『図録 植民地朝鮮に生きる』2012/11/02

 水野直樹ほか『図録 植民地朝鮮に生きる』(岩波書店 2012年9月)を購読。

 割とよくまとまった資料集で、なかなか参考になるものです。  歴史観は私とはかなり違う立場ですが、収録されている資料そのものは興味深いものが多かったです。

 ところでこの本のなかに、次のような記述があります。(3頁)

この図録には、ハングル、ハングル混じり、ハングルのルビ形式などの文章で書かれたポスターなどが多数収録されている。これらの資料は何を意味するだろうか。日本の植民地支配時期、特に戦時期には朝鮮語の使用が禁止されていたといわれるが、これらのポスターを見ると、支配当局は朝鮮語を認めていたとも受け取られる。しかし、本当はどうだったのか。‥‥‥端的にいうなら、戦時期に当局が使った朝鮮語は、あくまで戦時動員のためのものだったのである。

 何が言いたいのでしょうかねえ。素直に「朝鮮語は認められていた」「朝鮮語の禁止はなかった」と書けばいいものなのにねえ。

 それに、総動員態勢=戦時動員下の資料ばかりを集めていて、「朝鮮語は戦時動員のためのもの」という結論になるのはいかがなものでしょうか。   当時はラジオの音楽番組などの娯楽でも朝鮮語は使われていたのですがねえ。

 当時の公用語は日本語ですから例えば学校では日本語でしたが、一旦学校を出れば、朝鮮人社会の日常会話はすべて朝鮮語であった時代であって、朝鮮語を禁止されたことはありません。また朝鮮内の電報はハングルで送ることが出来たのです。  戦時動員とは関係なく、朝鮮語は認められていたのです。

 また86頁には

1940年に朝鮮語の新聞・雑誌が廃刊され

とあったのにはビックリ。この年は『東亜日報』『朝鮮日報』が廃刊になりましたが、『毎日新報』は残りました。総督府関係機関が発行する新聞は「新聞」ではないという論理なのですかねえ。

『図録 植民地朝鮮に生きる』(その2)2012/11/03

 岩波『図録 植民地朝鮮に生きる』では、1940年施行の創氏改名について、次のように解説しています。(86頁、127頁)

日本の家制度を朝鮮に導入して朝鮮社会を根本的に改編させるために、朝鮮人の姓を日本式の「氏」にかえるように実施されたのが、「創氏改名」である。総督府はこれを「天皇の恩恵」だと宣伝し、申請しないと社会的制裁を加えるなどとして申請するよう圧迫した。

1940 創氏改名の実施 朝鮮の家族・親族制度の解体・再編を目的に朝鮮人固有の姓や名を奪い、日本風の氏名に変えさせた

 創氏改名は、日本式の「氏」を新たに付け加えるものであって、朝鮮人古来の「姓」を変えるものではありません。朝鮮人の「姓」は戸籍に残っており、法的にも証明されるものでした。この本の89頁には、設定創氏(創氏を届け出たもの)の実際の戸籍が掲載されていますが、そのなかに「姓及本貫」欄があります。つまり姓は奪われたのでなく、残ったのでした。   従って、この本が「姓を氏に変えた」「姓を奪った」とする解説は不正確です。

 「名」の変更は、裁判所の許可が必要なもので、90%以上は改名をしませんでした。従って「名を奪い」は間違いです。

 また申請(届出)しないと「社会的制裁を加える」というのは、当時そういう噂があったのは確かですが、実際に総督当局が制裁することはありませんでした。

 この本に掲載されている戦時中の資料の中で、創氏改名後であるにもかかわらず、「黄聖集」という名前が記されており、日本風になっていないものがあります。(110頁) 朝鮮名を維持しても支障がなかったと言うことです。   この本が「姓や名を奪われた」「申請しないと社会的制裁される」とする解説と自己矛盾するものです。

『図録 植民地朝鮮に生きる』(その3)2012/11/04

 この本の39頁には、[『東亜日報』1927年11月13日付]と解説される新聞紙面が掲載されているのですが、この資料は『東亜日報』ではなく『朝鮮日報』です。

 この資料の最上欄に右横書きで「조선일보」とあります。

『SAPIO』の間違い記事 「韓国の強姦は日本の40倍」2012/11/09

 最近の『SAPIO』という雑誌に、「(韓国の)人口当たり強姦件数はなんと日本の40倍!」と題する記事が出ました。

 この件については拙論で論じたことがありますので、「40倍」という数字にビックリ仰天。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/08/31/6560292    拙論では、強姦等の発生件数でいえば、2010年の数字では韓国は19,939件で、日本の8,316件の2倍以上であり、韓国と日本の人口比を考えれば、人口当たりの件数でいうと5倍ぐらいになります。しかし『SAPIO』は40倍という桁違いの数字を出してきました。

 何事か!と思い、ここ数年買っていなかったこの雑誌を久しぶりに購入しました。『SAPIO』によると、2011年の統計で、韓国は19,498件、日本は1,185件だそうです。しかしこれは、韓国と日本の犯罪統計を読み間違ったものと思われます。

 韓国の犯罪統計は、強姦と性暴力(強制わいせつ)を合わせた数字を出しており、日本は強姦と強制わいせつは分けて数字を出しています。韓国では強姦だけの数字がありませんので、比較するとしたら日本も両方を合わせた数字にして比較するしかありません。これで比較するならば、「5倍」ぐらいの数字になります。     (2010年の数字ですと、日本の強姦は1,289件、強制わいせつは7,027件です。両方合わせると上述したように8,316件です。韓国も上述したように両方合わせて19,939件です)

 しかし『SAPIO』に記された統計は、韓国では両方を合わせた数字、一方の日本は強姦だけの数字でもって比較して、「40倍」という数字を出しているのです。

 要するに何の統計数字なのかが混乱したまま、「40倍」という間違った数字を打ち出し、見出しにまでしてしまったということです。

 恥ずかしい間違いですねえ。

 ところで、強姦と強制わいせつとは違います。  韓国では小学女生徒が性暴行され、腸と肛門が損壊状態で発見されたという痛ましい事件がありました。日本では、これは強姦罪ではなく強制わいせつ罪に分類される犯罪です。こうなると、分ける意味があるのか疑問になります。

【追記】  日本でも韓国でも『犯罪白書』が発行されており、インターネットでも公開されています。拙論でも、犯罪件数という基礎資料はインターネットで探しました。便利になりましたねえ。

『朝鮮日報』記事に出てくる若宮啓文のコラムとは2012/11/18

 「朝鮮日報」に次のようなコラム記事が出ました。

いわゆる「親韓派」を自認する日本の政治家や学者・メディア関係者は、 韓日関係上欠かせない重要な存在だが、これらの人々と対話をしていても、到底越えられない「壁」のようなものを感じることがたびたびある。      親韓派メディア関係者の代表格といえる朝日新聞主筆の若宮啓文氏が、 少し前に韓国紙に寄稿したコラムを読んだときも「空回りしているな」と感じざるを得なかった。      そのコラムで若宮氏は、天皇が韓国の大統領に対し「遺憾」を表明するためどれだけ苦心したかについて記し「(天皇には)謝罪の自由がない」と主張した。さらには 「天皇は、自らの発言を批判されても、反論する自由がない。日本で天皇批判がタブー視されているのは、天皇が神聖な存在だからというよりは、批判に対して反論できない存在だから」とも記した。      天皇に謝罪の自由はもちろん、反論の自由がないとは、なんとおかしな主張だろうか。天皇という神聖不可侵な存在を侵犯した出版物・メディアに対するテロの歴史を振り返ってみると、若宮氏の主張は認識の差どころか、事実をごまかしているに近い主張だといえる。‥‥‥

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/11/18/2012111800039.html

 この若宮さんのコラムを探してみました。「チャンネル」というところに、その記事がありました。2012年10月18日付です。日本語訳がないようですので、訳してみました。 http://news.ichannela.com/inter/3/02/20121018/50192952/3

[若宮の東京小考] 天皇ができる話とできない話          古い話であるが、1984年9月、全斗煥大統領の訪日の時、昭和天皇の会見を思い出してみた。        韓国大統領の初めての公式訪問、しかも国賓としての訪日であった。昭和天皇は過去の植民地支配の頂点であっただけに、どのような言葉で大統領を迎えるかが関心の焦点であった。どんな形であれ、謝罪が必要だという韓国の希望はよく分かるが、戦後日本国憲法で天皇は政治的発言を控えねばならない。その間の接点を探して、中曽根康弘内閣は頭を絞った。     当時外交j取材を担当していた私は、どんな発言が出てくるのか同僚たちとその内容を追跡していて、「遺憾」という単語が含まれるといおう確実な情報を手に入れた。今考えると大した言葉ではないが、当時の状況でしかも天皇の発言なら重みが違った。朝日新聞は大統領の訪日前日、果敢に「天皇が遺憾表明することに」と報道した。        ひやひやするなかで、ついに当日の晩餐会歓迎の辞で、天皇は次のように語った。「今世紀のある時期において、両国間に不幸な過去があったことを心より遺憾とし、二度と繰り返してはならないと考えます。」これで特ダネは確認された。

韓国大統領を迎えるたびに「過去」言及        当時日本としては最大限の発言であったが、韓国としてはどこか不足していたということは間違いない。全大統領は答礼の辞で、「我が国民とともに厳粛な心で傾聴しました」と答えたが、韓国の言論では「不足だ」「曖昧模糊だ」などの不満の評価が多かった。       それから6年後、今の明仁天皇は盧泰愚大統領を晩餐会で語った。‘昭和天皇の発言より一歩進展した表現を’という韓国側の強い要望もあって、日本側は熟考の末、発言を準備した。「我が国によって招来されたこの不幸な時期に、貴国国民が受けた辛さを思い、私は痛惜の念を禁じることができません。」        よく見れば分かるように、昭和天皇が語った遺憾の意より心が相当にこもっており、キーワードは「痛惜の念」であった。      事実、初案では「不幸な過去に胸痛む思い」という、ちょっと違った表現が入っていた。しかし、大統領訪日のちょっと前にこの内容が日本から報道されるや、韓国のある新聞が、天皇が「カスマプゲ」という歌謡を練習しているろいう時事満評を掲載した。日本のカラオケでもよく歌われた有名な歌であったが、これは困るとして日本政府が再検討して、最終的に「痛惜の念」に帰着したのである。       今夏李明博大統領が不満な事例として取り上げた天皇の発言は、この「痛惜の念」であった。しかし以前に天皇が迎えた盧大統領は記者会見で所感を聞かれて「私も国民も韓日の不幸な歴史についてこれでひとまず結末を見たと考えるものと確信する」と答えた。それだけに、李大統領の発言には私も非常に驚いた。        天皇はその後も韓国大統領を迎えるたびに過去に言及してきた。1994年には金泳三大統領に「深い悲しみの心」を表し、1998年の金大中大統領には「深い悲しみをいつも私の記憶の中に留めています」と語った。        韓国人はちょっと理解が難しいかも知れないが、発言としてはこの程度が限界であるのだ。明確な謝罪の言葉は総理がその責任下でしている。        もともと天皇には自由がない。国会召集と総理大臣任命という大きな職務があるが、このようなことは形式上の権限だ。一般国民に与えられた職業選択の自由もなく、居住移転の自由も、宗教の自由もない。平和を強力に望む心で、時々日本の過誤を口にするが、安保政策は語ることができない。       今天皇は自分の根本が朝鮮半島にあると明確に明らかにすることもし、韓国を思う心が誰よりも強いと考える。しかし、謝罪の自由がなく、自分の発言を批判されても反論する自由がない。日本で天皇批判がタブー視されているのは、天皇が神聖な存在であるよりは、批判に対して反論できない存在であるためだと言ってもよい。

「反論の自由」のない表現に限界       それでも多くの日本人は天皇と皇后を敬愛している。多くの不自由と重圧感を甘受しながらも、例えば災害被害地を訪問し、膝を屈して慰労の言葉をかけたり、外国との友好を望みつつ賓客を心より歓待しているわけである。      今天皇が韓国の土地を踏めば、言葉で伝わる以上の心を韓国の皆さんに感じることができるのである。しかしまもなく79歳になる老躯に果たしてそのような日が来ることができるのか。     若宮啓文 朝日新聞 主筆

日本の安部総裁を呼び捨てにする朝鮮日報2012/11/20

 11月15日付けの『朝鮮日報』に次のような記事がありました。

記事入力 : 2012/11/15 08:11  衆院解散:極右と連携し憲法改正狙う自民党    第1党への復帰が有力     日本の野田佳彦首相が「16日の国会解散と来月16日の衆議院選挙」について語った。野田首相は14日午後、国会内で行われた自民党・安倍晋三総裁との党首討論で「自民党が国会議員の定数削減に同意するなら、16日に国会を解散してもよい」と述べ、解散について突然明言した。政権与党の民主党は現在、衆議院480議席のうち180議席ある比例代表の定員を40議席減らし、140議席とする案を国会に提出しているが、野田首相が解散に言及したことを受けて安倍総裁は「議員定数削減に全面的に協力する」と述べた。これを受け、与党では直ちに幹部が集まり、16日の衆議院解散、来月16日の投票を正式に決めた。      ■「極右」安倍氏が次期首相の最有力候補       次の衆議院選挙では自民党の政権復帰が確実視されている。自民党の支持率は最近の共同通信による世論調査で27.7%を記録しており、民主党(12.1%)を倍以上も上回っている。民主党は2009年の衆議院選挙で「高速道路無料化」「児童手当」などのマニフェストを掲げて圧勝したが、財源に対する見通しの甘さからマニフェストを実行に移せず、支持率が急落していた。  次の衆議院選挙で自民党が勝利した場合、安倍総裁の首相就任が確実だ。安倍総裁は憲法改正による軍の創設や集団的自衛権の行使など、極右的な性向の公約をかねてから掲げている。侵略戦争に対する反省の念を表明した村山談話など、過去の政権による三つの談話の否定や、戦犯が合祀(ごうし)されている靖国神社への参拝も約束した。そのため安倍総裁率いる自民党が政権を握った場合、韓国や中国との関係が一層悪化するのは間違いない。自民党は自衛隊を軍に改変し、憲法で「象徴」とされている天皇を国家元首と明記すべきと主張している。

東京= 車学峰(チャ・ハクポン)特派員 

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/11/15/2012111500390.html

 この日本語版では自民党の安部さんについて、「氏」付けと「総裁」という役職名付きの二種類で記しています。ところがこの原文(韓国語)を読みますと、「아베(安部)」と呼び捨てにしています。小見出しでも呼び捨てです。(『朝鮮日報』2012年11月15日付け A16面)

 つまり韓国国内向けには外国の政党の党首を呼び捨てにしておいて、その国の訳では「氏」「総裁」付けにしたということです。さすがに問題だと思ったのでしょうか‥。

 韓国のマスコミでは逮捕された犯罪者でも「(씨)氏」付けにします。呼び捨てにするというのは、女児誘拐強姦殺人のような重犯罪者ぐらいです。そうであるのに、外国の政治家を呼び捨てにするとは‥‥。

 安部総裁に「極右」というレッテルを張るのは論者の主観ですが、人格を否定するような呼び捨ては、いかがなものなんでしょうかねえ。

外国人が日本名(通名)を使う理由2012/11/23

 数年前に韓国から来日したイ(李)さん。ある日、自分のことを「田中」という名前を使ったので、何故かと問うたところ、次のように答えてくれました。

 特に電話のときに、「はい、イです。」 と言っても、「はあ?」「だからイです。」「はあ?」「名前がイなんです。」 「リーさんじゃないのですか?」「リーじゃありません。イです。」 こんなやり取りが何回もあったんですよ。ある時、当時住んでいたところが「田中」だったので、「田中に住んでいるイだ。」「田中です。」と言ったら、すぐに通じたんです。それで、それから「田中」という名前を使うようになったんです。これで、名前で「はあ?」と言われるような、嫌なことが無くなりました。

 日本語では、イ(李)さんのように一音節の場合、名前だと認識するのが難しいものです。「イイ」「リー」と二音節にすれば名前と認識できますが、それでは本来の「イ(李)」という名前とは全く違う名前になってしまいます。「イ(李)」もどきの名前は、かえって違和感・抵抗感が大きくなるようです。

 結局は、日本名(通名)を使うことによって、名前に関して繰り返される嫌な体験から解放されたということでした。

 外国人の通名使用について反対する人が多いようですが、それぞれ色んな事情があるのですから、一概に反対すべきものではないと思います。

【参考】  「外国人の通称名はワガママか 」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/09/09/516945

在日の今後の見通し(犯罪率)について2012/11/25

在日韓国・朝鮮人の犯罪率について、「高い」と論じるものを提示してもらいました。 http://www.best-worst.net/news_3NJVVSMhi.html

 在日の犯罪率は、拙稿で7年前に論じたことがありますが、1960年頃で日本人の約5倍でした。

 「在日の犯罪と生活保護」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuurokudai

 この高い数字は1980年頃まで続き、その後減少します。在日の犯罪は「その他外国人」に分類されますが、それによると1980年頃の9,000人→1990年頃の4,800人と4割以上の大幅減少です。

 次に6年ほど前の拙稿で、帰化できる外国人は素行善良な人(犯罪性向のない人)に限られるので、いつまでも帰化しない在日の存在はイメージにダウンにつながると論じました。

「これまでの在日とその将来について(仮説)」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/05/01/348943

 >3、前に書きましたように、帰化できるのは素行善良な外国人だけです。従って帰化したくてもできない在日は素行不良と見られることになります。一方、考えがあって帰化を拒否する人がおられますが、同じ在日です。帰化していないで在日のままの人は、イメージダウンとなる可能性があります。>

 2チャンネンルなどのインターネット上の議論をみると、今このイメージダウンが現実化しているように思えます。  そういう意味で、私の6年前の見通しが当たったということになりましょうか。

 さらに今後の見通しですが、犯罪性向の在日は帰化は困難ですから、いつまでも在日外国人の地位に止まることになります。一方在日の帰化者は毎年7~8千人とされていて、この人たちは素行善良つまり犯罪性向のない人たちとなります。  つまり帰化をせずに在日韓国・朝鮮人のままの人たちのうち、犯罪者の割合はこれから高くなっていくだろうと見通せるのではないかと思われます。