曽田嘉伊智(2)2015/10/21

 歌人の俵万智さんが、曽田嘉伊智の伝記である『慈雨の人 韓国の土になったもう一人の日本人』 (江宮隆之 著)の書評を書いています。  http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151021-00004211-honweb-ent

国のつながりは人が作ると信じたくなる国交なき韓国に歓喜で迎えられた日本人         昭和36年、まだ国交の回復していなかった韓国へ向けて、日本から2機のプロペラ機が飛び立った。1機には新聞記者や関係者、もう1機には曽田嘉伊智という94歳になる老人と付き添いの人が搭乗していた。          曽田は、植民地下の韓国にあって、1000人とも3000人とも言われる韓国人の孤児を育てた人物である。終戦後、多くの日本人が強制送還されたなか、妻のタキとともに、例外的にソウルに残ることを許された。が、日本の荒廃を心配して単独で一時帰国。その後、嘉伊智は逆に韓国へ戻れなくなってしまっていた。           嘉伊智を取材した朝日新聞記者、疋田桂一郎の感動的な記事が、多くの日韓の人々の心を動かし、ついには韓国政府の特別な措置により、韓国への入国が認められることになる。政治にも、こんな粋なはからいができた時代があったのだなあと思う。           本書は、曽田嘉伊智の数奇な、そして崇高な人生をたんねんに追いつつ、史実のあいまいなところにはフィクションを加えた伝記小説である。はじめから聖者ではなかった波乱万丈の前半生と、神の天啓を受けてからの孤児たちとの後半生が、まことに腑に落ちるかたちでつながっているのは、著者の力業だろう。日本と韓国の関係が、どんどん悪くなるという時代背景が、嘉伊智の無私にして無償の愛の美しさを、皮肉にもいっそう際立たせている。           心から韓国への帰国を望んでいた嘉伊智だが、印象深いエピソードがある。韓国政府との関係改善のために、かつて大統領と親交のあった嘉伊智を利用しようと、日本政府がなんらかの画策をしたらしい。帰国のチャンスではあったが、嘉伊智は頑として受けなかったという。         こんな日本人がいたのかと胸が熱くなる。そして結局は、国と国とのつながりは、人と人とが作るのだと信じたくなる。         俵 万智(たわら・まち)

 曽田嘉伊智は植民地下の朝鮮で、朝鮮人孤児1,000人を育てた方です。 戦後日本に帰国しましたが、また韓国に戻り、そのままソウルで客死。 楊花津の外国人墓地に葬られました。 彼については、拙稿でも取り上げたことがあります。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/10/15/7459389

 皆様も、もしソウルに行かれることがあれば、ぜひ曽田嘉伊智のお墓にお参りしてほしいと思います。

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