年9月24日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120924-OYT8T00055.htm
このなかで 「1940年に現在の韓国・慶尚北道に生まれたチョさんは、父の徴用をきっかけに、43年に来日。」 「徴用の父の再び踏めざりし 故国の家跡に遺影を置きぬ」とあります。
3歳にときに「徴用」された父親に従って1943年に来日したということなのですが、この父親は「徴用」ではありません。なぜなら、徴用令が朝鮮半島に適用されたのは1944年であるからです。
また徴用というのは戦時動員ですから、徴用された人が幼い子供を連れることはあり得ません。