風疹検査に反対した障害者解放運動2017/02/04

 風疹は妊娠中の女性が罹ると、障害を持つ子供が生まれる可能性がある病気です。だから女性は風疹の予防接種をすべきものです。 これについては、TBSで報道されていました。

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20170203-00000083-jnn-soci

「風疹」という病気、妊娠中の女性がかかると、赤ちゃんに影響が出る可能性がある怖い病気です。娘が両耳に障害を負って生まれた母親の思いを取材しました。           生まれつき耳が聞こえない女の子。母親には1つの後悔があります。           「自分が(予防接種を)受けてたらこうはなっていなかった。自分が後悔したからこそ知ってほしい」(母・長澤由樹さん)          母親のお手伝いをする長澤柚希ちゃん(3)。生まれつき、耳が聞こえません。原因は、母親が妊娠中にかかった風疹でした。風疹は発熱や発疹が出るウイルス性の感染症で、ほとんどの人にとっては治る病気です。ただ、妊娠中の女性が感染すると、赤ちゃんの目や耳、心臓に障害が出るおそれがあるのです。          「検査台に乗るのが怖くて。もう不安が一番ですよね。80%の確率でおなかの中で死んでしまう。生まれてきても90%は障害者ですと」(長澤由樹さん)               風疹は、日本では2012年から翌年にかけて流行し、およそ1万7000人が感染しました。この時期に生まれた45人の赤ちゃんが心臓などに障害が出て、少なくとも7人が生後5か月を前に亡くなりました。2013年に生まれた柚希ちゃんは、両耳に障害を負いました。         「注射1本で防げるので、自分もすごく後悔したし、自分がつらい思いをさせる側にもなるから、うつしたってだけで、全員が予防接種を受けてほしい」(長澤由樹さん) 

 しかし数十年前の障害者解放運動では、この風疹予防接種は障害者を否定する考え方なのだから、予防接種をしてはいけないと主張していました。

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/07/31/5260494

ある知り合いの女性が、結婚して妊娠した時、風疹の検査をしようとしました。 これを聞きつけた、障害者解放運動団体関係の人が    「その検査は子供が障害者かどうかを検査して、時には堕胎する(子供を殺す)こともある、だから障害者を差別するものだ、そんな検査をしてはいけない、障害者を産んだっていいじゃないですか」  と反対しました。

 今もそういう主張を維持しているのか知りませんが、障害者解放運動には違和感があります。

【拙稿参照】

障害者解放運動への疑問         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/07/31/5260494

被差別正義               http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/08/06/5270853

同情は差別か              http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/08/13/5284066

「朝鮮人は朝鮮に帰れ」は革新系も言っていた2017/02/10

 20年以上も前の話ですが、地方公務員の労連(共産党系とされている)の役員さん、委員長とか言っていたのを記憶していますが、何か気に入らない人に向かって「朝鮮に帰れ」と叫んだことを思い出します。    私の目の前ではっきりとした口調で言っていました。 間違いありません。

 その時、「朝鮮人は朝鮮に帰れ」は左側の人も言うのだなあと思いました。

 その役員さんは、組合の関係で北朝鮮を訪問したことがあり、北朝鮮の理解しがたい状況を言っておられましたが、その体験からなのでしょうか、気に入らない人を朝鮮人とみなして「帰れ」と叫んでいたのでした。

 或いは昔、友好関係にあった朝鮮総連が、自分たちは祖国にいずれ帰ると主張していたことを覚えておられたのかも知れません。

 「朝鮮に帰れ」は、右側だけの専売特許ではありません。

【拙稿参照】

「朝鮮人は朝鮮に帰れ」考 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuunanadai

こんなメールが来ました   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/03/12/7242809

韓国の小説の翻訳に挑戦(15)―イ・チャンウク2017/02/19

 韓国語勉強のための小説翻訳。 意味は分かっていても、日本語に訳すとなると、やはり難しいものです。 なかなか自然な日本語になりません。 これは日本語の勉強が足りないということでしょうねえ。

半分以上の春夫 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/hannbunnijyounoharuo.pdf

【これまでの小説の翻訳】

クォン・スンチャンと善良な人たち http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/kwonsunnchann.pdf

チョン・ソヒョン「昨日のこと」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/sakujitsunokoto.pdf

チョ・ヘジン「‘もの’との決別」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/monotonoketsubetsu.pdf

ソン・ボミ「散策」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/sannsaku.pdf

キム・エラン「立冬」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/rittou.pdf

ファン・ジョンウン「上流は猛禽類」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/jyouryuuhamoukinnrui.pdf

クォン・ヨソン「伯母」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/imo.pdf

申京淑「ある女」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/aruonna.pdf

申京淑 「伝説」  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dennsetsu.pdf

申京叔「今私たちの横に誰がいるのでしょうか」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/imawatashitachinoyokoni.pdf

孔枝泳 「真剣な男」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/shinnkennnaotoko.pdf

孔枝泳「存在は涙を流す」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/sonnzaihanamidawonagasu.pdf

殷熙耕 「私が暮していた家」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/watashigakurashiteitaie.pdf

殷熙耕「他の雪片と非常によく似たたった一つの雪片」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/tanosubete.pdf

北朝鮮国籍2017/02/24

 金正男暗殺事件の犯人グループについて、日本のマスコミは「北朝鮮国籍」と記してます。

 10年以上前のことでですがですが、拙論で「北朝鮮国籍の在日朝鮮人」と書いて( http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daisanjuunidai )、これに対して「北朝鮮国籍の在日朝鮮人」なるものは存在しないという批判が舞い込んだことがあります。

 確かに日本は朝鮮民主主義人共和国=北朝鮮を承認しておらず、また外国人登録でも国籍欄には「韓国」か「朝鮮」だけがあって、「北朝鮮」はありません。 従って、日本では「北朝鮮国籍」は存在しないというのは、それなりの理屈が通っています。

 これは別の例で言えば、日本は台湾を国家承認していないので、中華民国=台湾国籍はない、だから民進党の蓮舫は台湾と日本の二重国籍ではなく日本の単一国籍である、との考え方と同じです。 少なくとも日本国内では通用する論理です。 蓮舫がなぜこの考え方を主張しなかったのか、疑問ですが‥‥。  

 なお在日朝鮮人で、北朝鮮のパスポートを持っている人は立派な北朝鮮国籍人です。 国籍認定の権限を有する北朝鮮政府が認めているのですから。 なお在日への北朝鮮パスポート発給業務は、朝鮮総連が行なっています。 従って北朝鮮国籍の在日は存在します。 ただし日本政府が北朝鮮国籍を認めておらず、そのパスポートを有効なものとして取り扱っていないということです。

在日の特別永住制度 (再録)2017/02/26

 在日の特別永住制度をなくせと主張する人たちが政党を立ち上げるようです。 特別永住制度について、かなり誤解があるようなので、かつての拙論を再録します。

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   在日の特別永住制度は、在日が不当に獲得した「特権」だとして否定する人がかなりいます。これは間違いだということは、これまで何遍も繰り返してきました。

 おさらいすると、特別永住制度は複雑化し不安定化していく在日の法的処遇を安定化させたものです。

 在日の法的地位は1952年の法律126号に始まりますが、この法律は「別に法律を定めるまで」の間の臨時的なものでした。しかしこの「別の法律」が長年作られることなく、その場しのぎで過ごしてきたため、在日の法的地位は複雑化・不安定化していったのです。つまり日本側の怠慢だったのです。

 これを解決したのが1991年の「特別永住制度」です。つまり1952年に「別に法律が定めるまで」と明記していたのが、1991年になってようやく定めたのです。

 従ってこの制度は在日の要求によってできたのでなく、日本の都合に よるものなのです。126系列の在日には、特別永住資格を「自動付与」 つまり本人の意思を確認することなく、強制的に付与したのです。

 これを「特権」だとして否定する人が本ブログに投稿することがありましたが、彼らはインターネットに出てくる、自分に都合のいい情報だけをひたすら集めて信じているようです。こうなると、もはや狂信者と変わりないものです。

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/06/14/6864389

特別永住制度の経過(再録)2017/02/28

 在日の特別永住制度がどういう経緯でできたのか、そのことを知らないで、この制度に反対する主張があります。 なかには「戦後の混乱の中でできた」といかいうような、トンデモ主張する人もいます。 平成の時代にできたものが「戦後の混乱」とは、もうビックリするしかありません。 特別永住制度の経緯について、おさらいのつもりで、10年前のものですが、拙論を再録します。

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 在日は1952年の平和条約発効にともない、日本に継続して居住しながら日本国籍を離脱した人たちです。 彼らの法的処遇は126-2-6から始まります。

 この法律では「別に法律を定める」までは、在留資格・在留期限を定めることなく、日本に在留できるというものです。 これは従来通りに、自由にかつ無期限に日本に滞在できるというものです。 しかし「別の法律」を定めるべきと明記されたにも拘わらず、長年定められませんでした。

 その子供はどうするのか、この時の法に定めがなかったので、出入国管理令にある「その他」の在留資格の一つとして4-1-16-2が定められ、そのまたその子供はどうするのかとなり、4-1-16-3が定められました。 しかしこれらは「その他」ですので、あくまで特殊例外的な位置づけです。

 1965年に日韓条約が締結し、これにより在日のうちの「韓国籍」のみに協定永住が認められることになりました。 さらに協定永住者以外の在日に永住権を与えるための「特例永住許可」という制度も設けられました。 これは申請して許可を受けるものです。

 つまり在日は、その歴史的由来は同じであるにもかかわらず、126-2-6、4-1-16-2、4-1-16-3、協定永住、特例永住等々の様々な法的地位に分かれるという複雑な状況になりました。

 時代を経るとともに複雑化してきました。 そのまま放置すれば、これまでと同様にその場限りの処置を繰り返すだけになり、さらに複雑化していきます。 その最大の原因は、1952年の法律第126号に「別に法律を定める」と明記されているのに、制定してこなかったことです。 この点で、日本側の不手際を指摘しておきたいものです。

 特別永住はこのように複雑化した在日の法的地位の問題を解決するものとして定められたものです。 40年前に「別に法律を定める」とされたことが、ようやく定められたのが特別永住です。

 以上が特別永住の経過の簡単な概略です。 特別永住制度は在日の法的位置づけの問題を解決したと言っていいものです。

 ところがこのような経過で成立した特別永住ですが、「特権」「身分差別」「貴族制」というような言葉で否定する方が現れたのには驚きます。 特別永住は外国人のなかで最も恵まれた在留資格ですが、それでも日本国民という法的地位には及びません。

 特別永住制度をなくせという運動が登場していますが、余りにも非現実的なものです。 一部の在日活動家の主張に対抗しているだけの運動に止まればいいのですが、これがすべての在日に対する対抗的あるいは嫌悪的主張となっている傾向が強く、困ったものだと思います。

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/08/25/1750381