朝鮮戦争時における性事情の一風景(2) ― 2013/10/19
その後、村の米軍部隊は4キロほど離れた東豆川市に移動し、長期的に駐屯するようになった。大部分の売春婦はそちらへついていった。そこには洋セクシーや洋カルボと呼ばれる女性(西洋人相手の売春婦)が兵士の2・3倍はいるといわれていた。 米軍部隊のあるところは、軍と売春婦が景気を握っているといい、もし米軍が外出禁止になるとすぐに不景気になるという。こうした駐屯地の門前町として全国的に有名なのは、ソウルの梨泰院、京畿道の波州と鳥山、大邱などである。そこは町並みもアメリカの風景のようであり、治外法権地域として知られている。売春婦たちは韓国軍の周辺にもおり、主に軍人たちが利用する駅の周辺を中心に「倫落街」が形成された。つい最近までソウル駅や清涼里駅の周辺には売春婦が密集していたが、このような事情は都会であれば全国的な現象であった。 米軍による暴行や殺人事件、婚約を守らない米兵を恨んで自殺した事件などもたびたび報道された。売春婦たちが死体をかついでデモをしたり、社会問題になったこともあったが、米軍は共産主義から守ってくれたのだし、平和を守ってくれる恩人ということで、大きく拡大されたことはない。売春婦たち自身の反社会的で恥ずかしい存在であるという自己認識と、大きな武力にはなにもできないという無力感もあったのだろう。‥‥‥(117~118頁)
売春婦たちは大体は民家を借り、家族の雰囲気を出すような飾りつけをして米兵を得意客にした。ホームシックの米兵にとっては家族的雰囲気を味わい、慰められるのであろう。まさに「慰安婦」の機能をよく果たしたといえる。‥‥ 多くの売春婦たちは、運がよかったらアメリカへ行けるかもしれないという国際結婚の夢をもっている。‥‥売春婦が米兵と国際結婚した例は実際多いようである。売春は結婚という「正道」から逸脱した行為であるが、逆に売春婦からはその道が結婚への道のようにも考えられているし、実際その機能も一部では果たしている。倫理道徳を叫ぶ人からすると、実にアイロニカルな現象であるといえる。‥‥‥(118頁)
整理すると、まず戦争中一時的ではあるが、性暴行や性犯罪を防ぐために、住民たちが伝統的に強かった儒教の性倫理を弱めて売春を認め正当化し、またそれを積極的に収入源とした事実があった。そのような現象は私の村だけではなく、駐屯基地を中心に広い地域で行われ、それがなかば公娼的に存在するようになった。逆に女性の立場を見ると、特に貞操を尊重する韓国社会において、それを失い結婚が難しくなった人が多くなったことになる。彼女たちはそれでも結婚を夢見、日本やアメリカなど外国までも求める傾向がある。さらに、ある場合には売春が結婚への道をも提供するような皮肉な事例さえあり、その意味では結婚と売春の区別が曖昧になっていく傾向があるといえる。(124頁)
こういう冷静な論考は興味深いものです。
ところでこの崔吉城さんの論考の中で、「中国人民解放軍が侵攻して村に入った時、村人は極端に恐れたが、彼らは意外におとなしかった。女性に振り向きもせず、性暴行は一切なかった。老人には煙草や薬を与えたりしたので、村人は武力は弱くても良い軍隊だと思った。」とあります。朝鮮戦争時の中国人民解放軍の倫理の高さは、私もよく聞いたものでした。
北朝鮮の人民軍は韓国を占領した時にかなりの乱暴を働いたので非常に評判悪いのですが、中国の人民解放軍は意外に評判がいいのです。軍隊はそれ自体が強大な権力であり若く血の気の多い男ばかりですので、その性欲をどのようにコントロールするのかが軍当局者の悩みになるのが普通なのですが、中国人民解放軍には何故なのかそんな問題が出てきません。韓国で中国人民軍が進駐してきたら、最初は北朝鮮の人民軍の再来かとばかりに恐れていたのが、乱暴や盗みなどはなく、山で薪を取ってきたら一部を村人に分けてくれるなど、とても親切だったという話ばかりでした。