韓国・朝鮮の民族の歴史は新しい(2) ― 2015/03/21
5年ほど前の拙稿の続きです。http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/11/20/5521495
この中で、韓国の人類学者である金栄勲が自民族のルーツについて次のように記していることを紹介しました。
現在の韓国人が考える民族に対する感覚は、それほど以前からあったわけではない。いわゆる三国時代、高句麗・百済・新羅は互いに敵対国であり、彼らに同じルーツを主張し一つに統合するという概念があるはずがなかった。 金栄勲『韓国人の作法』(集英社新書 26頁)
これは韓国に来る外国人留学生向けに韓国文化を解説する本の中の一節です。外国人に朝鮮(韓)民族を理解してもらおうとしてこのような記述になったのかな、と思っていました。しかし구완희『관통 한국사』(グ・ワンヒ『貫通 韓国史』)という大衆向けの歴史書の中で、自民族について次のように記述しているのを見つけました。
이 시기의 전쟁을 ‘민족상잔의 비극’ 이라 보기는 어렵습니다. 물론 중국이나 일본보다는 상대적으로 삼국이 친밀감을 느낄 수 있었겠으나 지금의 남북한처럼 한 민족이라는 의식은 없었으니까요. 우리 민족이 형성되는 것은 적어도 삼국 통일 이후, 실제로는 고려의 후삼국 통일 이후부터라고 여겨집니다. (281쪽)
直訳すれば、次のようになります。
この時期(高句麗・新羅・百済の三国時代のこと)の戦争を「民族相残(同じ民族間での殺し合いの意)の悲劇」と見るには難しいです。もちろん中国や日本よりは相対的に親密感を感じていたでしょうが、今の南北朝鮮のように同じ民族だという意識はなかったですから。我が民族が形成されるのは、少なくとも三国統一(西暦676年)以降、実際には高麗の後三国統一(西暦936年)以降からと考えられます。 (281頁)
朝鮮(韓)民族の始まりが新羅統一(676年)か高麗の成立(936年)かは議論の余地があるところでしょうが、これより以前には朝鮮(韓)民族は存在しておらず、断絶があるということです。この民族の起源という重大問題が、数百ページの歴史書の中のごく一部にさりげなく挿入されているのです。
しかし今の韓国では、百済は日本に文化を教えてあげたのに‥‥という話が当然のごとく語られています。そこには昔の百済が我が韓民族として意識されており、本来断絶があるという意識がありません。
韓国は自民族のルーツについて、檀君以来の5000年という虚構から離れて、客観的に議論するようになればいいのに‥と思うのですが、ちょっと難しそうです。
【拙稿参照】 檀君神話はお伽話 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/03/15/7590818
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。