李朝時代に女性は名前がなかったのか(2)2016/03/23

 李朝時代の女性にはアイデンティティとしての名前がなかったと論じたことについて、どうも理解してもらうのがちょっと難しいようです。 分かり易く説明するために、仮の女性で物語を作ってみます。

慶州に住んでいる金正寿さんの家に可愛い女の子が生まれました。 父親の金正寿さんはこの女の子を「イップニ(かわい子ちゃん)」と呼んで大事にし、家族も近所の人もそう呼びました。 金正寿さんは日記(漢文)にイップニのことを書く時、漢字で「林粉」(朝鮮語読みでイップンとなる)としました。 イップニは家で母親の家事を手伝い、弟妹の世話をし、15歳になって順天の朴泳宇さんと結婚して嫁に行きました。 その時からイップニはイップニでなくなります。 朴さんの家では新しく来た嫁を、その出身地から「慶州宅」と呼びます。 近所の人たちは「泳宇の妻」と呼びます。 やがて長男の成植が生まれると、「成植の母」と呼ばれるようになります。 昔「イップニ」と呼ばれた女性は、自分の名前がありませんから「慶州宅」「泳宇の妻」「成植の母」となる訳です。 戸籍や族譜(家系図のこと)には、「女 金氏」とか「女 配朴泳宇」と記されます。 

 幼名は男の子の場合は「介同(ケットン=犬の糞)」とか「開仏(ケブル=犬の金玉)」とか「道治(ドジ=豚)」とかになりますが、別途に正式の名前が付けられて族譜に記載されます。 しかし女の子の場合は幼名はありますが正式の名前は付けられず、成人すると個人としての名前のない状態となって一生を過ごします。

 名前がないといっても、本当は名前があったのにその資料が残っていないだけではないか、という疑問を持つ方がおられるようです。 これについては、結婚した女性の場合は本当に個人の名前がなかったと言っていいのではないかと考えています。 その理由は次の通りです。

 植民地時代初期に朝鮮総督府は戸籍の整備を急ぎます。 この時に女性の戸籍をどうするかについて、もし女性に実名があるのなら戸籍作成時に隠す必要がありませんから届け出ると思うのですが、そういうことはありませんでした。 女性には名前がありませんから父系血縁を示す氏を使うしかありませんでした。 ですから金正寿さんの娘さんであれば「女 金氏」と記載するわけです。 このように初期の朝鮮戸籍には、女性は性別と父系血縁の氏だけで、個人の名前のないままに記載されるのが多数見つかります。 なお幼い女の子の場合、幼名を戸籍名として届け出ると受け付けられたようです。 この場合、幼名がそのまま本名となって社会生活することになります。

 以上の植民地時代の状況から推測すると、それ以前の李朝時代の女子は女の子の段階では幼名があったが、女性の段階になれば個人の名前がない状態となると推測できます。

 女性に名前のないことは近年の韓国に慣習として形を変えて残っていたようです。 文化人類学の伊藤亜人さんは1970・80年代の地方で 「村の中では、普段からテクノミニーをもっぱら使うので、奥さんたちの本名はほとんど知られていないし、契(頼母子のこと)の名簿にも本名ではなく子供の名前や夫の名で記されている場合が多い」と報告しています。

【拙稿参照】

李朝時代に女性は名前がなかったのか http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/02/29/8033782

名前を忌避する韓国の女性   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/03/10/8043916

李朝時代の婢には名前がある  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/03/19/8053165

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