光州事件のほうがましだった―朝日ジャーナル2018/01/15

 革新・左翼系雑誌といわれた『朝日ジャーナル』(1992年廃刊)を読み返していますと、へー! こんな記事があったんだ!と驚くものがあります。その一つを紹介します。

 『朝日ジャーナル1989年6月16日号』に、編集長の伊藤正孝が書いた「光州事件の方がましだった」という一文です。

人格とか人間性とかいわれるものが、極限状態に陥って初めてわかるように、権力者や政権の資質も、危機のなかで初めて露呈する。 しかし中国政府が韓国の全斗煥政権より残忍だとは思ってもみなかった。 四日の天安門制圧に伴う死者は二千人といわれる。 事実なら1980年の光州事件の公式犠牲者の10倍である。

中国人民解放軍の兵士一人の殺傷力は、古代の暴君を何倍も上回る。 兵士の持つカラシニコフ突撃銃は数秒間で30発の弾丸を発射できる。 一方のデモ隊は非暴力主義を貫いていた。

光州事件の方がまだ人間的だった。 第一に韓国政府は報道陣を排除して密室状態のなかで殺害を続けた。 全氏には人殺しを恥ずかしいと思う神経があったのであろう。 第二に学生側を武装しており、部分的ではあるが銃撃戦が行われた。 治安部隊の武力行使の名目は、立たないではなかった。

それにひきかえ天安門はどうだったか、私は大規模な武力行使はないと楽観していた。 その大きな理由は、天安門広場は各国の記者がつめかけていた劇場だったからだ。 衆人環視のなかで人をわが手にかけるのはむずかしい。 ところが中国政府は、獣性ぶりを世界にみられて恥じなかった。

中国共産党が五日発表した「全共産党員と全国民に告げる書」は、たくまずして党の恐るべき体質を告げている。 ‥‥‥ つまり学生たちを指導したのは少数のスパイであり、売国奴だったというわけだ。 あちこちの共産党が、同志の粛清に使った古典的名目ではないか。国を外に開いているのに、こんな釈明が通用すると思っている時代錯誤ぶり!マルクスの『共産党宣言』に誇るべき妖怪として登場した共産主義は、冷血の妖怪となった。

 天安門事件は人民軍が無抵抗の若者を弾圧して、多数を殺害しました。その数は共産党の公式発表では300人余り。共産党のことですから、この数字は信じられるものではありません。 ここでは二千人だろうとしていますが、その以上の可能性もあり、確かなことは分かりません。 なお人民軍の方に犠牲者がなかったのは確実です。

 一方の光州事件は弾圧された市民・学生が武器庫を襲撃して武装し庁舎を占拠しましたから、無抵抗ではありません。 銃撃戦となりましたので、双方から死者が多数出ました。 その数は不明者を含めて220人ほどで、この数は確実なようです。

 『朝日ジャーナル』の編集長はこの二つの事件を比べて、「光州事件のほうがましだった」と書きました。 これに対し、この雑誌の読者から多くの反発がありました。 次回はこの反発に対する編集長の回答を紹介します。

【拙稿参照】

「5・18光州事件」小考  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/10/25/8712337

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック