「朝鮮」という国号2015/09/21

 「朝鮮」という国号の淵源は二説あって、一つは紀元前24世紀(?)に天から下った桓雄と人間の女に変身した熊とが結婚して生まれた檀君が「朝鮮」を建国したという説話です。 この説話は13世紀の高麗期の歴史書に初めて記載されたもので、内容はお伽噺と言っていいものです。しかし朝鮮(韓)民族の祖として尊崇されてきました。

 そしてもう一つは中国の殷の末期(紀元前12世紀頃)の時代に紂王の暴政を諌めた箕子が東夷の土地に移って「朝鮮」を建国したという説話があります。 この場合の「朝鮮」は中国人が建国した国となります。 箕子は後に孔子が仁者と称賛したので、14世紀以降の朝鮮の儒教全盛時代では尊崇されました。 この箕子朝鮮は後に同じく中国人による衛氏朝鮮に代ります。 檀君・箕子・衛氏の三つの朝鮮を「古朝鮮」と呼びならわされています。

 古朝鮮の最後の衛氏朝鮮が紀元前2世紀に漢の武帝によって滅されてから千数百年の間「朝鮮」という国名は東アジアには出て来ず、14世紀の中世になって再び登場します。 今回はこの再登場した「朝鮮」についてです。

 1392年に李成桂が高麗を滅ぼして新たな王朝を建設した時に、中国の明に新しい国家の樹立を報告し、国号の決定を依頼しました。 そしてその時に国号は「朝鮮」と決まったのです。 それはどのような経過だったのか、『朝鮮王朝実録』を調べてみました。 原文(漢文)はインターネットで確認して頂くとして、私なりの現代語訳を紹介します。

太祖元年11月29日条          芸文館学士である韓尚質を中国の明の都に送り、「朝鮮」もしくは「和寧」のどちらかにに国号を定めてくれるよう要請した。 ……近頃皇帝におかれましては私に権知国事(その地域の国政を任せる地位)の職をお許しになり、国号をお問いになられましたので、私は国中の者たちとともに歓喜極まりました。 私が熟考するに、国を治め国号を立てるのは取るに足りない私のような者が勝手に決めるべきものではありません。 朝鮮と和寧などの称号をもって皇帝陛下のお耳に入れられ、どうか皇帝陛下におかれましてご高裁いただくことをお願い申し上げます。

 このように高麗を滅ぼし新たに建国した李成桂は中国(当時は明)の皇帝に、自国の国号を「朝鮮」にするか「和寧」にするかの裁可を求めました。これに対する中国皇帝の回答は次の通りです。

太祖二年2月15日条          洪武26年2月15日に韓尚質が明朝廷の礼部の咨文(皇帝の返答が入った下達文)を持って来たので、その咨文には「本部の右侍郎の張智らが洪武25年閏12月初9日に慎んで陛下の聖旨を奉り、その詔勅で‘東夷の国号は「朝鮮」の称号が美しく、またこの称号が伝えられてから久しいのでこの名称を物事の根本と考えて使い、天を祭り民を治め、後孫に至るまで長く繁栄するようにせよ’ と仰せられている」とある。

 中国皇帝の回答に対し、李成桂は謝意を奉ずる使者を送りました。

太祖二年3月9日条           門下侍郎賛成事である崔永沚を中国の都に派遣し、皇帝の恩恵に感謝する表文を奉った。 その表文は、「……切に思うに、昔の箕子の時代においてもすでに「朝鮮」の称号がありますので、これを申し上げて敢えて陛下の耳にお入れ頂いたところ、有難くも兪音をお下しされました。……

  「朝鮮」という国号は、新たな王朝を作った李成桂が中国の明王朝との以上のような経過を経て決まりました。 ここで注意しなければならないのは、この時に決まった「朝鮮」は中国の殷時代に箕子が東夷の地に開いたという「箕子朝鮮」に由来があるのであって、朝鮮民族の祖とされる「檀君朝鮮」ではないということです。

 ところが、13世紀の『三国遺事』に初めて登場する檀君神話は14世紀末の李成桂の時代には朝鮮半島内ではすでに広く知られており、李成桂が国号候補として「朝鮮」と「和寧」を挙げた時には「檀君朝鮮」を念頭に置いていた可能性が高いのです。 なぜなら『朝鮮王朝実録』には、それより3ヶ月前に次のような檀君記事が出てくるからです。

太祖元年8月11日条         礼曹典書である趙璞が上書して言うには‥‥朝鮮の檀君は東方で初めて天命を受けた主であり、箕子は初めて教化を興した君であるので、平壌府で国家の祭祀を執り行うべきである。

 趙璞は、最初に檀君が天命を受けその後に箕子が教化(儒教のこと)をしたのであるから、檀君に縁のある平壌で国家祭祀をするように提議しています。 この3カ月後に、上述のように李成桂は中国に「朝鮮」か「和寧」のどちらにするかの裁可を求めているのですから、国号候補の「朝鮮」には檀君朝鮮も含めていたと推察することができます。

 しかしこの檀君朝鮮は中国側史料に全く出て来ず、高麗時代の私選の史書である『三国遺事』に初めて出てくるだけですから、明の朝廷には全くの認識外のものです。 従って明の皇帝は「箕子朝鮮」だけを念頭に置いて国号を「朝鮮」にせよと命じ、李成桂はこれを受け入れたということになります。 このように朝鮮側も中国側も、古代に中国人が建国した「箕子朝鮮」に由来して「朝鮮」を国号に定めることで合意しました。

 ところが朝鮮側はこのような表側の顔と違って裏側では、「朝鮮」というのは中華王朝よりはるか以前に成立した「檀君朝鮮」であるという認識を密かに持ち続け、民族主義を高揚させていたと言えるでしょう。

 つまり「朝鮮」という国号においても、朝鮮側は中国人が作った「箕子朝鮮」という事大主義だけでなく、それよりもずっと昔からあった「檀君朝鮮」という民族主義との相矛盾する考え方を同時に有していたのです。

 現在の韓国史では、民族主義の象徴たる檀君説話は史実扱いされています。 そして事大主義の象徴だった箕子説話は中国と関係ない民族独自のお話に変造されて民族主義的に扱われているのです。

 韓国史の本を読む時には、こういったことに注意しながら読む必要があります。

【拙稿参照】

檀君神話はお伽話  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/03/15/7590818

韓国・朝鮮の民族の歴史は新しい http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/11/20/5521495

韓国・朝鮮の民族の歴史は新しい(2)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/03/21/7594644

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