関東大震災の朝鮮人虐殺 ― 2016/08/26
ちょっと古いですが、野村進『コリアン世界の旅』(講談社 1996年12月)に、関東大震災に関連して、個人名が文公協という朝鮮人から取材して、次のような証言を得ています。
あわただしく済州発・大阪行きの連絡船に乗り込んでいく群衆の中に、十七歳の文公協の姿もあった。 「東京に行ってひと月余りで震災にあいました。 ええ、関東大震災です。九月一日ですよ。十二時二分前だったですよ。 ぱっと見たら、工場がつぶれちゃった。学校に避難して、塩の握り飯一個で暮らしました」 私は、あえて尋ねました。 関東大震災時の朝鮮人虐殺に巻き込まれそうにならなかったのか、と。文は「いやいや」と大きく手を横に振ってから、思いもよらぬ話を始めた。 「支那人のやつらが、壊れた家から品物を泥棒しておったんですよ。 そこに青年団が来て、支那人をみな、殺ってしまったんです。 でも、青年団長が(朝鮮の)この人たちはいい人だからと、学校に避難させてくれました。 荒川の三河島界隈では、朝鮮人の被害が珍しく少なかったんですよ」 (221頁)
取材した年が関東大震災から70年以上も経っているのですから、証言には思い違いや錯誤があるのは仕方のないことです。 しかし少なくとも関東大震災を実際に体験した文公協という朝鮮人は、日本人から被害を受けたことは全くなかったという証言は事実のようです。 野村は大震災前後のこの地域について、さらに次のように記しています。
この関東大震災前後から、カバン作りを家内工業的に始める高内里(文公協の故郷の村)出身者が数人現れ、あとから渡ってきた同郷の青年たちを雇い入れて、カバン製造業の規模は次第に広がっていく。(221頁)
もし何千人もの朝鮮人虐殺が本当にあったのなら、朝鮮人は危険を感じますから早急に避難し、当分の間はそこに住むことはないはずです。 しかしその地域の朝鮮人たちは、大震災があってもそこを離れることなくカバン製造の家内工業を持続・発展させたのです。 しかも故郷から人を呼び寄せています。 在日朝鮮人人口が大震災後も大きく増加している統計がありますが、その統計数字は以上のような証言からしても信じることが出来ると言えるでしょう。 そしてそれは、数千人もの朝鮮人虐殺があったという「事実」に疑問を抱かせるものです。
【参考表】 関東大震災(1923年)前後の在日朝鮮人人口と増加率
樋口雄一『日本の朝鮮・韓国人』同成社 2002年6月 206頁の「付表 在日朝鮮人人口の推移」より作成
年 在日朝鮮人人口 対前年比増加率(%)
1920年 30,189
1921年 38,651 28
1922年 59,722 54
1923年 80,415 35
1924年 118,152 47
【拙稿参照】
水野・文『在日朝鮮人』(13)―関東大震災への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/07/19/8134282
関東大震災時の「在日朝鮮人虐殺者」の数 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/06/09/398058