漢字を廃止した韓国で「知的荒廃」?-呉善花(2)2014/01/12

 呉善花さんの所論の大きな問題点は、具体例を提示していないことです。「抽象度の高い思考を苦手とするようになった」(58頁)、「漢字廃止が戦後韓国の知的荒廃を推し進めた」(62頁)、「漢字廃止が国民の思考水準を低下させた」(69頁)と論じるのであれば、まずは韓国の「抽象度の高い思考を苦手とする」や「知的荒廃」、「思考水準の低下」の具体的事例を提示して、それが漢字廃止に原因があることを証明せねばなりません。

 この証明はそれほど難しくないでしょう。漢字廃止以前に書かれた高い水準を示す論文と、漢字廃止以降に同じテーマで書かれて水準が高いとされる論文とを比較して、水準の低下が見られるのかを検証すればいいわけです。しかし呉さんの本には、そういった論証が見当たらないのです。つまり呉さんの主張には‘抽象度や水準の高い思考’とはどういうものであり、それが漢字廃止によってどのように低下していったのかが跡付けられていません。

 もう一つは韓国よりもはるか以前に漢字を廃止した北朝鮮やベトナムとの比較がないことです。北朝鮮の「知的荒廃」は周知の通りですが、果たしてそれが漢字廃止によるものなのかどうか。私は社会主義体制や主体思想というところから起因するもので、漢字廃止とは関係ないと考えています。またベトナムも早くから漢字を廃止していますが、そこでも「知的荒廃」や「思考水準の低下」現象が起きているのかどうかという検証も必要でしょう。

 さらに呉さんは「ハングルだけで世界的な水準をもった哲学論文を書くこともほとんど不可能である。日本語か西洋語でやるしかない」(42頁)と書いているように、西洋語では「世界的な水準をもった哲学論文」が可能としています。西洋語はハングルと同様の表音文字(アルファベッド)で表記し、漢字のような表意文字はありません。つまり呉さんは西洋語の場合、表意文字(漢字)がなくても高度な精神性と抽象性は表現できるとしているのです。同じ表音文字を使いながら一方では水準の高い哲学論文は可能であり、他方では不可能だとしているので、そこは丁寧な論証が必要なところです。

 呉さんの本を読んで思うに、彼女の主張には「漢字の廃止」と「漢字語(=概念語・専門語)の廃止」とが混乱しているのではないかという思える節があります。漢字語には呉さんが言うように「高度な精神性と抽象的な事物に関する語彙」が多いので、これが無くなれば確かに「高度な精神性と抽象的な事物」の考察は困難になるでしょうが、漢字語はハングルの形で残っているのです。漢字の廃止によって漢字語がハングルで書き表されても、その言葉に「高い精神性と抽象性」が含まれていれば別に問題はないのではないかと思います。

 彼女は、例えば「内容」が「中の肌」というように漢字語が固有語に置き換わることになってしまうと「概念として必要な抽象度を獲得することができない」(35頁)と論じています。これは十分にあり得る話ですが、しかしこれでは「漢字の廃止」ではなく「漢字語(=概念語・専門語)の廃止」のことになりますので、彼女の本来の主張とは論点がずれています。

 呉善花さんの「知的荒廃」「思考水準の低下」論は嫌韓・反韓感情を持つ日本人には耳に入りやすいものですが、中身はいかがなものでしょうか。