朝鮮研究の将来は危機的-古田博司 ― 2013/12/23
古田博司さんの最近の論考である「韓国、終わりなき反日挑発の歴史的根源を抉る」(『正論』産経新聞社 2014年1月号)読む。彼は、韓国・朝鮮に対する国民意識が覚醒してきているにも拘わらず、これからの朝鮮研究がかなり危機的だという見通しを立てておられます。彼の論考を紹介します。まずは「国民意識の覚醒」から‥‥。
これまで反日的な知識人やマスコミ報道によって、「日本が植民地時代に悪いことをしたから、韓国人が怒り続けるのも無理はない」と思わされてきた多くの日本人も、さすがに嫌気がさし、「日本=悪」という単純な歴史観に疑問を抱き始めている。 40年近く朝鮮研究をしてきた私にとっては、ようやく迎えた国民意識の覚醒である。(54頁)
国民意識が本当に「覚醒」となっているのか私には疑問なのですが、「日本=悪」という歴史観に国民が批判的になってきているという見解には賛成します。
ところが古田さんは、このような国民の動きがあっても肝心の朝鮮研究が危機に向かっていると論じます。
だが一方では強い危機意識も抱いている。このままでは日本の朝鮮統治時代を実証的に研究する学者がいなくなってしまうという現実があるからだ。 いま本格的に実証的研究を続けているのは、わずかな学者であり、おまけに彼らには弟子がほとんどいない。日本の学界、言論界では韓国側の歴史観に近い発言をする左派やアジア主義者ばかりである。せっかく国民意識の目覚めを学術的に支えるべき実証的研究者がいないのでは話にならない。このままいけば、結局は、韓国の歪んだ歴史観がまさって、本当に世界標準の歴史観となってしまいかねない。事実を述べる学者が滅びれば、真実もまた滅びるのである。(54~55頁)
マルクス主義幻想に支配された学界は、史実に目を閉ざし、虚構の歴史を追い続けた。やがておかしいと気づく研究者も現れた。朝鮮古典文学研究の野崎充彦、朝鮮中世経済史の須川英徳、朝鮮経済史の木村幹などは、その先駆者だったが、その後が続かなかった。(63頁)
古田さんには自分が長年やってきた実証主義的朝鮮史研究に後継者がいないようです。そして彼が先駆者と高く評価する朝鮮研究者たちもまた、弟子がいないようです。大学で何十年も研究と教育に携わってきた方が「弟子がほとんどいない」「後が続かない」と嘆いておられるのです。研究は多大な成果をあげてこられたと思うのですが、教育はどのようにしてこられたのでしょうかねえ。
一方でいまもマルクス主義者たちの虚構の歴史観、そこから生じた韓国の民族主義史観に加担する日本の学者は絶えることがない。(63頁)
古田さんによれば、ご自身が「“日本=悪”という単純な歴史観」とあれほど批判してきた「マルクス主義者」の歴史研究者には後が続いており「絶えることがない」、つまり後継者が輩出しているということのようです。つまり古田さんが「虚構の歴史観」「単純な歴史観」「韓国の民族主義史観に加担」と批判する歴史研究者の方が、古田さんらの「実証的研究者」より将来展望があるということになります。
そして古田さんは自分たちの実証的研究が滅びることを予見します。
日本の朝鮮統治を検証する上で欠かせないのは、贖罪意識を排し、事実に即したレベルの高い実証研究である。慰安婦問題でも同じで、必要とされるのは、河野談話の前に日本政府が行なったような杜撰な調査ではなく、実証研究である。それを担う研究者が滅びないようにするには、どうすればいいのか。放っておけばおそらく滅びてしまうであろう。(63頁)
さらに古田さんは次のように訴えます。
日本はいま、国として研究者の育成に乗り出す時期に来ているのではないだろうか。(63頁)
しかし具体的に「研究者の育成」の仕事をするのは研究と教育を専らとする大学教授になるはずです。古田さんご自身がその身分に既になっておられます。ならば国任せにするのではなく、先ずはご自分がどのようにして「研究者育成」をするのかが重要だろうと思うのですが‥‥。
それ以前に古田さん自身が、生涯を賭けてきたはずの朝鮮研究には魅力のないことを言っておられます。
他律性の歴史しか持たない朝鮮には、独自の文芸など発展しなかったために、研究に取り組もうとする学者の意欲がわきにくいという一面はもともとあった。老後に読むものがない、つまり一生を賭けた研究の対象としての魅力に決定的に欠けているのである。(63頁)
本来は、朝鮮研究はこんなに面白いぞと宣伝して若手研究者を集めねばならないと思うのですが、ご自分から「魅力に決定的に欠けている」と言っておられるのですから後継者はなかなか出て来ないでしょうねえ。古田さんが恐れる「韓国の歪んだ歴史観がまさって、本当に世界標準の歴史観となってしまいかねない」事態は、実際に起きると見た方がいいようです。日本における朝鮮研究の将来は先細りで暗いと言わざるを得ないということです。
近い将来に設立されるであろう第3期日韓歴史共同研究委員会や、朴大統領が提案し日本も賛成した日韓中の共通歴史教科書作成は、古田さんらのような「実証的研究者」ではなく「韓国の民族主義史観に加担する日本の学者」が関わることになるのかも知れません。
いま日本では嫌韓・厭韓・反韓記事が載る雑誌がたくさん売れてブームのようになっていますが、肝心の学術的実証研究の将来が危ういのですから、このブームの底は浅いものと考えた方がいいでしょう。本稿冒頭で「国民意識が本当に『覚醒』となっているのか私には疑問」と書いた意味は、正にここにあります。