李朝時代に女性は名前がなかったのか2016/02/29

 人の名前というのはその個人を特定して指し示すものですが、実際の名前のあり方は各国、各民族で、また歴史上でも大きな違いがあります。 名前は本人には余りにも当たり前のものとなっていますから、他国や他民族さらには歴史上の人物の名前について、ついうっかりと自国や自民族の名前のあり方から類推して判断してしまうことが多くなります。だから名前というのは誤解が生じやすいものです。

 朝鮮史の李朝時代の女性について、「名前がなかった」という話が時々出てきます。 名前がなければ一体どのようにして相手を呼び合っていたのかが気になります。 李朝時代の女性には「名前がなかった」ことについて、調べてみしました。

 この当時の朝鮮の女性に「名前がない」と最初に報告したのは、西洋人たちです。 西洋人はキリスト教徒ですから女性の地位や扱われ方に注意が行くようで、李朝時代の朝鮮での女性についても関心を持ちました。

 金学俊『西洋人の見た朝鮮』金容権訳(山川出版社 2014年12月)は、西洋人が併合以前の朝鮮の様子の記録を網羅したもので、そこから朝鮮の女性の名前についての記述を抜書きしてみます。

 グリフィスというアメリカの牧師は明治初期に日本に招聘され、教育にたずさわった人です。 朝鮮にも関心を深め、『コリア―隠者の国』を著わしました。 彼は朝鮮を直接訪問したことはなかったのですが、当時としてはかなり確実な資料に基づいて書いた本のようです。

第五、彼は、朝鮮が徹底した男尊女卑社会であると見た。 彼によると、「朝鮮女性は快楽あるいは労働の道具であり、決して男性の同僚でも同等の存在でもない」。 女性は自分の固有の名前を持たず、誰それの娘とか、誰それの妻とか、誰それの母というふうに呼ばれるだけであると、彼は付言する。 女性の再婚は事実上許されない反面、男性は妾を何人でも持てる、と厳しく批判した。(169頁)

 次にアンダーウッドはアメリカのプロテスタントの宣教師で、朝鮮で宣教活動を始めました。 現在の延世大学の前身である儆新学校を設立するなど、朝鮮近代史に大きな業績を残しています。 彼の夫人も共に朝鮮で活躍し、著作を残しています。

アンダーウッド夫人は女性について、じっくりと観察している。 彼女はまず、朝鮮女性が美しくないと感じた。 哀しみ・絶望・労役・疾病・無知・愛情不足などに打ちひしがれ、彼女らの目は生気を失ってぼんやりしていると感じた。 それまでの西洋人が一様に観察したように、彼女もまた、この国の女性が洗濯に費やす多くの労役に同情心を示した。 この国で女たちは自分の名前さえ持たず、母親になっても「誰だれの母」とか「誰だれの奥さん」、あるいは「どこどこの宅」(嫁にくる前の実家の場所名を借りて特定する)といったふうに呼ばれると指摘した。(240頁)

 そしてイギリスの女優ミルンは東洋を巡回公演して、その見聞録を著わしました。 朝鮮に関しては『奇異なコリア』があります。

彼女は、他の西洋人と同様、朝鮮における女性の地位が中国や日本に比べ低く、ビルマ・タイ・インドよりも低いと書いている。 より具体的にこう記している。 「朝鮮で女性は社会的にも政治的にも、存在しない。彼女らには名前すらない。 結婚後、夫の姓を名乗って誰それの夫人というふうに呼ばれる。結婚前にはこうした呼称すらない」。 「例外は一つ、たった一つ例外がある。妓生は各自の名前を持つ。 ‥‥少女らは結婚適齢期まで、女ばかりの場所に隔離されて暮らす。 結婚後は、女性は夫の財産となる」。(286頁)

 そしてまたスコットランド出身の女性テイラーは、1901年にソウルの両班の家に滞在しながら朝鮮人の日常生活を観察し、『コリアンの生活』を著わした。

彼女もまた上流階層の女性・妓生・舞姫を除くすべての女性は家の内外でとても辛い生活をし、その結果顔が「哀れなほど無表情」だとした。 そして、女性らが自身の名前も持たず、ただ「誰それの妻」といったふうに呼ばれるだけだと付け加えた。」(361頁)

 このように西洋人の記録では、李朝時代の女性には「名前がない」ということが繰り返し出てきます。 この時の「名前」というのは、今の日本も同じですが、その個人のアイデンティティと一体になった名前のことです。 ですから名前と人格がイコールです。だから名前を間違えられたら怒りを覚えるのです。 しかし李朝時代の女性は「誰それの妻」などと呼ばれていたのですから、それはアイデンティティ=人格とは結びつかない呼称に過ぎなかったのです。

 朝鮮の女性に「名前」がなかったというのは、アイデンティティ即ち人格を表わす「名前」というものがなかった、ということです。 相手を特定して呼称する時は、夫や父親に付随した女性という形式を使っていたのです。 当時はこれでもその女性を特定できたのですから、「名前」と言えるかも知れません。 しかし先ほど言った通り、独立した人格を表すものではありません。

 そうならばそれは通名というもので、別に本名があったのではないかという疑問が出てくるでしょう。 この問いの正解は「なかった」です。 李朝時代の人の正式な名前を記録するものとしては戸籍や族譜がありますが、そこに出てくる女性は父系の出自を示す姓はありますが、その個人を表す「名」はありません。 これは上流階級も同じで、例えば朝鮮近代史で有名な「閔妃」は閔氏一族の女性で高宗の妃になった人という意味で、個人を表す名前ではありません。

 李朝時代の女性は余りに地位が低くて、アイデンティティを伴う名前というものは持っていなかった。 これが結論です。

 韓流ドラマの時代劇を見る人には、これをよく知ってもらいたいと思います。

 しかし日本の時代劇も時代考証が目茶苦茶なものが多いですから、あまり偉そうなことは言えません。