日本の‘いい加減’ ― 2013/10/01
結局、豊田有恒さんの著作『韓国が漢字を復活できない理由』は、その詳細を検証してみると、かなり‘いい加減’なものであることが分かりました。豊田さんでさえこうなのか、残念だ、という思いです。
彼の著作を取り上げたのは個人攻撃ではなく、この日本で発行されている本は検証してみると ‘いい加減’なものが実に多い、ということを言いたかったのです。
つまり日本人でも‘いい加減’は多いのです。例えば、日本の鉄道技術は世界最高だと言われていますが、この度のJR北海道の事件は‘いい加減’そのものです。日本の‘いい加減’は幾らでもあるのです。
自分の‘いい加減’を棚に上げて、他国・他民族を‘いい加減’だと非難する方がいますが、いかがなものかと思います。
「息を吐くようにウソを言い」と「いい加減」 ― 2013/10/02
ある民族を名指しして「息を吐くようにウソを言い」と揶揄する日本人がいます。だったら従軍慰安婦問題でウソを書き連ねてきた日本の大手新聞はどうなるのか?この新聞は100年以上の歴史を誇り、今も日本社会に大きな影響力を持っている我が日本の代表的新聞社です。
日本人のウソは「左」に限りません。「右」の極端な例としての「在特会」がどれほどウソだらけであるかは、拙論で繰り返し説明してきました。我が日本にも「ウソつき」は、「左」も「右」も関係なく一杯いるのです。それにも拘わらず他国・他民族を「ウソつき」呼ばわりするとは!我が日本はそれほど立派なのか?!と思います。しかし、これを公言する日本人が何と多いことか!!
他国・他民族への苦言・批判は、「しっかりとした根拠」と「論理の一貫性」に基づかないといけません。「しっかりした根拠」とは検証作業を経ている資料・文献・論文や直接体験です。大衆向けの雑誌などにあるような扇情的な文章ばかり読んで分かったような気分になることは、厳に慎まねばならないのです。また「論理の一貫性」とは、批判するにしても他国・他民族だけでなく自国・自民族にも同じ論理を貫いているのか、ということです。自らの弱点・汚点に目をつぶる他者批判は、醜悪でしかありません。しかしこのブログでは、他国・他民族を「息を吐くようにウソを言い」「いい加減」という批判投稿がかなり以前から相次いでいます。
検証することなくまた直接体験したこともなく、自分のことを棚にあげた他国・他民族批判は、単に醜いレイシズムです。
中国のカニバリズムを取り上げるのはレイシズム ― 2013/10/04
中国には「カニバリズム(食人肉)」はあるが、日本には「カニバリズム」はないと言う人がいます。これについては、間違いであることは既に確定していると思っていたのですが、まだそういうことを言っている人がいるとは、困ったものです。
大正時代に京都帝国大学の東洋史学教授の桑原博士は、中国のカニバリズムについて次のように記しています。
支那人間に於ける食人肉の風習‥‥目下露國の首都ペトログラードの食糧窮乏を極めたる折柄、官憲にて支那人が人肉を市場に販賣しつつありし事實を發見し、該支那人を取押へて、遂に之を銃殺せり。‥‥一體支那人の間に、上古から食人肉の風習の存したことは、經史に歴然たる確證があつて、毫も疑惑の餘地がない。‥‥支那人の人肉を食するのは、決して稀有偶然の出來事でない。歴代の正史の隨處に、その證據を發見することが出來る。‥‥雷同性に富み、利慾心の深い支那人は、この政府の奬勵に煽られて、一層盛に人肉を使用することとなり、弊害底止する所を知らざる有樣となつた。‥‥私も最近二三年間、この問題の調査に手を著け、多少得る所があつた。その調査の結果全體は、遠からず學界に發表いたすこととして、今は不取敢支那人の人肉發賣といふ外國電報に促されて、古來支那に於ける食人肉風習の存在せる事實の一端を茲に紹介することにした。(『東洋学報』)
博士は中国のカニバリズムについて本格的な論文(「支那人間に於ける食人肉の風習」)も発表しています。そしてその論文の前提は、カニバリズムは日本にはなかったというもので、野蛮な中国と文明の日本という自民族優越主義に基づく対比です。桑原博士の弟子にあたる宮崎教授は、次のように論じて批判しました。
ここに注意すべきは先生は最初、この風習(カニバリズムのこと)は中国には見られるが、日本には古来嘗て行われたことがなかったと、堅く信じておられたらしい点である。この主題を心にとめつつ見聞するところを総合すると、事実は必ずしもそうとは断定できぬのではあるまいか。‥‥今日の我々は桑原論文を他国他民族のこととしてではなく、我々自身の上に引きあて、内在する魔性を懺悔するの念を込めて読み直すべきだろう。(『東洋文明史論』)
このように日本にもカニバリズムはありました。中国のように人肉を販売する例は、江戸時代にあります。刑場の役人は死刑に処した死体から人肉(主に肝)を取り出して薬として販売しており、これが公認されていたのです。有名な例では山田浅右衛門がいます。山田家は人間の肝の販売で巨富を築いたと言います。さすがに明治時代になって禁止されたのですが、これ以降日本ではいつの間にかカニバリズムはなかったとする間違いの俗説が広まったようで、桑原博士のように著名な史学者もそのレイシズムに毒されたということです。今はこういった方面の歴史研究が進み、日本にはカニバリズムはないというような間違いはなくなったと思うのですが、そうでもないようです。
刑場の処刑人の人肉を薬として販売する風習は、古代日本では約400年間処刑がありませんでしたから、中世以降におそらく中国から渡ってきたのではないかと推測することは可能でしょう。
以上はカニバリズムが公認された例ですが、それ以外では飢饉や補給を断たれて飢えに苦しんで人肉を食べたというような話は日本の歴史上でもよく出てきます。また薬用目的に殺人して人肉を切り取る事件は明治以降に時々報道されています。あるいは近年では佐川パリ人肉食事件のような猟奇殺人事件があります。日本のカニバリズムは探せば結構出てくるものです。
結局、我が日本の例には目をつぶり、中国のカニバリズムを取り上げることは、レイシズムとしか言いようがありません。
日本人のウソ ― 2013/10/05
日本社会でもウソは多いですが、そのなかでも昔も今も一番よくあり、しかも悪質なウソは税金・経理関係ではないかと思います。
売り上げの誤魔化し、偽の領収書、架空のアルバイト雇用、カラ出張なんかは古典的な脱税・裏金捻出手法ですが、少額で目立たなければまず見つかることはありません。多額の脱税・裏金になると裏帳簿を作成したりします。 労務提供会社の人から、例えば毎日5人派遣する契約して、実際は4人派遣して差額をバックするなんて当たり前のようにやっていると聞いたことがあります。 私の経験では、百貨店で一旦商品券を買ってからその商品券で実際の商品を買い、それぞれから領収書を発行してもらうという手口を教えてもらったことがあります。ニセでない正規の領収書が信用力一番の百貨店から二枚も入手できるのです。こんな手口、今でも通用しているのですかねえ。 筆の先からお金を生み出すことを覚えれば庶務として一人前、なんていう諺(?)もありました。
会社のウソばかりではありません。電車・バスで交通費を申請しながら実際は車や自転車で通う労働者もいます。 出張でも規定された手順の通りにするのではなく安売りチケット屋で切符を買ったり知人宅に泊まったりしてお金を浮かします。 また営業が接待費を誤魔化して差額をポケットに入れたりします。こういったウソには罪悪感が麻痺するようです。発覚した時に出て来る言葉が「みんなやっているのに、何故私だけが?!」です。
税務関係の人から話を聞くと、日本人が正直だなんてとても言えるものではないことが分かります。 せっせとニセ書類を作成しての脱税・裏金捻出は日常茶飯事と言っても過言ではないほどです。 ただし余程のことでないと実際に摘発される例が少ないし、摘発されても運が悪かったという感じで、悪事を働いたという自覚はないということでした。
かつて官公庁の裏金問題が発覚した時、民間で叩けば埃の出ないところはないが、役所も同じことをしてるのか!と嘆いた人がいました。 またある会社では税務査察を受けて以来、法律絶対順守の指示が出て、そこの庶務担当の方が「これであのイヤなこと(不正書類の作成や財務監査でウソをつくこと)をしなくて良くなったのでホッとした」としみじみ言っておられたのを記憶しています。
日本人にも「息を吐くようにウソを言い」は、納税・経理というところでは十分に通用するのではないかと思います。
ゆめゆめ他民族をウソつき呼ばわりしてはいけません。
韓国の老人孤独死 ― 2013/10/09
韓国でも老人の孤独死が問題になってきました。私の記憶では、日本では1990年代の阪神大震災の際に仮設住宅等で孤独死する老人が相次ぎ、この問題が大きく取り上げられたものでした。この時韓国のある人が、老人の孤独死は家族を大切にしない日本そして福祉先進国と言いながらの余りにひどい日本社会を物語っていると言っておられたのを記憶しています。
確かに韓国社会は家族の絆が強く、また敬老精神も日本より上回ります。だから韓国では、我が国では老人の孤独死なんておよそあり得るはずがない、それが福祉先進国の日本で起きるなんて、何と酷い国であることか、と思われていたのです。
それから20年経ち、韓国でも老人の孤独死のニュースが少しずつ出てきました。先月に韓国で報道された下記のKBSニュースは、孤独死して5年間も気付かなかったというもので、さすがの韓国もショックだったようで、話題になりました。韓国もこれから高齢化社会に入りますので、一人暮らしの老人が多くなっていきます。
韓国は日本より20年遅れて、同じ問題で悩むということになるようです。
釜山で60代の女性が亡くなり5年経ってようやく発見されました。 5年の間、どの誰もこの老人の死亡を知ることができませんでした。 福祉も受けられず、一人暮らす老人たちがこのような孤独死の危機にさらされています。まずは黄ヒョンギュ記者です。 <レポート> 昨日の午前、多世帯住宅に賃借りで暮らしていた67歳の金某おばあさんが、白骨の状態で亡くなったまま発見されました。 分厚い服を重ね着しており、手には手袋をしたままでした。 警察はこれまでの5年間金さんを見なかったという近所の人の陳述から推定して、一人暮らしをしていた金さんが寒さに震えながら亡くなったものと推定しています。 亡くなった金さんの家の周辺は住宅密集地域で、ともに暮らす近所の人もいましたが、死亡したということが全く分かりませんでした。 親戚の往来がなかった金さんが他の用事で長期間家を空けていただけだと、近所の人たちは思っていました。 <録取>近所の人:「誰も知らなかったですよ。誰も見たことがないんですよ。同じ路地で暮らしている私も知らないし、他の人はさらに知らないですよ。」 区役所もやはり金さんの生死が分かりませんでした。 生活保護者などを本人が申請しておらず、自治体の管理対象から抜け落ちていたためです。 <インタービュー>金ソンギ(サンシ チョウプ洞住民センター):「生活保護者、老齢年金などの対象者でないために、私どもが事前に管理する方法はありません。」 警察は金さんの葬儀をしようという親族がいないので、解剖した後、自治体に引き渡す予定です。
韓国の多文化家族の子供たち ― 2013/10/12
韓国でも国際結婚がかなり増えています。一番多いのは中国やベトナム等の女性が韓国人男性と結婚して、韓国で家庭を営むものです。このような国際結婚家庭は韓国では「多文化家族」「多文化家庭」と呼ばれています。
韓国は日本以上に単一民族意識の強い国ですから、こういった家庭はかなり苦労しているのだろうなあ、特に子供たちにしわ寄せがいっているのではないか、などと思うのですが、「多文化家族たちが韓国社会に定着するのに言語/文化などの差による韓国社会適応と家族間の葛藤により様々な問題を抱えている多文化家族」といった抽象的な文章が目につく程度で、その具体像はなかなか表面には表れないようです。
『朝鮮日報』2013年9月26日付けの紙面に、多文化家庭の子供たちを垣間見る記事がありました。多文化家庭の家族写真の撮影ボランティアをしている方の記事です。
多文化家庭に‘希望’を撮ってあげるおじいさん 「全国に多文化家庭で生まれた子女の数は、もう20万人の水準です。 その子供たちが成年となって社会に出て来る前に、私たちがちゃんと教育してあげなければなりません。」 韓ヨンウィ(66)インクロバー財団理事長は、中国、日本、ベトナム、フィリピンなど外国人女性たちが韓国人と結婚して家庭を営む多文化家庭の子供たちに「写真を撮ってくれるおじいさん」で知られている。‥‥ 今まで1,440家族の写真を撮ってプレゼントした。 ‥「多文化夫婦では結婚式写真も家族写真もない場合が大半です。だから皆さん精一杯着飾って来て、喜んでくれます。」 ‥韓理事長が見せてくれた写真には、お母さんの国の伝統の服装を着た子どもたちもおり、韓服を着飾った子供たちもいた。 ‥「皮膚の色も違い、外見も違うが、みんな韓国人ですよ。大きくなって韓国社会の構成員になるんですよ。‥‥ 高校に通う年齢の多文化家庭の子どもたちの60%以上が中途で脱落します。その子どもたちが結局何をするのでしょうか?学校も行かず、外見も違い、韓国語も下手な子供たち‥‥ 多文化カップルの30%が離婚する現実のなかで、こういった子どもたちのための寄宿舎を備えた学校が切実に必要です」
国際結婚で生まれた子どもの数が20万人、両親の離婚率3割、子どもの高校中退率6割以上という数字が出てきました。
韓国人男性が国内で結婚相手を見つけられず、海外に相手を探し出す現象が出てきてから20年ほどが経ちます。妻となった人のほとんどは韓国語ができませんので、家庭内のコミュニケーションは難しいものです。そのせいでしょうか、表沙汰になった家庭内暴力事件が時折ニュースで出てきます。しかしそれでも子どもは生まれます。その子どもたちが韓国社会に適応できず、高校中退者のまま成人になっていく場合が多くなっているということです。
日本では日系南米人家庭、中国残留孤児家庭などの子どもたちが日本社会に適応できずに問題行動を起こすことが報道されたことがありました。
こういう子どもたちの問題は、日本にしろ韓国にしろ心痛むものです。
朝鮮戦争時における性事情の一風景(1) ― 2013/10/16
崔吉城『韓国民俗への招待』(風響社 1996年9月)という本のなかに、韓国の売春について分析した論文があります。そのなかで、論者が朝鮮戦争時に体験した性暴行や売春について思い出話風に報告しています。興味深いので一部を紹介します。
‥‥私の故郷は三八度線(休戦ライン)付近の小さなむらである。‥‥性に関しても儒教的な倫理が強く、女性の貞操や淑女としてのモラルを守ることには厳しかった。 1950年代初め頃‥‥村の青年の中にソウルのある大学の学生がおり、その青年が村の女性と恋愛したのである。‥‥朝鮮戦争が起きると、その青年は北朝鮮の運動員となり彼女はそれに協力した。しかし青年は結局越北してしまい、彼女は村に残されてしまった。そして韓国軍が入った時、彼女は共産主義者として軍人たちに集団暴行されたのである。その後、中国人民解放軍が侵攻して村に入った時、村人は極端に恐れたが、彼らは意外におとなしかった。女性に振り向きもせず、性暴行は一切なかった。老人には煙草や薬を与えたりしたので、村人は武力は弱くても良い軍隊だと思った。‥‥(114頁)
休戦直前から村のまわりには米軍が駐屯するようになった。村では韓国軍や国連軍が入ることを歓迎したが‥‥国連軍という軍隊に性暴行が多いのには驚かせた。 畑仕事をしていた若い女性が、米軍のジープで連れ去られ集団性暴行された事件があり、隣村では性暴行した黒人を殺してしまうという事件も起こった。そうしたニュースはすぐ村々に広まり、若い女性は老人のように仮装したり子供をおんぶしたりして隠れたが、彼らは犬を連れてきて探したりした。性暴行には若い女性だけでなく少年も対象になった。私の友人などは、畑で仕事を手伝っている時に米兵が現れ、性器をなめさせられたり口に入れられたりした。 私の隣家にも若い娘がいた。ある夕方それを知った二人のイギリス兵がその家を急襲し、一人は彼女を捕まえて部屋の中で暴行しようとし、一人は銃をもって見張りをしていた。それを見かねた彼女の祖母が、危険を覚悟で鉄製の熊手鍬を持って板の間を叩いたのである。驚いた彼らが逃げだす光景を私は鮮明に覚えている。まさに、儒教道徳が西洋に奪われる恐ろしい時期であった。(115~116頁)
その最中に若い売春婦たちが大勢村に現れた。村人は美女たちを歓迎した。まるで彼女たちは村の救い主のようであった。彼女たちがいなければ村の女性は全部性暴行されてしまうという恐怖を感じていたのである。性暴行を免れるために村人は売春を歓迎した。売春婦たちに部屋を貸して収入を得られるし、村は性的安全が守られる。村人たちは決して売春婦を軽蔑しなかった。‥‥‥米軍MPや警察当局は売春を一応取り締まったというが、私の村では一度もなかった。 村は売春村となって西洋文化と接するようになった。売春婦と仲良くする人も多く、ある村の男は売春婦と寝たりして夫婦喧嘩になったりもした。村の女性は売春婦の衣装から相当影響されたし、男性は米軍の軍服などを作業服にした。一時的ではあるが村は経済的に豊かになり、私たちは缶詰の食品やコーヒーの味も味わった。‥‥(116~117頁)
朝鮮戦争時における性事情の一風景(2) ― 2013/10/19
その後、村の米軍部隊は4キロほど離れた東豆川市に移動し、長期的に駐屯するようになった。大部分の売春婦はそちらへついていった。そこには洋セクシーや洋カルボと呼ばれる女性(西洋人相手の売春婦)が兵士の2・3倍はいるといわれていた。 米軍部隊のあるところは、軍と売春婦が景気を握っているといい、もし米軍が外出禁止になるとすぐに不景気になるという。こうした駐屯地の門前町として全国的に有名なのは、ソウルの梨泰院、京畿道の波州と鳥山、大邱などである。そこは町並みもアメリカの風景のようであり、治外法権地域として知られている。売春婦たちは韓国軍の周辺にもおり、主に軍人たちが利用する駅の周辺を中心に「倫落街」が形成された。つい最近までソウル駅や清涼里駅の周辺には売春婦が密集していたが、このような事情は都会であれば全国的な現象であった。 米軍による暴行や殺人事件、婚約を守らない米兵を恨んで自殺した事件などもたびたび報道された。売春婦たちが死体をかついでデモをしたり、社会問題になったこともあったが、米軍は共産主義から守ってくれたのだし、平和を守ってくれる恩人ということで、大きく拡大されたことはない。売春婦たち自身の反社会的で恥ずかしい存在であるという自己認識と、大きな武力にはなにもできないという無力感もあったのだろう。‥‥‥(117~118頁)
売春婦たちは大体は民家を借り、家族の雰囲気を出すような飾りつけをして米兵を得意客にした。ホームシックの米兵にとっては家族的雰囲気を味わい、慰められるのであろう。まさに「慰安婦」の機能をよく果たしたといえる。‥‥ 多くの売春婦たちは、運がよかったらアメリカへ行けるかもしれないという国際結婚の夢をもっている。‥‥売春婦が米兵と国際結婚した例は実際多いようである。売春は結婚という「正道」から逸脱した行為であるが、逆に売春婦からはその道が結婚への道のようにも考えられているし、実際その機能も一部では果たしている。倫理道徳を叫ぶ人からすると、実にアイロニカルな現象であるといえる。‥‥‥(118頁)
整理すると、まず戦争中一時的ではあるが、性暴行や性犯罪を防ぐために、住民たちが伝統的に強かった儒教の性倫理を弱めて売春を認め正当化し、またそれを積極的に収入源とした事実があった。そのような現象は私の村だけではなく、駐屯基地を中心に広い地域で行われ、それがなかば公娼的に存在するようになった。逆に女性の立場を見ると、特に貞操を尊重する韓国社会において、それを失い結婚が難しくなった人が多くなったことになる。彼女たちはそれでも結婚を夢見、日本やアメリカなど外国までも求める傾向がある。さらに、ある場合には売春が結婚への道をも提供するような皮肉な事例さえあり、その意味では結婚と売春の区別が曖昧になっていく傾向があるといえる。(124頁)
こういう冷静な論考は興味深いものです。
ところでこの崔吉城さんの論考の中で、「中国人民解放軍が侵攻して村に入った時、村人は極端に恐れたが、彼らは意外におとなしかった。女性に振り向きもせず、性暴行は一切なかった。老人には煙草や薬を与えたりしたので、村人は武力は弱くても良い軍隊だと思った。」とあります。朝鮮戦争時の中国人民解放軍の倫理の高さは、私もよく聞いたものでした。
北朝鮮の人民軍は韓国を占領した時にかなりの乱暴を働いたので非常に評判悪いのですが、中国の人民解放軍は意外に評判がいいのです。軍隊はそれ自体が強大な権力であり若く血の気の多い男ばかりですので、その性欲をどのようにコントロールするのかが軍当局者の悩みになるのが普通なのですが、中国人民解放軍には何故なのかそんな問題が出てきません。韓国で中国人民軍が進駐してきたら、最初は北朝鮮の人民軍の再来かとばかりに恐れていたのが、乱暴や盗みなどはなく、山で薪を取ってきたら一部を村人に分けてくれるなど、とても親切だったという話ばかりでした。
在日の通名は特権ではない ― 2013/10/23
在日の通名については、下記【拙稿一覧】で繰り返し論じてきました。さらには拙稿で次のように論じました。
インターネットでは 「在日朝鮮人が悪さする時に、通名を使った口座をいっぱい作り、架空請求詐欺などにフル活用され、更に通名変更は容易に行われるので被害は後をたたない、脱税にも使われているという」 というデタラメ情報が飛び交っており、これを信じ込むトンデモ人間が多いです。本ブログでもこんな人がやたらと投稿してきます。その内容は、もはやレイシズム狂信者としか言いようがないものばかりです。議論すること自体が無駄なことだと悟りました。
http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/08/13/6945717
ウソに踊らされているのか、ウソを広めようとしているのか、よく分かりませんが、このような人が意外と多いのにビックリします。まるで自分は在日の悪事を知っているのだ、と言わんばかりの似非正義感があるようです。 このような心理状態は韓国での反日世論と類似しているようで、研究対象としては面白いかも知れません。
【拙稿一覧】
在日の本名とは? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/07/01/6497383
通名を本名と自称する在日 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/07/04/6500499
日本名を本名とする在日朝鮮人 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/18/6663657
通名禁止、40年前から「左」が主張と実践 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/01/05/6681269
在日の通名使用の歴史は古い http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/01/12/6688526
外国人の通称名はワガママか http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/09/09/516945
外国人が日本名(通名)を使う理由 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/11/23/6640875
外国人の名前が日本文化に馴染まない例 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/17/6662794
出自を隠すための通名には事情がある http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/21/6666178
「通名禁止」主張はレイシズム http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/29/6673689
ある在日の通名騒動記 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/07/16/6904707
通名・本名の名乗りは本人の意思を尊重せねば http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/07/28/6925152
外国人が通名で銀行口座を設ける場合 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/08/13/6945717
張赫宙「在日朝鮮人批判」(1) ― 2013/10/27
張赫宙(1905年生)は戦前(=日帝強占期)の朝鮮人作家として有名で、小説「餓鬼道」「岩本志願兵」や脚本「春香伝」などがあります。終戦(朝鮮の解放)直後は親日文学者の代表的存在と批判されました。その後日本に帰化して「野口赫宙」名で歴史小説やミステリーを書いて活躍。1997年没。
張赫宙の簡単な経歴は以上です。彼は戦後の『世界春秋』(1949年12月号)という雑誌に、「在日朝鮮人批判」というエッセイを書いています。戦後の混乱期のなかで、自分が体験した在日朝鮮人たちの‘振る舞い’について語るものです。在日朝鮮人の知識人による所感であり、大変興味深い資料です。このうちの一部を紹介します。
終戦直後の或る夜、私は信州に帰るために、満員すし詰めの汽車に乗り、箱の中の通路に、漸く足のおき場を見つけた。 が、その頃栄養失調の私は、僅か十センチ平方のその足場に立ち通しで居ることは困難であった。それは非常な苦痛であった。 と、ある駅に列車が停まった。窓から入る人を防ぐために、そこの窓際の人は窓を閉めて開けなかった。 が、顔の黒い頑丈な人が、ガラスをぶっ壊すばかりに叩いた。 窓際の人は、仕方なく開けた。 外の人はキッと中の人を睨んで、窓から入るなり、馬鹿野郎と怒鳴って、窓際の人を殴った。 激しい勢いであった。 私はそのことばの発音で、すぐに朝鮮人だとわかった。 窓から入ってきたのは四人だ。座席と座席の間にも人が立っていた。 四人は土足で私たちを押しのけ、踏みつけながら、思い思いの方に進んだ。 押しのけ、つきのけ、大変な乱暴だ。 と、その人達は網棚に手をかけた。 はっと見ていると、リュックや鞄をばらばらと下へ投げる。 悲鳴が起きたり不平が出た。 が、なにッ?と睨まれて皆は黙った。 網棚を一間ほどあけたところに、その人は悠然と横になり、ほくそ笑んで、煙草をふかした。 ほかの三人も同じようにした。網棚から網棚へ、彼らは朝鮮語で話しを始めた。その真下に居る人達の顔へ、煙草の灰が落ちたりした。 が、皆、泣きね入りだった。 わたしは四人をたしなめようと思った。 不愉快であった。 図太さに呆れた。非難のことばを、朝鮮語でいおうと、私は身構えた。 が、無駄だという気がして、私は眼をつぶった。 彼らが下車するまでの二時間、私は泣きべそをかいていた。(69頁)
信州から現住の村へ引越して間もなく、東京からの帰りに、武蔵野電車に乗った。 例によって車内は混雑した。 途中のある駅で、入口の扉が開くと同時に、おい、そこどけ、という身ぶりで、先頭の赤ら顔の人が、頑丈な腕で、中に居る人を二つに分けながら、八人ほどつづいて乗った。 と乗客がさっと箱の両端に遠のいて、一坪ばかりをあけた。 危険を避ける時のあのかんの早さと機敏な動作で、さっと遠のく人達を尻目に、その八人は、「さあ、常会をやろう」 と、日本語でいって、車座になって、ふざけた。 議長を決めたり、議題を出したりして、悪ふざけるのだ。 赤ら顔の牛のような頑丈な男が、私の靴の上に座ったので、 「君、そこをどいてくれ」 といったら、「なにィ」と、その人は私をにらんだ。 「あのう、こんな狭い中で、こんなことしないでもいいと思うがね」 と、私はすかさず朝鮮語でいった。 「へ! きさま(イチャシッ)!親日家だね?」 と、憎々しく見つめて 「おい!ここに親日家がいるぜ。こいつの面を見ろよ」 と、仲間にいった。 「なに?親日家?どこだ。どいつだ?」 「殴っちまえ」 「まあ!止せ。議長!殴るか殴らないか決めよう」 「ヘッヘへへ」 両方に遠のいた人々の中には、学者、新聞記者、教授、そういう顔が相当にいた。 皆がじっと心配して私を見ている。 私は、同胞諸君が私を殴らないであろうことを知っていた。 彼らは悪ふざけをしているにすぎない。 解放された喜びを、そういう風に表現しているのだ。 何処かで、地下壕でも掘らされていた徴用夫であろうか。 彼等の顔やからだに、それが現れている。私は裸にされたように恥ずかしく情けなかった。 所沢でその八人は下りた。 私は窓際で、黄昏れる武蔵野の平野を眺めながら、複雑な感想にふけった。(69頁)