李朝時代に女性は名前がなかったのか(3) ― 2016/04/01
これまで族譜(家系図のこと)において女性の名前がないことについて書いてきました。 しかし名前を公的に証明するものは戸籍ですから、戸籍上では女性の名前はどうなっているのか、気になる方もおられるかも知れませんので、これについて書きます。
李朝時代の戸籍は非常に難しく、相当勉強しなければ読めません。私も早々に諦めています。 しかし日本の朝鮮史研究者は、李朝時代の戸籍をちゃんと読んでいます。 その研究のレベルの高さは認められるべきものです。
その優れた研究者の一人である四方博さんの「李朝人口に関する身分階級別的考察」(1938年10月)では、李朝時代の戸籍における女性の名前について、次のように論じてられています。 なおこの論文は『朝鮮社会経済史研究 中』(昭和51年 国書刊行会)で再録されています。
由来朝鮮に於いては賤民の外、婦女に名無く、生家の姓のみ用うることを考証して、 されば朝鮮に於ける婦女子は社会階級制度上左の三の差別ありしものなり。 (1)両班(士夫)の婦女子は生家の姓に氏を付して称する (2)常人(農工商)の婦女子は生家の姓に召史を付して称する (3)賤人(奴隷白丁)の婦女子は姓を称するを得ず。名のみを称する(116~117頁)
身分別による女子名の記載(むしろ不記載)に、一定の、而して少なくとも戸籍吏によっては公認もしくは慣行せられたる標準の存在したるを裏書する(118頁)
要するに、李朝時代の戸籍には女性は、①両班(上流階級)は実家の姓だけ、②庶民は実家の姓に「召史」が付いているだけ、③最下層の賤民は姓はなく個人の名前だけ、であったということです。 つまり個人の名前があるのは賤民だけなのです。
これは、例えばこの家は両班か否か、この女性は賤民か否かを判定する目安になるということです。
以上の歴史を知れば、李朝時代の超有名人女性である許蘭雪軒・申師任堂の「本名」とは、戸籍にある名前ではないことが容易に推測できるでしょう。 一般常識的な意味での「本名」ではないということです。 ここはやはり「幼名」とか或いは「諡号(亡くなってから子孫が付ける名前=追号)」とかを考えるべきだと思います。
許蘭雪軒・申師任堂の「本名」とは? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/03/31/8060665
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