在日の通名使用の歴史は古い2013/01/12

 戦前・戦中に来日した在日朝鮮人は、日本の終戦=朝鮮の解放になるまでの間、居住地の警察が組織した「協和会」に加入し、「協和会会員証(いわゆる協和会手帳)」を持つことになっていました。この協和会手帳には「本名」「通名」「内地名」の三つの名前を記載する欄がありました。ただし昭和15年(1940)の創氏改名令以降は、「本名」と「通名」の二つになります。

 「本名」とは戸籍に記載される名前です。「通名」とは当時の朝鮮社会では日常生活で戸籍名にはない名前を使うことが多かったためで、これを「通名」としていました。どちらも民族風の名前となります。そして「内地名」とは、来日してから日本で名乗る名前で、通常日本風の名前になります。つまり戦前の在日朝鮮人は、「本名」「通名」「内地名」の三つの名前があることを前提として行政当局に把握されていました。分かりやすく仮名でいうと、本名は「崔昌寿」、通名は「崔斗煕」、内地名は「大山昌次」というようになります。なお通名欄や内地名欄が空白の場合も多いのですが、これはその名前を使っていないということです。

 創氏改名以降は、「本名」欄に戸籍名、「通名」欄に日常生活で使う名前が記載されます。「本名」欄は民族風、「通名」欄では日本風の名前が多いですが、そうでない場合もあります。例えば分かりやすく仮名でいうと、設定創氏(日本風の名前で創氏)の場合は本名「大山昌次」、通名「崔昌寿」というようになります。また法定創氏(民族名のまま創氏)の場合は本名「金栄鉉」、通名は「金本正男」というようになります。なお通名欄が空白の場合もありますが、これは本名が日常生活で使われていたことになります。

 朝鮮人に複数の名前があるというのは特異なことではありません。日本人でも例えば昔の話ですが都会へ奉公に出ると、最初の丁稚の時、次の手代、番頭と出世する度に名前を変えることは普通でした。つまり戸籍の名前ではなく、社会的地位や働く場所によって名前を変える、つまり通名を使うことが珍しくなかったのです。従って朝鮮人が通名を使い、来日すれば日本風の名前を使うことについて、日本社会では違和感はなかったし、従って問題になることはありませんでした。

 これを問題化したのは、1970年代の在日の「本名を呼び名乗る」という左翼運動からでした。この運動の取り組む会議では、たとえ在日の生徒や保護者が泣いて抗議しようとも、心を鬼にして本名を呼び名乗らせねばならないという主張が堂々となされ、我が学校ではこれだけの数の在日生徒に本名宣言させたという報告が誇らしく語られたものでした。そして実際に通名を禁止して、本名のみの使用を強制する学校が出てきたこともありました。

 そして21世紀に入って、それまでの「左」とは逆の立場にある「右」が、レイシズムの観点からこれを問題にして通名禁止を主張し、さらには運動化するようになっています。

 私は、「右」も「左」もどっちもどっち、両極端は似るものだと感じています。