徐勝さんは二回も北朝鮮に行った2017/12/23

 かつての韓国民主化闘争時代を知っている方は「徐勝」さんと聞いて、1971年の学園浸透スパイ団事件で韓国中央情報部(KCIA)に逮捕され、過酷な拷問を受けて顔に酷い火傷を負った在日韓国人政治犯として、よく御存じでしょう。 当時の日本では徐勝さんの救援活動が盛んでした。彼は1990年に釈放されて、その後日本に戻って人権活動等を行ない、立命館大学の教授となって今に至っています。

 彼は71年の逮捕以前に北朝鮮に密航していたという事実について、知っている人は多くないようです。 彼は韓国での裁判で、北朝鮮に行ったことを認めました。 しかしスパイ容疑がでっち上げだと主張する救援活動が盛んだったせいか、北に密航したという彼の供述について、さほど注意する人はいなかったようにと思います。 私もかつては、彼が北に行ったというのはKCIAに強制的に言わされたことなのだろう、裁判でその供述を維持しているのは自分の身を守るとか、それなりの理由があるからに違いないと思い込んでいたものでした。

 最近、『朝日ジャーナル』(もう廃刊されています)という雑誌を読み返して、徐勝さんが釈放された直後にインタービューした記事が目に入りました。 ここで彼は北への密出入国をはっきりと認めていたのですねえ。 しかも二回です。 これは知らなかったので、私には新鮮な驚きでした。 私の知識不足だったということですね。

『朝日ジャーナル 1990年3月16日号』24~27頁の「本誌独占 徐勝氏が語る獄中の19年 ‘拷問に耐えかねて軽油をかぶった’」

―当局の発表では、あなたは二回、北朝鮮に行ったとなっているが。

徐: 最初は67年の夏に、二回目は70年に行きました。

―日本海岸から、北朝鮮の工作船で密出国し、工作員教育を受け、労働党の正党員になったともされています。

徐: 漁船だった。1ヶ月いたが、展示場や産業施設、動物園、映画や劇場を見てまわる、いわばお仕着せ旅行でした。 なにかの工場の設備が古いので驚いたことがある。 つい口に出したら嫌な顔をされた。労働党に入った事実はないが、拷問でやられ、そうなったんです。控訴審ではっきりと否定しました。   二回目は弟をつれていきました(朝日ジャーナル注・弟の徐俊植さん=ソウル大学に留学していて、兄より10日遅れてソウルに戻ったところを連行され、懲役15年の判決を受けた。その後、減刑され、刑期終了後も社会安全法によって獄中にいたが、88年に釈放)    弟は気が進まないようだったが、両方を見れば公平な見方ができると勧めたんです。

―そんな形で北朝鮮に行くのは、まずいと思わなかった?

徐: 韓国籍の人間が北韓を見に行くには、そういう形しかないんです。正直言ってためらいもあった半面、冒険心もありましたが、韓国籍だろうと北韓を支持する総連系だろうと、生活の場では自然と交じりあって暮らしていかざるを得ない日本で生まれ、育った私たちが、民族の問題を考えていくと、韓国も北韓も見て公平に判断したい熱望をいだくんです。

―東京教育大学時代に韓国も北朝鮮もみたあなたが、韓国に留学したのはどうしてですか。

徐: 私の父母の故郷は韓国だし、私たちが留学できるのは韓国しかなかったですからね。高校のころ憧れたのは、学者かジャーナリストか画家でした。‥‥そんな中で、この国で心ひかれた農村を研究して祖国の役にたち、自分も将来研究者として生きていくことができるのでは、と考えたのです。

―北朝鮮に行ったことがバレたら、とは思いませんでしたか。

徐: それは分からないだろうと思っていました。

―これまでずいぶんと在日韓国人の政治犯が捕まりましたが、どうしてなんでしょうか。

徐: 簡単に言えば、この国の機関からすると「お客さん」にしやすいんです。在日はこちらで生活しても兵役は免除で、大学も特別枠がある。   それだけ、この国の社会の中ではひよわなのに、日本で抑圧されていた感情をこっちに来てあからさまに吐き出すような留学生もいる。 脅されただけで、他の人を犠牲にして逃げる。 そんな一面もあるから、いろいろつけこまれるのでしょう。

―この19年間の韓国の発展ぶりは目覚ましいですが。‥‥朴政権の「先経済」政策の成果とも言えますが。

徐: 貧困からの脱出は必要なことだった。 しかし、そのための「開発独裁」で失ったものが一体どれほどあるかも考えなければ。‥‥88年の民主化宣言以降、言論の自由は確かにうまれた。それでも祖国の分断は変わらず、統一と人権の問題もなおざりにされた。スパイの烙印を押した人間を作り、国民の恐怖心を再生産させるやり口も変わっていない。

 北朝鮮に関係する部分を抜書きして紹介しました。 先ず目を引くのが二回も北朝鮮に密出国で行ったことです。 そして密出国は日本海岸から「漁船」に乗ったとあります。 この「漁船」というのが日本の漁船をチャーターしたものなのか、それとも漁船に見せかけた北朝鮮の工作船だったのか、全く分かりません。 おそらく帰りの時もこのルートで密入国したものと思われます。 

   北朝鮮に行った理由が「冒険心もありました‥‥韓国も北韓も見て公平に判断したい熱望をいだく」とあります。 しかし彼は実際に見た北朝鮮社会について、ほとんど語っていません。 「お仕着せ旅行だった‥‥なにかの工場の設備が古いので驚いた」というのが唯一です。 一方、ここでは紹介しませんでしたが、インタービューでは韓国社会の暗部について詳しく話しています。 北朝鮮は語らず、韓国は語るというのは、「韓国も北韓も見て公平に判断したい」という動機に対して、疑問を抱くところです。

 さらに法を犯してまで二回も北朝鮮に行っています。 一回目は「冒険心」と言われたら、まあそうかも知れないと思えます。 しかし二回となると、しかも弟を連れての密出入国ですから、北への感慨が深かった、或いは北と深い関係を持ったのだろうと推測できます。

 「工作員教育を受け、労働党の正党員になったともされています」という問いに対して、彼は工作員教育については答えずに、労働党入党の方を否定しました。 しかし北朝鮮での行動を全く明かしていませんので、工作員教育を受けた可能性は高いと見るべきでしょう。 また入党については、別件ですが同じ在日韓国人である金哲顕さんは1973年に北朝鮮に密入国して労働党に入党したことを明かしています。 徐勝さんは労働党入党を否定していますが、何とも言えないところです。

 北朝鮮への密出入国は、個人の力では無理であって、相当に大きな組織の支援が必要です。 そんな組織とどのようにコンタクトを取ったのか、また渡航費用はどのように支払ったのか、あるいはタダだったのか、等々に関心が行くのですが、彼は全く語っていません。

【拙稿参照】

水野・文『在日朝鮮人』(20)―南朝鮮革命に参加する在日 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/09/08/8173965

コメント

_ 辻本 ― 2017/12/28 19:08

追記 
最近の韓国で、この徐勝さんをテーマにした小説があります。
以前、私が翻訳したことがあります。

‘もの’との決別 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/monotonoketsubetsu.pdf

 この小説は、韓国の文学翻訳院の、韓国文学翻訳新人賞の課題作品になったことがありますので、ご存知の方もおられるでしょう。

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