古田博司 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(10)2014/04/20

 古田博司さんはマルクスの歴史観を次のように説明します。

マルクス唯物史観のシェーマ(図式)など独断論なのだが、長い間多くの学者たちに信じられてきた。 世界中が、同じ経済発展の図式を踏むという、実に荒唐無稽な学説だった。     いわく、古代オリエントのような総体的奴隷制から、ギリシア・ローマのような奴隷制へと進み、その経済制度が内部の生産力によって突き崩され、ヨーロッパのごとき封建制に移行し、さらにその僻地のイングランドで資本制が芽生え、それが世界中に広がり、搾取の体系からやがてプロレタリアートが立ち上がり、ブルジョア階級を倒して社会主義を作り上げる、といったものだった。     なんでこんなものを信じたのか。だが、かつて信じていた証拠として、今でも世界史教科書の配列順は古代オリエント、ギリシア・ローマ、ヨーロッパの諸王国、資本主義の順になっているではないか。13世紀にクスコ王国が出現し、15世紀から16世紀にかけて古代インカ帝国がペルーで栄えたが、これは一体どこに入るのか。入りようがない。(189頁)

 これは古田さんが大いに誤解しているところです。 マルクスの歴史観はヘーゲルを受け継いでいるのですが、マルクスもヘーゲルも「世界中が同じ経済発展の図式を踏む」とは言っていません。 マルクスやヘーゲルが説いたのは「歴史発展段階説」で、当時の資本主義社会をそれまでの全人類史の最高到達点として、原始時代からそれに至るまでの段階を設定したものであって、時間的経過とは関係ないものです。 だから各民族・各国家が奴隷制→封建制→資本制という順番で歴史が進むという考えではありません。 「段階」という言葉が誤解を生むなら、「ランク」といった方がいいかも知れません。

 例えば文字のある社会と文字のない社会とでは、どちらをランクが上と考えるか。 あるいは貨幣のない国と貨幣が通用する国とでは、ランクが高いのはどちらか。 法律・経済・福祉・科学等々社会全般においてこのように比較していけば、その社会のランクの高低が自然と現れるものです。

 人類の誕生から現在に至るまで、別に言えば原始時代を最初のランク、そして資本制を最後に到達したランクとして、これまで人間が体験してきた社会にランク付けを行なったのがヘーゲルやマルクスの「歴史発展段階説」です。 従って各国・各民族がこの段階を、時間の順序を追って経験するというものではないのです。

 つまり奴隷制のギリシア・ローマがその後封建制になったとは言えないし、資本制のイングランドがその以前に奴隷制や封建制を経てきたとも言えないのです。 マルクスの唯物史観は、人類史上に出現した社会を奴隷制・封建制・資本制の三つにランク分けすれば、奴隷制は古代ギリシア・ローマ、封建制は西ヨーロッパ、資本制はイングランドが典型的であったという歴史観です。

 「古代オリエント」とはギリシア・ローマの奴隷制よりも低い段階で、マルクスが生きていた当時の中国やインド等に見られた社会を指します。 「アジア的」と言うこともあります。さらにこのアジア的より低い段階は原始社会となります。

 吉本隆明は、サルから人間になった最初の段階である「原始的」と中国・インドのような「アジア的」との間に、もう一つ「アフリカ的」段階を入れたらどうかと提起したことがあります。 確かに原始社会と中華・インダス文明との間には大きな隔絶がありますから、そのような段階を設定した方がいいかも知れません。 とすれば人類史は、原始的・アフリカ的・アジア的・奴隷制・封建制・資本制の六段階となります。

 古田さんは、インカ帝国はどの段階に相当するのかと問うておられます。 「原始的」よりは高い段階であるのは確かですが、貨幣がなく奴隷売買がなかったようですから「奴隷制」よりも低い段階と言えます。とすると「アジア的」なのか、或いはそれより低い「アフリカ的」なのか。 それとも思い切って「インカ的」なるものを新たに設定した方がいいのか、という話になります。 なお一方では古田さんは李朝とインカ帝国とが同一段階だったと説きます。

李朝は、いわば世界が中世期の頃に、古代国家として発生したインカ帝国に近い存在として特筆される。(93頁)

朝鮮中世経済史で有名な横浜国立大学の須川英徳教授‥‥その須川氏に、長い間秘めていた直感を恐る恐る聞いてみたのである。 「あの、ちょっと怒らないで聞いてほしいのだけれど、李朝ってインカ帝国に似ていないかな?」  須川教授は怒ることも、躊躇することもなかった。  「うん、実は僕もそう思う」と、即答だった。(196頁)

 古田さんは一方ではインカ帝国はどの段階にも入りようがないと言いながらも、他方ではアジア的段階に入るとしていますので、矛盾していると考えられます。

 ちなみに日本の江戸時代は、各藩の大名を封建領主と言っていいものだし、蘭学や和算学など近代社会を準備するだけの学問が発達していましたから、西欧の中世=封建制に相当すると考えられます。 日本はギリシア・ローマのような奴隷制を経ることなく、近代=資本制の直前段階である中世=封建制に到達していたと言えます。 このように既にその段階になっていたのですから、明治時代になって近代社会にスムーズに移行できたのです。

 逆に中国や朝鮮は封建制に至らず、はるかそれ以前のアジア的段階にとどまったまま、いきなり資本制に巻き込まれたのですから、近代社会への移行がスムーズにいかなかったのです。

【拙稿参照――15年前の論考です】

「歴史の発展段階説」考   http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daigodai

(続)「歴史の発展段階説」考 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dairokudai

「階級闘争」考    http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanadai

「古代国家論」考   http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainidai

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック