「三韓」の用例(8)―近代日本2015/07/10

 「三韓」が、本来の馬韓・弁韓・辰韓を離れて高句麗・百済・新羅の三国と同義であり、朝鮮全体を意味で使われるというのは、近年まで続いてきました。 例えば1941年(昭和16年)に金素雲が著した『三韓昔がたり』(1985年再刊)には、次のように記されています。

『三韓昔がたり』と名づけたこの本の中には、古い昔から朝鮮にあった、さまざまな語りぐさが集められている。 およそ四十あまり ‥‥ 新羅、高句麗、百済――、これを朝鮮では、三国時代といふ。 きみたちが歴史で教はったやうに、この三つの国は、今は去る一千年前に、高麗によって統一された(くはしくいへば、新羅に統一されて、それが高麗に渡されたのだ)。 日本といふ一つの海に流れ入るまでには、高麗から李朝へと、さらに千年の道のりがつづいたが、ここにあるのは、すべてその三国時代のものがたりだ。    三つの国が相前後して興り、また相前後して滅びた。一番永かった新羅が九百九十六年、高句麗が七百五年、百済が六百八十年――。地理でいへば、中部朝鮮から北へ、満州一帯が、ほとんど高句麗によって占められ、新羅、百済が、今日の京畿道あたりから南へ国を建てた。(金素雲『三韓昔がたり』講談社学術文庫 1985年5月 3~5頁)

新羅・高句麗・百済――、この三つの国の前に朝鮮が辿って来た足跡を、これで一通りかいつまんで述べた。 興味が歴史に片寄っては、かんじんの物語がお留守になるきらひもあるが、一応ここまでの経路は知って置いてもらひたい。 三国時代そのものを理解するためにも、これは必要なことだ。‥‥ さしあたり、ここにある四十あまりの短い物語で、三国時代は総ざらへしたといってよい。(同上 251~252頁)

 ここでは「三韓」はもはや馬韓・弁韓・辰韓ではありません。 そのような国名・地名が全く出てこず、「三韓」は新羅・高句麗・百済の「三国」と同義なのです。 『後漢書』にあるような「三韓」=「‘三つ’の‘韓’」=「馬韓・弁韓・辰韓」とする考えは、最初からなかったと言わざるを得ません。

 そしてこのような使い方は、7世紀の新羅統一の時代からずうっと続いてきた認識であることに注意せねばなりません。 『後漢書』の認識の方が例外と言えるでしょう。

「三韓」の用例(1)―中国古代   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/06/08/7664404

「三韓」の用例(2)―朝鮮古代   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/06/13/7667715

「三韓」の用例(3)―日本古代    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/06/18/7671200

「三韓」の用例(4)―朝鮮古代金石文 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/06/22/7678138

「三韓」の用例(5)―中国古代金石文 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/06/26/7680561

「三韓」の用例(6)―沖縄金石文   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/06/30/7690495

「三韓」の用例(7)―朝鮮王朝実録 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/04/7697561