私の国籍研究史(4)2017/08/11

 在日韓国・朝鮮人はかつての大日本帝国臣民であり、戦後の占領下では外国人でありながら日本国籍、1952年の日本独立後は126-2-6の在留資格を持つ外国人となります。 韓国・朝鮮籍はこのように複雑な過程を経ました。 台湾籍も同じような過程でしたが、実はもっと複雑です。

 第二次世界大戦では日本は中国と戦争していたことはご存じでしょう。 当時の中国は中華民国です。 そして当時の日本国内には華僑(中華民国籍)が在住していました。 敵国民が国内に居住していたことになりますが、日本は中華民国でも汪兆銘政権(傀儡政権と言われています)を承認していたので、華僑は敵国民扱いされませんでした。 そして終戦後は戦勝国である連合国の人間となりましたから、米英人等と同様の不逮捕特権を得ました。 華僑と台湾人とは法的地位が違っていたのです。 ところが中国では直後に共産党が中華民国を打倒して台湾に追放し、中華人民共和国を打ち立てました。この時に日本は台湾に追放された中華民国を承認し、中国の大半を占める中華人民共和国を不承認としましたから、台湾籍の位置付けがややこしくなります。

 1952年4月28日サンフランシスコ講和条約、同年8月5日日華条約が施行されます。 そのために4月27日以前と4月28日~8月4日、そして8月5日以降では台湾籍(中華民国籍)の位置付けが違います。 わずか三ヶ月の間に法的位置づけが違ってくるのですから、もうお手上げです。 さらに1972年の日中国交回復により台湾(中華民国)の承認を取り消しましたので、その法的地位はさらに複雑になりました。

 かなり以前になりますが、ある台湾人(中華民国籍)が日本に帰化申請したところ、実際には出生時に日本国籍であり、帰化する必要がないと判明したという記事があったのを記憶しています。 ほんのわずかの期間ですが、中華民国籍人父、日本国籍人母の子が日本国籍を取得することがあったのです。 非常に珍しい例で、法務省でもこれを理解している人は少なかったそうです。 この方は生まれて以来数十年もの間外国人として生活し、投票も出来ませんでした。

 このように台湾籍というのは余りにも複雑すぎて、私はそれ以上知ろうという意欲がなくなりましたねえ。 蓮舫の台湾籍も、最初から調べようとは思いませんでした。

私の国籍研究史(1)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/07/30/8630904

私の国籍研究史(2)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/08/03/8638755

私の国籍研究史(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/08/07/8641528