金銅弥勒菩薩半跏思惟像(2)2014/12/11

 『新版 韓国・朝鮮を知る事典』(平凡社 2014年3月)を読んでいて、あれ?!と思ったのが、ソウルの国立中央博物館に所蔵・展示されている金銅弥勒菩薩半伽思惟像の説明です。 254頁の新羅文化を紹介する写真のなかに、この仏像があります。 キャプションは

⑤金銅弥勒菩薩半伽思惟像。日本の広隆寺弥勒像(木彫)との関連が注目される。7世紀。韓国中央博物館蔵。

となっています。 本文では次の通りです。

7世紀初期から中期にかけて造立されたと考えられている半伽思惟像は、三国の統一をめざした新羅の支配階層、とりわけ、花郎徒の熱烈な弥勒信仰を背景として制作された(256頁左段)

 このようにこの半伽思惟像は新羅の仏像として扱っています。 ところがこの事典の「百済」の項では、この同じ半伽思惟像について次のように説明しています。

百済の仏教美術の特色は、優雅で気品に富むところにある。国立中央博物館所蔵の金銅弥勒菩薩半伽思惟像や瑞山(ソサン)の磨崖三尊仏像などは、優雅な百済彫刻の代表である。(132頁左段)

 つまり一つの事典のなかで、同じ仏像が一方では新羅の典型例、他方では百済の代表作と全く矛盾した説明をしているのです。 この仏像は非常に有名なもので日本から多くの人が観覧しているし、日本の学生ではこの仏像についてレポートや論文を書いた人も多いと思います。 その時にこれを新羅仏としたのか、それとも百済仏としたのか、気になるところです。

 この半伽思惟像、新羅仏なのか百済仏なのか?一体どっちが正しいのか? と問われれば‘分からない’とするのが正解です。 つまりこれに関する研究は進んでいないのです。 だから最新の事典でも全く矛盾した記述が出てくるのです。 

 だったら「優雅な百済彫刻の代表」とか「花郎徒の熱烈な弥勒信仰を背景として制作」とか、断定して書くべきではないと思うのですが‥‥。 事典の監修者はこの矛盾を当然知っているでしょうから(気付いていなければ監修者として失格です)、事情を丁寧に説明すべきだと思います。

今回は8年前の拙論である「金銅弥勒菩薩半跏思惟像」http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/10/09/553649  の続編です。