古田博司 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(5)2014/03/29

 李朝時代において、支配階級の両班と被支配階級の常民との間には、厳しい差別関係にあったことを論じました。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/03/26/7254093

 常民は非常に苦しい生活を強いられました。 もし両班がいなければそんな苦労はしなかっただろうに、と思った人は正解です。 古田博司さんは次のように記しています。

豊臣秀吉の朝鮮出兵の話題が出た。 最近は研究が進んできて、日本の占領地にどんどん朝鮮農民が逃げてきていたことが分かっている。 朝鮮の李朝はひどくて、日本のほうがずっといいから、占領地に城下町もできてしまった(32頁)

 これは16世紀末の話ですが、19世紀になっても同じです。英国人旅行家イザベラ・バードは日清戦争前後の時期に朝鮮半島から沿海州(ロシア領)を旅行しました。 沿海州には19世紀半ばからに多くの朝鮮人が移民・入植してきました。 その朝鮮人の村を回ったイザベラ・バードは、次のように記録しています。

朝鮮本国でよく目にする(朝鮮人の)あのおどおどした態度が消えている。 本国朝鮮人の特徴である猜疑心、怠惰と慢心、目上への盲従は、きわめて全般的に、アジア的というよりはイギリス的な自主性と男らしさに変わってきている。 きびきびした動きも変化のひとつで、両班の尊大な歩き方や農夫の覇気のないのらくらぶりは無くなっている。 金を儲けるチャンスはいっぱいあり、儲けてもそれを搾り取る官僚や両班はいない。 ゆとりのあることが外見からばれても、強欲な役人に見つかることもない。 儲けがあっても、それは不安材料ではなく、人の信用となるのである。 働き者は必ず暮らしが楽になる。 農夫の多くは裕福で、商売に従事し、手広く契約を結んでいる。(イザベラ・バード『朝鮮紀行』時岡敬子訳 講談社学術文庫 307頁)

朝鮮にいたとき、わたしは朝鮮人というのはくずのような民族でその状態は望みなしと考えていた。 ところが沿海州でその考えを大いに修正しなければならなくなった。 ロシア人警察官やロシア人入植者や軍人から勤勉で品行方正だとすばらしい評価を受けている朝鮮人は、なにも例外的に勤勉家なのでも倹約家なのでもないのである。 彼らは大半が飢饉から逃げだしてきた飢えた人々だった。 そういった彼らの裕福さや品行のよさは、朝鮮本国においても真摯な行政と収入の保護さえあれば、人々は徐々にまっとうな人間となりうるのではないかという望みをわたしにいだかせる。(同上 307頁)

警察署長が数ヶ所の朝鮮人集落へ連れていってくれた。 私の見聞したかぎりでは、この周辺の全農民が朝鮮人で、暮らし向きはとてもゆたかである。 このあたりや朝鮮国境付近では入植者の大半がよい生活を送っており、ロシア軍への肉と穀物の納入を請け負って資産を増やしつつある人もいる。 そういった点では朝鮮人は隣人の清国人に勝っており‥‥朝鮮本国でしか朝鮮人を見ていない人々にこのようなことを話しても、容易に信じられないに違いない。(同上 292~293頁)

(朝鮮人)農夫も、朝鮮本国ではどこへ行ってもその特徴だったおどおどして猜疑的なところや卑屈なようすがなく、とても気持ちのいい率直で男らしく自立した態度に変わっていた。(同上 294頁)

 両班と常民という階級差別がある朝鮮本国と、その差別のない異国ではどれほど人間が違ってくるか、イザベラ・バードは鋭く観察しています。

コメント

_ 健介 ― 2014/03/30 22:06

>両班と常民という階級差別がある朝鮮本国と、その差別のない異国ではどれほど人間が違ってくるか、

差別ゆえにこの違いが出るというのは一つの判断で、逆に考えると、朝鮮人が本国と同じような行動をする基は、その朝鮮人が住むところに、朝鮮人の差別がある言う事になる。
 沿海州にいる朝鮮人が本国と異なるわけは別の要因でしょうね。
 ではそれは何か?
tujimoto氏は何ゆえだと思われるか。
 あるものが朝鮮人に作用していると思う。儒教のある部分がね。

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