水野・文『在日朝鮮人』(2)―渡航証明と強制連行2016/04/11

1928年からは「渡航証明書」の制度が導入された。 日本への渡航を望む者は地元の警察署・派出所に願い出て、その証明書(戸籍謄本・抄本に警察署長などの印を捺したもの)を受け取り、釜山港で乗船する際にそれを示さなければならなかった。 ‥‥渡航証明書制度は、朝鮮人にとって日本との往来の大きな障害となるものであった。 ‥‥1945年の日本の敗戦間際までこの制度は維持された。(26~27頁)

 渡航証明制度は知っていたのですが、これが1945年まで続いていたとは知りませんでした。 これは渡日を制限する制度で、渡日を希望する朝鮮人がたくさんいた時代に、日本での滞在先や渡日目的などがはっきりしていない朝鮮人をあらかじめ防ごうとするものです。 この制度は1939年の国家総動員法に基づく労務動員(いわゆる「強制連行・強制労働」)によって無くなっていたと思い込んでいたのですが、そうではなく1945年の日本の敗戦まで続いていたのですねえ。

30年代半ば以降、渡航証明書の発給自体が抑制されたため、日本渡航を望む者が希望をかなえることが難しくなっていた。地元の警察に渡航を願い出た者のうち、6割ほどは証明書を受け取ることができなかった(51頁)

1939年(昭和14)、日本の戦争遂行を目的として朝鮮人強制連行・強制労働が始まった。(66頁)

 この本によると、一方では朝鮮からの渡日希望者を厳しく制限する制度を維持していたといいながら、他方では朝鮮から日本本土に労働力を強制動員で無理やり連れて来たといっているのですから、一体どうなっていたのでしょうか。 常識的に考えて、嫌だという人間を連れて来るより、行きたいという人間を来させるのが一番いいと思うのですが、この本によればそうではなかったということになります。

 朝鮮人の渡日希望者の半分以上を却下するぐらいに厳しく制限する渡航証明制度が1945年まで維持されていたのですから、同時に行なわれた労務動員を本人の意思に反した「強制連行・強制労働」と評価することには無理があるのではないでしょうか。

【関連拙稿】

水野直樹・文京洙『在日朝鮮人』(1)―渡日した階層 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/06/8066021

「強制連行」考      http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuuhachidai

『在日コリアンの歴史』の間違い http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daikyuujuuyondai

(続)『在日コリアンの歴史』の間違い http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daikyuujuugodai

コメント

_ (未記入) ― 2016/04/25 20:17

密航した朝鮮人たちは過酷な重労働でなく一般職を希望していましたが
日本政府の欲した炭鉱や港湾での労働力と無関係な上に、
内地に居座って資源を消費する邪魔者だったので渡航は厳しく制限されてました

それと同時に不足した炭鉱労働者を確保する為に、
一方で朝鮮人を追い返し、その一方で強制的に連行するという、
一見矛盾した制作が実施されていたという事です

参考URL
http://www.sumquick.com/tonomura/society.html

_ 辻本 ― 2016/04/26 17:22

「一見矛盾」ではなく、全くの矛盾ですね。

密航という不法行為を犯してやって来た人が、「一般職」を希望するなんて、ねえ。
しかも、彼らは日本語の会話・読み書きが不十分な人ばかりですよ。

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