朝鮮語は容認されていた―愛国班2017/11/10

昭和18年8月1日付け「愛国班」第32号 編集発行人・森田芳夫

 この資料は、水野直樹ほか編著『図録 植民地朝鮮に生きる』(岩波書店 2012年9月)の81頁に掲載されている、「愛国班」の機関紙です。 昭和18年(1943)8月日1日付けですから、軍国主義の真っ最中です。

 愛国班とは昭和15年に結成された「国民総力朝鮮連盟」の末端組織で、日本内地で言えば「隣組」に相当するものです。 この愛国班では機関紙を発行していました。

 本文がすべてハングルばかりで、漢字がないことに注目されます。 これは当時の朝鮮人には教育の義務がなく、学校に行くか行かないかは自由でした。 ですから就学率は朝鮮人男子の場合5割程度、女子の場合1割程度でした。 学校では日本語教育が徹底されて、漢字も教えられますが、そうでなければ日本語が不自由になります。 朝鮮人の過半数は、特に女性の場合は大部分は日本語が不自由でした。

 愛国班は上述したように日本の隣組と同様の組織ですから、構成員の多くが日本語を読めません。 日常語である朝鮮語でなければ、書いたものが理解できなかったのです。

 朝鮮総督府(日本帝国主義)は日本語を禁止するのではなく、朝鮮語で戦争政策を周知徹底しようとしたということです。

 「日本は言葉を奪った」という朝鮮史の解説が見られますが、誤りです。

日本統治下朝鮮における朝鮮語放送  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/11/06/8721782