金時鐘『朝鮮と日本に生きる』への疑問 ― 2015/07/28
金時鐘さんが最近出した回想記『朝鮮と日本を生きる』(岩波新書 2015年2月)について、以前に少し触れました。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/05/7700647
金さんは南朝鮮労働党(南労党)の活動家として1948年の済州島4・3事件に関わり、日本に亡命=密入国した方です。 4・3事件では武装蜂起した側の立場に立った記述をしています。 この事件に関しては、拙論で少し論じたことがあります。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/06/01/7332806
それはともかく、金さんの今回の回想記を読んで、彼自身の法的身分関係について疑問を持ちました。 彼は1949年に日本に密入国するのですが、日本でどのような身分を獲得したのかが記されていないのです。
金さんはその後日本共産党に入党したりして日本国内で活動し、また病気して長期入院し、在日女性と結婚したりしていますから、何らかの身分を持ったはずです。
一番考えられるのは、当時は外国人登録証が売買されていた時代ですから、これを購入して他人に成りすましたのではないか、ということです。 当時の在日でこういう方は多いもので、例えば中公新書『オンドル夜話』の著者の尹学準さんは、1953年に密入国して当時のお金で3万円で外国人登録証を買い、「李継栄」という名前で暮らしてきたことを明かしています。
金さんが尹さんと同じように他人に成りすましただろうと推定する根拠は、この本の288頁にある「あいさつ」文です。 その内容は次の通りです。
あいさつ 略啓 小生この度、外国人登録書名の「林」でもって韓国の済州島に本籍を取得しました。‥‥ ‘03年十二月十日
ここから金さんの外国人登録名が「林」であることが分かります。 金さんの父は「金鑚国」(292頁)ですから、「金」が本名です。 とすると外国人登録の「林」は別人の名前ということになります。 おそらく「林」名義の外国人登録証を購入したことになるでしょう。
当時は戦後の混乱期でした。 在日朝鮮人では寄留届(住民登録に相当)の転出を届けずに韓国に帰国した人も多く、その場合は公的書類上日本に所在していることになります。 こういった不在の人たちが外国人登録され、その外国人登録が売買されたのです。 それ以外にも全くの架空の人物の外国人登録(偽造ですが本物と区別がつかなかったといいます。 「幽霊登録証」などと言われていました)もあったそうで、これも高価に売買されたようです。
日本での身分関係は以上のように推定できるのですが、今度はこの「林」名義で韓国の入籍(韓国は戸籍に代わり、家族関係登録簿となっている)したというのが、よく分からないところです。 おそらくは日本国内では家族含めてこの「林」名で生きて来られたので、今更もとの「金」では生活し難いと思われたのだろう、と推測します。
ところで金さんが韓国で作成した家族登録簿(戸籍に相当)の父母欄には実父母の名前が記載されているのか、それとも「林」名という他人の名前が記載されているのか、気になるところです。
金時鐘さんの身分関係について、彼の回想記から推測に推測を重ねました。実際のところはどうなんでしょうかねえ。
【関連拙稿】
金時鐘さんの法的身分(続) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/13/7732281
金時鐘さんの法的身分(続々) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/26/7750143
金時鐘さんの法的身分(4) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/31/7762951
金時鐘さんの出生地 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/05/7700647
在日の密航者の法的地位 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/06/23/6874269
韓国密航者の手記―尹学準 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/12/03/7933877