在日朝鮮人の「無職者」数 ― 2016/01/05
伊地知紀子『消されたマッコリ』に関連して、李杏理「『解放』直後における在日朝鮮人に対する濁酒取締り行政について」(『朝鮮史研究会論文集51』緑蔭書房 2013年10月)を読む。
この論文の最初に次のような一節があり、ちょっとビックリ。
敗戦によって、日本の産業は混沌とし、大量の失業者があぶれた。そのなかで、廃止を免れた非軍需企業でさえも、朝鮮人を解雇していった。 当時、七割以上の在日朝鮮人が失業状態にあった(註2)。 たとえ職にありつけた場合でも臨時的で保障がなく、生きるために自前で収入源を探りあて、その日その日を繋いでいるようなものであった。 朝鮮人の女性の場合は、いっそう働き口がなく、八割以上が(註3)が無職者であった。そのため、小売商または露天商の買い出しや売り出し、濁酒づくりや飴づくり、屑鉄拾いや廃品回収などに生業の道を見出すしかなかった。(137~138頁)
そしてこの「註2」と「註3」は、次の通りです。
(註2) 篠崎平治『在日朝鮮人運動』(令文社 1959年)によると、1952年当時、日雇い労働者、失業者、無職者は、在日朝鮮人総人口の70.4%に上り、更に有業者の中にその就業内容において失業者同然な者が居たと思われる。
(註3) 「解放」直後の統計はないが、前掲、篠崎平治『在日朝鮮人運動』によれば、1952年10月時点の在日朝鮮人(登録)人口535,803名中女性は233,951名、男性301,852名であり、うち第一位を占める職業が、男女とも「無職者」であり、女性は188,408名(80.5%)、男性は140,216名(46.4%)である。
ここに出てくる篠崎平治『在日朝鮮人運動』という本ですが、近在の図書館にはありませんでした。 かなり入手が難しいようです。しかし在日朝鮮人関係の本には、しょっちゅう出てくる資料です。 手近にあった本から探してみると、 ①在日韓国居留民団『歴史教科書 在日コリアンの歴史』(明石書店 2006年2月)80頁、 ②姜在彦・金東勲『在日韓国・朝鮮人 歴史と展望』(労働経済社 1989年9月)124頁、 ③樋口雄一『日本の朝鮮・韓国人』(同成社 2002年6月)78頁にありました。
ここでは、③の本に出てくる「在日朝鮮人職業調査表(1952年10月調査)」を引用します。
農 業 10,156人 1.8%
工 業 24,573人 4.6%
商 業 31,023人 5.8%
運 輸 業 5,206人 0.9%
土 建 業 19,991人 3.7%
料 飲 業 5,157人 0.9%
遊 戯 業 7,207人 1.3%
海 運 業 612人
貿 易 業 163人
鉱 業 53人
漁 業 801人
知的労働者 7,237人 1.3%
日雇労働者 35,585人 6.6%
失 業 者 13,267人 2.4%
無 職 者 328,624人 62.0%
そ の 他 46,084人 8.5%
合 計 535,803人
李杏理が「七割以上の在日朝鮮人が失業状態にあった」としたのは、この統計の日雇労働者、失業者、無職者を合計したものです。 七割も失業状態なら、彼らは日々の食べ物や衣類などをどのように調達していたのかが気にかかります。
ここでこの統計の合計人口を見て下さい。 53万5803人は在日朝鮮人の総数です。 ちなみに1952年における朝鮮人外国人登録者数は53万5065人ですから、この統計数字はかなり正確です。 ということは、ここには赤ちゃんや小中学生など、明らかに職業を持たない人数が含まれています。 そしてそれは「無職者」の数に入ります。
ちょっと年代がずれますが、1950年の国勢調査を調べてみました。 戦後の混乱がまだ収まっていない時期の調査なので正確性には疑問が残りますが、在日朝鮮人の人口は総数で464,277人、うち0歳から14歳までの子供の数は196,467人です。 つまり42.3%は14歳以下の子供です。 そして子供であるがゆえに当然のことながら「無職者」です。それ以外に高校生や大学生、専業主婦、老人なども「無職者」です。
また1952年12月現在の生活保護受給者の朝鮮人は76,673人ですから、上記の表から計算すると14.3%です。 以上を考えるならば、無職者62%という割合は特筆するほどの大きな数字でないことが分かります。
これを「失業状態」だとして在日朝鮮人の生活の困難の根拠にする李杏理の理解は、いかがなものかと思います。