中村一成『ルポ思想としての朝鮮籍』(5)2017/06/25

 中村さんはこの本を刊行した目的を次のように書いています。

これら6人は、いずれも植民地期に帝国日本の「臣民」として生を受け、1940年代後半から50年代にかけて青年期を過ごした。それはこの日本が敗戦という「生き直し」の契機を棄て去り、米国の世界戦略に便乗しつつ、戦後補償のネグレクトに始まる「固有の利益」を実現する道を選んだ時期である。政府の暴走ではない。社会全体がその破廉恥に順応したのである。戦争法が制定され、さらなる愚行へと一直線に突き進む現在、あらためて、この時代を《他者》の眼差しを通して振り返りたい。現在の荒廃をその根から問い直すために。(まえがき ⅸ頁)

 自分の左翼的、革新的思想を主張するために、「朝鮮籍」を維持する在日朝鮮人のお年寄りから聞き書きをしてきた、ということですね。 従って極めてイデオロギー的な著作と言えます。 そのイデオロギーは、「あとがき」で次のようにまとめられています。

「戦争放棄」を唱えつつ、一方の国家殺人「死刑」を」支持、「基本的人権の尊重」を言いながら、「元国民」である在日朝鮮人がその享有主体から排除されている現状を看過する。「平和主義」を口にする一方で米国の戦争に付き従う――。これらの欺瞞を多くの日本人はそれとして認識してきたか?倫理と生活を切り離し、日常の安定を謳歌してきた結果が、数年来、吹き荒れるレイシズムであり、「戦後」という欺瞞を最悪の形で解消しようとする第二次安倍政権の誕生ではなかったか。(220頁)

本稿執筆の最中、戦後日本が拠り所とした「世界秩序」の創造主たる米国で、レイシストでセクシストの金満家が大統領に当選した。これはイスラモフォビアが蔓延する欧州の極右や、日本の差別主義者を後押しし、「市民社会」という概念を破壊していくだろう。人類の英知「人権」を取り巻く危機的状況は、新たな段階に入った。「人類の尊厳」や「自由」がいかに尊いか。なぜそこに命を賭けて闘う者がいるのか、その真の意味と重みを今後、私たちは、空虚な「お題目」ではない形で身をもって知るはずだ。およそ70年前、「平和」のありがたさを身をもって知ったように。それが「別の在りよう」を求める連帯と生き直しの出発点になるだろう。(220~221頁)

 お年寄りからのインタビューを、現在の問題に引き付けて自分のイデオロギーに沿って編集した本ということですねえ。在日朝鮮人の歴史研究においては、これを資料として使うには躊躇せざるを得ないところです。

中村一成『ルポ思想としての朝鮮籍』(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/06/09/8589790

中村一成『ルポ思想としての朝鮮籍』(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/06/13/8593507

中村一成『ルポ思想としての朝鮮籍』(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/06/16/8598422

中村一成『ルポ思想としての朝鮮籍』(4) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/06/22/8601961

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