北朝鮮を甘く見るな!(3)2014/08/02

 以上のように朝鮮半島をめぐる状況は、北朝鮮に不利になってはいません。 主体思想や先軍政治、一党独裁、革命の血統‥‥などの言葉で表現されるオカルト=狂信は余りにも強固であり、内部矛盾から体制崩壊することはないでしょう。 最高指導者の金正恩の入れ替えはあるかも知れませんが、国家挙げてのオカルトからは脱すること困難です。 むしろ北は祖国の統一という理想実現に向けて、自分たちに有利な状況が積み上がって来ていると考えている可能性があります。

 しかし日本でも韓国でも、「統一」と言えば ‘北朝鮮の崩壊に伴う韓国主導の統一’ しかイメージできない人が余りにも多いです。 一般常識からかけ離れた北朝鮮の実情が繰り返し報道されているので、‘北は間もなく崩壊する、だから北による統一はあり得ない’ というイメージが形成されて来たのだろうと推測しています。 

 「北朝鮮を甘く見るな!」を分かり易く説明するために、ちょっと想像を逞しくしました。 オウム真理教(サリン事件当時の構成員1万数千)の2000倍のオカルト宗教国家と、その国から何べんも被害を受けながらも警戒心を持たなくなっている5000万の隣国がある、と言った方が実感してもらえるかも知れません。

 北朝鮮による祖国統一(赤化統一)はあり得ない話ではなく、油断すれば本当に起きる可能性のあるものなのです。

感謝! HP開設15周年2014/08/08

 HP『「歴史と国家」雑考』を立ち上げたのが1999年8月でしたから、今月でちょうど15周年です。 よくもまあ続いたものです。

 当初は月一回のペースで論考を発表し、掲示板を設けて皆さんと議論していたのですが、冷静な投稿よりも人間性を疑うような投稿、自己宣伝に過ぎない投稿などが多くなってしまったので掲示板を閉鎖しました。

 次にHPの親ページはそのままにして、ブログを開設しました。ここでは数日おきのペースで発表してきました。 これに対するコメント投稿では当初は冷静なものばかりだったのですが、時が経つにつれこれまた人間性を疑うようなレイシズム投稿が多くなりました。 レイシズム投稿者は自分が正義と思っているので始末が悪いものです。 

 このような人たちに喜ばれるような論考をしてきたのかと思うと、自分に腹が立ちました。 私をレイシスト仲間と勘違いするような人が多いのにはウンザリしました。 掲示板やコメントでの議論を通して、私の考えを理解してもらえると思ったのが間違いでした。 考えてみれば、レイシズムは歪んだ感情・信念ですから自分の醜悪さに気付かないものなのです。 こんな人間とはインターネット上だけであっても関係を断つべきだと考えました。 特に在特会は特定民族に「殺せ!」「死ね!」と叫び、将来これを本当に実行する可能性のある犯罪者予備軍ですから、完全に縁を切らねばならないのです。

 そこでブログの運営方法を変えました。 コメント投稿では冷静な批判は公開しますが、少しでもレイシズムの傾向のあるものは公開しないこととしました。 また「最近のコメント」コーナーには投稿者名は一つだけを掲載することにしました。    この対策が功を奏したのか、コメント投稿は非常に落ち着いたものとなっています。 HPやブログへのアクセス数がかなり減りましたが、これはレイシストたちが立ち去ったからだと見ています。 これでやっと一安心です。

 これからどれだけ続けられるのか分かりません。 数日おきに発表するというのに疲れを感じてきていますので、この方針を変えて、気が向いたときに書いていこうかと考えています。

【ホームページ「『歴史と国家』雑考」】  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/

    HP論考集一覧  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/ronkoushuu

【ブログ tsujimoto】  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/

    ブログ論考一覧  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/burogu

韓国の諺の誤解―毎日新聞2014/08/14

 毎日新聞の「憂楽帖」というコラムで、次のような記事が載っています。 誤解のないように全文を引用します。

一衣帯水の関係も今は昔か。一向に好転の兆しが見えない日韓関係の現状にはもどかしさばかりが募る。サッカーのワールドカップ共同開催や、映画・ドラマや音楽の韓流ブームに象徴される蜜月時代の記憶が新しいだけになおさらだ。

「行く言葉が美しくてこそ 来る言葉が美しい」は韓国のことわざだ。金容権「韓国朝鮮ことわざ辞典」(徳間書店)に、他人に良くしてもらおうと思えば、自分から他人に良くしなければならない、「魚心あれば水心」の同意とある。

 相手を説き伏せるため、時には威圧的に出る韓国人の交渉術も指すようだ。確かに、ソウルの街角で口角泡飛ばし、怒鳴り合う光景を何度か目にしたことがある。片や、理詰めで向き合おうとする傾向が強い日本人。議論がかみ合わない背景には、コミュニケーションの作法の違いがある、と思えてならない。

 隣国であるが故に互いのことが一層見えにくくなる側面もある。違いを認め、無理に「近くて近い国」を目指さなくていい−−強風にも動じない盤石な関係を築くには、そんな覚悟と開き直りがあってもよいと思うのだが。【仁瓶和弥】

 ここで挙げられている韓国の諺、「行く言葉が美しくてこそ 来る言葉が美しい」について、金容権の辞典から解説していますが、これは誤解です。 この辞典が手元にないので本当にそんな説明をしているのか確認できませんが、こんな間違いを解説するとはビックリです。

 この諺は ‘こちらから投げかける言葉が美しければ、相手から返ってくる言葉も美しい’となるので、いい諺だと誤解されやすいものです。 しかし実は ‘相手に暴言を吐けば、同じ調子で言葉が返ってくる’ という意味で、日本では「売り言葉に買い言葉」に相当する諺です。 「魚心あれば水心」ではありません。

 1年ほど前に自民党の鴻池議員が韓国を訪問した際、日韓の友好のためにと思って韓国のこの諺を持ち出したところ、かえって物議を醸した事件がありました。 韓国でこの諺を使うということは、「お前らが滅茶を言うからこちらも言い返しているんだ」という意味になるからです。 議員は善意で良かれと思って発言したのでしょうが、韓国では挑発してきたと逆に受け取られた訳です。

 新聞記者が1年前のこの事件を知らずにコラムを書き、またこのコラムを新聞に載せることを決めた編集長らも知らなかったということでしょう。 かなり有名な事件だったのですがねえ。 この新聞社のレベルに疑問を抱いた次第です。

中国は韓国を正式名称で呼ばない2014/08/18

 中国の習近平主席が去る7月3・4日に韓国を訪問しました。 その時にソウル大学で講演したのですが、その最後の挨拶で「大韓民国 愛しています」と言ったとして、韓国ではちょっと話題になっています。 実際には韓国語で「カムサハムニダ(感謝します)」と言ったのですが、習主席の韓国語があまりにも拙かったので、韓国人には「テハンミングッ サランハムニダ(大韓民国 愛しています)」のように聞こえて、ある放送局がこの間違いをそのまま字幕にして放送してしまったというお粗末な話です。 しかしこれが中国への親近感をさらにもたらしたらしく、この間違いを信じている韓国人が多いようです。

 ところで韓国の雑誌『週刊朝鮮』に、以上のような事情を解説する記事なかに次のような一節がありました。

中国の最高指導者が韓国の正式国号である「大韓民国」という用語を使うことは珍しい。 中国は自国のことでなければ、「大きい」を意味する「大」の字を修飾語につけることを非常に嫌がる。 実際に習近平のこの日の講演では、韓国を「韓国」もしくは「半島」と一貫して呼んだ。 韓国は21回、半島は10回であった。 

 中国は1948年に建国された今の韓国には正式国号を使わない、その理由として正式国号に「大」があるからだ、という解説です。 成程、これは当たっているだろうと思います。

 日本では社名に「大日本」が入っている企業がいくつかあります。 かなり以前ですが、その一つが中国に進出したら、社名に「大」があることで中国人から大きな反発を受けたという記事がありました。 我々は「大」があろうがなかろうが中身の方が重要なのだからと余り気にしませんが、中国人には大事(おおごと)のようです。 

 中国が他国のことで、たとえ正式名称であっても「大」の入った名前を使わないというのは中華思想そのものです。 従って韓国を正式国号「大韓民国」で呼ばないというのも、相手を見下す発想から出てきたものと言っていいでしょう。

 習主席が「大韓民国 愛しています」と言ったという間違いを無邪気に信じ、中国に親しみを持ったという韓国人が気の毒に思えます。

本国で中年男性からツバを吐きかけられた在日少女2014/08/22

 25年も前の本ですが、小林靖彦編『在日コリアン・パワー』(双葉社 1988年3月)にファッションデザイナー朴美恵子さんの次のような話があります。 彼女が高校を卒業してから韓国に留学したときのことです。

韓国の人から在日の陰口はよく聞きましたよ。 在日は、日本人みたいに金使いが荒いとかね。韓国からみると、在日韓国人は日本人だってみる人も多い。ヘタすると、日本人よりタチが悪いって思う人もいたりしてね。(51頁上段)

 そして彼女は、最初の訪韓時の屈辱的な体験を語ります。

みんな揃いのブレザーを着て胸に名札をつけ、デパートで買い物をしてたとき、中年の男が私のとこに来て、ものすごい剣幕でギャーとわめいたの。そして、ペッと私の顔にツバを吐きかけたんです。ショックでしたよ。いきなりワッとかなんとかののしられて、ホッペタにツバ吐きかけられたんだもの。       びっくりしたし、腹も立ったけど、周りにいた人たちが、みんながみんな、あんな人ばかりじゃないと慰めてくれたし、私も全員が在日同胞に対してそういう感情をもってるとは思わなかった。留学しても遊びまわっている同胞もいたから、もっともだなと思う点もありましたよ。(51頁下段)

 韓国の本国人が在日韓国人に対してかなり厳しい感情を持っていることはよく聞く話なので、朴さんのこの体験談はリアリティがあります。

 また彼女は本国人に対して引け目を感じていたようで、ツバを顔に吐きかけられるという屈辱を受けながらも、「もっともだなと思う点もありました」と語っています。 この点も、1970・80年代の在日の情況を知る私には、さもありなん、と思うほどに非常にリアリティを感じました。

 今この話を読み返してみると、かつての韓国では、中年男性が20歳前の在日少女の顔にツバを吐くという犯罪行為があっても被害者の在日少女側がそれなりの理屈を見つけてじっと我慢せねばならなかった時代があった、ということになるのでしょうね。

【拙稿参考】

在日コリアンと本国人との対立

  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/11/20/6208029

《日本=加害者・韓国=被害者》は人間関係を悪化させる2014/08/29

 韓国語教室を経営している日本人が、自分のブログの中で次のような発言をしています。興味深いので紹介します。

http://blogs.yahoo.co.jp/tolmengi/archive/2014/08/18

ところが韓国人は、日本人が戦争で被害に遭ったことを知りません。 いえ、知ろうとしない、認めようとしないのかもしれません。 「見ざる・聞かざる・言わざる」です。

だから私たち市民が空襲にあったとか、家族が死んだとか、焼け野原になったとかいう戦争時の悲惨な話をしても共感を得ることができないのです。

日本人は「加害者」でなければならないからです。 「被害者づらするな」と言われます。

「私は貝になりたい」のようなBC級戦犯の話も、到底理解を得られません。 上官の命令で捕虜を殺さなければならなかった人の話ですが、まさに「被害者づらしてる」映画ということになります。

上記は一般的な考えられ方です。 個人になると少しずつ違うかもしれません。

私の韓国人の友達は「日本の一般市民も戦争の犠牲者だよ」と一定の理解を見せたあと「いや、だけど同情心を起こさせようとするものだから(日本の加害を隠ぺいするものだからこの映画はダメ)…」と言葉をつづけました。 これはマスコミで繰り返し言われていることですので、そのような考え方が韓国では「知識人」という認定を受けているから出た言葉と思われます。  国是だから。  偉い人たちが書くことや言うことが世論を形成しますね。

なので心優しい友人は、人として「一般市民も戦争の犠牲者」と言ってくれたけれども 韓国人としては言い切ることができないのです。 その下でもっと悲惨だった祖先の話が身近にあるから。  日本人が苦労した話は見たくない(知りたくない)のです。  日本は常に加害者の立場でなければならない。 そういうのを感じるとちょっと気が滅入りますね。

戦争で日本人が苦労した話を知らないから そのあとの人々の平和を希求する心情も知りません。 (報道されるのは軍事的脅威のみなようで)

植民地支配により韓国人が苦労した話  戦争で日本人が苦労した話、 認め合えれば良いと思うのですが。  文字で書けば簡単なことですね…。

 日本で長年韓国語を教えてきて、また韓国の友人も多い方が、《日本人は「加害者」・韓国人は「被害者」》という立場の固定化に「気が滅入る」と表現しておられます。 この心境は理解できます。 この方だけでなく、長年韓国に関わってきて親韓・知韓的発言をしてきた人が憂鬱な気分になってしまう人は多く、なかには嫌韓・厭韓派に鞍替えする人も相次いでいます。

 韓国人は、おそらく日本人側の「気が滅入る」「憂鬱」「もう関わりたくない」というような心境を理解できないのだろうと思います。 自分たち(韓国)は被害者=善=正義であり、相手側(日本)は加害者=悪=不正義であるという観念を獲得してしまうと、普通で当たり前の人間関係を続けることが困難となります。 なぜなら双方が認め合うという関係でなくなるからです。 今や日韓関係はこの状態になってしまったと言っても過言ではないでしょう。

 日韓の国家関係ではこのように困難でも、個々人はお互いがこれに触れないで付き合っていく以外に方法はないと思うのですが、どうなんでしょう。 

 韓国から来たある人は、自分は学校の歴史の教師が大嫌いだったので歴史を勉強しなかった、だから歴史のことは何も知らないし話すことはない、と言っていました。 日本人相手に歴史の話をすると気まずくなるので、敢えてこのような話をしたと思うのですが、こういう心遣いはうれしいものです。

【拙稿参考】

糾弾する朝鮮人と反論できない日本人 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuuhachidai

日本から親韓派がいなくなる―『週刊朝鮮』  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/02/16/7223713

日本から親韓派がいなくなる(続)―西岡力 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/02/23/7229138