毎日新聞のコラムー韓国はゴールポストを動かす特性がある2018/02/03

毎日新聞 2108年2月2日付の「布施広の地球儀 韓国は嫌いですか(3)」というコラムを読んで、ちょっと感想を書きます。 https://mainichi.jp/articles/20180202/ddm/005/070/014000c

以下は個人的な感想である。     昨年の大みそか、NHKの紅白歌合戦で人気グループの「TWICE」が歌って踊るのを見てうれしくなる。愛らしい容姿もさることながら、韓国5人、日本3人、台湾1人の混成が「東アジアの協調」を思わせる。

年明け早々の1月10日、韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領が日韓の慰安婦合意(2015年)を「誤った結び目」と言うのを聞いてげんなりする。“ゴールポスト”を動かして問題を解決させない戦術の最たるものと思えてくる。

お断りしたように個人の感想だが、多分こんなふうに日本人は韓国が苦手になる。韓流のドラマも映画もK-POPも韓国料理も好きなのに、韓国人はどうも付き合いにくい、と。

 ここまでは納得できるというか常識的な内容と思います。 ただし、わざわざ「個人の感想」という文言を二回も入れているので、毎日新聞全体の意見ではない、あるいはこれに反対する同僚記者がいるということなのでしょう。

 次に筆者の知人である韓国紙記者の意見が出てきます。

だが、そこで終わっては進歩がない。メールで韓国紙「国民日報」の編集担当取締役、趙容来(チョヨンネ)さん(60)の意見を聞くと「韓日両国は互いに見たいことだけを見てきている。相手を理解しようとしない」旨の長い返信をいただいた。     慶応大の修士、博士課程で学び完璧な日本語を話す趙さんとは昨秋、ソウルでのセミナーで知り合った。韓国における知日派の代表格だろう。

日本側が韓国批判に多用する“ゴールポスト”論について、趙さんは光州事件(1980年)を例に挙げる。民主化運動を軍が弾圧し多数の犠牲者が出たこの事件で、韓国では昨年、真相究明委員会が組織された。      同種の委員会の結成は4回目。調査が足りなければ何度でも調べ直す。 “ゴールポスト”を勝手に動かすのではない。 そんな韓国人の「特性」「積極的な姿勢」が日本には納得できぬものに映るのか、と趙さんは考える。

他方、韓国人は戦後の日本が「一度も戦争に参加せず平和憲法を守り抜いてきたこと」、あるいは慰安婦問題や戦争責任について「河野談話」や「村山談話」を出したことをほめたり感心したりはしていないと言う。

 韓国がなぜ「ゴールポスト」を動かすのかの理由が述べられています。曰く、「韓国人の“特性”“積極的な姿勢”」だそうです。双方が納得して決まったことでも、自分の都合だけでひっくり返すことができる、という考え方なのですねえ。

 「同種の委員会の結成は4回目。調査が足りなければ何度でも調べ直す」とあります。歴史家が「調べ直す」というのなら分かるし当然なのですが、今の政治課題として何度も「調べ直す」というのは理解できるものではないです。

 次に筆者の考えです。

「見たいこと」ではないのだろうが、日韓の政治家たちは「そのような国民感情を適当に利用してきた」という趙さんの指摘は重要だ。代表的な例は「李明博元大統領の独島(竹島)訪問」と安倍晋三政権の改憲論議を含めた「保守化への拍車」だと彼は言う。      一口に「嫌韓」だ「反日」だと言っても、長い年月をかけて醸された日韓の愛憎の構図はそう簡単には見えてこない。趙さんの分析に基づいて、その辺をもう少し掘り下げてみよう。

 筆者は「日韓の政治家たちは『そのような国民感情を適当に利用してきた』という趙さんの指摘は重要だ」とあるように、この韓国人記者の見解に賛意を表しています。

 韓国の政治家が、国民が反対しているから自分も反対だと、「国民感情を利用」してきたのはその通りでしょう。

 しかし日本の政治家が「国民感情を利用」したと言えるかどうか。 これまでの経緯から考えて相手方と合意することに決めた、だから国民の皆様には理解願いたい、という姿勢であったように思います。 だから安倍首相は自分の支持層である保守の一部の反対を押し切って、合意をしたと思うのですがねえ。

【拙稿参照】

韓国政府の慰安婦合意に対する方針 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/01/10/8766575

慰安婦合意の検証  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/12/31/8758841

慰安婦問題の日韓合意は混乱を呼ぶか http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/01/02/7968787

やはり韓国政府には当事者能力がない―慰安婦問題 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/11/13/7906094

慰安婦問題―韓国政府には当事者能力がない http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/03/09/7586932

朝日の反「アジア女性基金」キャンペーン  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/12/28/7525901

全斗煥政権がオリンピックを誘致し成功に導いた2018/02/08

 あの血塗られた光州事件(光州民主化運動)の翌年(1981)に、韓国はオリンピック誘致に成功しました。 この時の韓国民の喜びは、ちょっとやそっとではなかったです。 この様子を、『朝日ジャーナル1981年10月16日号』 「分断国家・韓国の期待と不安」が報告しています。

52対27という大差で、ソウルが名古屋を破って、88年夏季オリンピック開催地に決まった ‥‥開催地決定のニュースは、韓国民を喜びの渦にまき込んだ。10月1日付の『東亜日報』には「韓国外交の勝利」「単一チームのための対話可能性」「奇跡を勝ちとった韓国の国力」といった喜びの見出しが並び、「世界の大合唱ソウルで会いましょう」(『ソウル新聞』)、「発展途上国の勝利」(『朝鮮日報』)、「檀君(開国の祖)以来の最大行事」(『韓国日報』)といった見出しがそれぞれの紙面を飾った。

(開催地決定前に)「せめて日本の新聞の一つだけでも、名古屋はソウルに譲れ、と書いて欲しかった」とは、韓国人記者の述懐だった

喜びの絶頂に立ったのは、全斗煥政権であろう。 全政権は、去る二月の米韓首脳会談と共同声明によって米国から公式に認知され、いままたオリンピック開催地決定によって国際的認知を得た。 しかも表決では、経済大国に倍する快勝であった。それは何にも代え難い国威発揚であり、民族意識の高揚となった。

79年12月の粛軍クーデター、80年5月の光州事件と、暗い足どりを描いた全政権にとって、ソウル五輪は、国威発揚とともに政権の足固めともなった。 7年後の五輪開催を目標に、韓国民総参加運動が展開されるであろうし、国民もまたこれに呼応するだろう。‥‥全政権はまさに順風満帆の道程に立った。

(開催地決定で)期待にあふれるソウル五輪であるが‥‥これから7年間、内外の情勢がどう動くか、予期できない事件を含めて、それは予断は許されない。 例えば、全政権の任期7年が終わるのは、五輪開催直前の88年3月である。新憲法は大統領の任期を7年1期とし、全大統領自らも、再任はせず平和的政権交代の実施を明言している。 しかし、これから足固めした全政権が続き、次第に五輪ブームが高まりをみせたとき、大統領任期直前に迫った雰囲気の中で、側近たちの動きから、五輪開催を全政権の手で、という欲望が露わになりはしないか。 ‥‥過去に重任だけを認めた朴政権が、側近の権力集団に押されて憲法を改定して三選を貫き、さらに長期政権に走った実例があった。

 『朝日ジャーナル』が心配したのは、時の全斗煥大統領が憲法通りに7年で辞めるかどうかでした。 全大領は前年の光州事件で血なまぐさい弾圧を主導した人物ですが、そんなことには関心が行かなかったことが分かります。 これはその当時の韓国民の心情もまた、そうであったからです。

 在日韓国人でも多くの人がオリンピックに引かれていました。 韓国の民主化運動に連帯する活動をしていた在日が、軍事独裁政権の元でするオリンピックはナンセンスだといくら言ってもアボジ(父親)は全く聞いてくれなかったと、こぼしていたことを思い出します。

 そして韓国の全斗煥は7年後の1988年ソウルオリンピックを、国民の熱狂的な雰囲気の中で、見事に成功させたのでした。

【拙稿参照】

オリンピック誘致で全斗煥政権を応援した日本の市民団体 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/01/30/8778939

全斗煥の功績2018/02/13

 1980年代の韓国の4分の3は、全斗煥大統領の時代でした。 彼は韓国では独裁者、虐殺者等々で呼ばれ、評判がかなり悪いです。 しかし彼が大統領の時代にソウル・オリンピックを誘致し、開催成功に導いた功績があるのですか、なかなか評価されませんね。 

 彼のもう一つの功績は外交です。全大統領の外交の功績について、意外にも『朝日ジャーナル』誌上で、朝日新聞の記者が論じていました。 朝日といえば、韓国の民主化勢力という進歩的・左翼的性向の人の側に立っていて、当然全斗煥大統領を批判しているものと思っていたのですが、そうではなく全大統領をかなり評価していたのですねえ。 朝日も1980年代は韓国に対して比較的冷静な目で見ていたんだなあ、と参考になりました。

『朝日ジャーナル 1986年3月14日号』 「第10回 新韓国地図 コスモスと鉄条網と」 朝日新聞ソウル支局長 小林慶二

1983年5月の中国民航機ハイジャック事件、同年9月1日の大韓航空機撃墜事件、同年10月9日ラングーン爆弾テロ事件と世界の注目を集める事件が続いた。 いずれも国交のない共産主義諸国との間で生じたものである。 この危機に、韓国政府が示した冷静な対応は、見事と評してもほめすぎにはならないだろう。大韓航空機事件では、怒り狂う国民をなだめて対ソ友好関係の方向を変えず、ラングーン事件では、「報復」を叫ぶ軍部の若手を抑え、結局は「南北対話」復活へとつなげている。 南北対決という厳しい環境のなかで、国益のあり方を冷静に分析した対応は、韓国の国際的地位を高めたといえよう。

対中関係改善の糸口は、ハイジャック事件というハプニングで生まれた。 1983年5月5日‥‥事件発生を知った時、私がまず感じたのは「韓国政府は厄介な荷物を抱え込んだな」ということだった。中国は義勇軍という形であれ、朝鮮戦争の参戦国で、韓中間には国交はなく、直接のパイプもない。 犯人の取り扱い、機体の返還交渉がこじれれば、韓国が望む対中関係改善の道はさらに遠のく。 台湾との関係もあり、この交渉は難航が十分予想された。

しかし、私の予想に反し、韓国政府の対応は手際の良いものだった。 この機会を対中関係改善に役立てる、との方針が決まると、まず犯人を隔離、三人の日本人乗客を解放。 中国人乗客と乗務員はソウル郊外の特急ホテル、シェラトン・ウォーカーヒルに収容し、歓待した。 中国民航の沈回総局長がソウル入りし、交渉している間も、乗客たちは観光をし、焼き肉に舌つづみを打った。 この間の費用は数千万円に達したといわれるが、ソウル観光のフィルムはその後、中国でテレビ放送をされ、韓国に対する中国国民の認識を改めるのに役立ったといわれるから、安い宣伝費だったといえる。 中国側は、この交渉ではじめて「大韓民国」という正式名称を使い、韓中関係改善の方向を示唆した。

対ソ関係は‥大韓航空機撃墜事件で、一時、最悪の状況となり、国会では与野党双方の議員から「大韓海峡(対馬海峡西水道)封鎖、ソ連船攻撃」などの強硬策が提案された。 しかし、李範錫外相(当時)は「我々の力だけで報復措置を取ることは考えていない。 我々の力量には限界がある」として強硬策を否定。‥‥韓国政府は、数日後行なわれた撃墜事件の犠牲者合同葬儀を最後に、国内の対ソ集会をいっさい、禁止し、国民の対ソ非難ムードを押さえた。

ラングーン爆弾テロ事件は‥‥南北関係を最も緊張させるものであった。 市民の中には、南北戦争再発は必至とみて、避難支度をした人もいたといわれ、多くの人が「もし大統領が殺されていたら、武力衝突は避けられなかったろう」と語っていた。 朝鮮半島がアジアの危険な発火点であることを、実際として知らされた事件であった。

この時も、政府の対応は冷静だった。 急ぎ帰国した全大統領は、部分報復や平壌爆撃、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)へのゲリラ派遣など若手将校の唱える強硬策を抑えたといわれる。 韓国軍は特別警戒態勢を取り、最前線は数ヶ月にわたり臨戦態勢を取ったといわれるが、武力衝突は避けられた。 そして、ビルマ政府から「犯人」ときめつけられ、国際的に孤立した北朝鮮は、南北対話を推進せざるを得ない立場に追い込まれたといえよう。

この4年間(1981~1985)の韓国の外交、とりわけ、「北方外交」は、次第に実を結びつつある。 大国に追随せず、国際情勢に目を配り、感情を殺して国益を追求する「自主外交」‥‥

 全大統領は1988年のソウル オリンピック開催直前に、憲法の定めにある‘7年一期、再任なし’の通りに退任しました。 韓国はこのオリンピックの成功により国威を高め、次の慮泰愚政権時代にソ連や中国といった共産圏の大国と国交を結びました。 国際的な認知を大いに高めたのですが、その一番の功績は全大統領にあったと言っていいと思います。

 全大統領は退任後、不正蓄財等を追及され、またクーデターや光州事件の責任を問われる等々で、死刑判決を受けました。 また民主化運動への弾圧などで評判が極めて悪いですが、外交面においてはもっと高く評価されてもいいのではないかと思います。

韓国では日本の存在感はない2018/02/17

 韓国の中央日報2018年2月13日付けに、韓国の対日外交姿勢を示す興味深い記事がありました。  http://japanese.joins.com/article/556/238556.html?servcode=A00&sectcode=A10

与正氏には食事接待4回、ペンス氏には1回、安倍氏は0回

北朝鮮代表団に対する食事接待は9日のレセプションを除いても4回だった。10日、青瓦台(チョンワデ、大統領府)の昼食会に続いて夕食会は趙明均(チョ・ミョンギュン)統一部長官がもてなしたほか、11日の昼食会と夕食会はそれぞれ李洛淵(イ・ナギョン)首相と任鍾皙(イム・ジョンソク)大統領秘書室長が主宰した。

 金与正さんは北朝鮮の最高指導者である兄金正恩の名代でした。韓国では二泊三日の滞在で、韓国政府の要人から四回も食事接待を受けました。 次はアメリカです。

文氏はペンス氏も2泊3日(8~10日)の間に4回会ったが、その内容には違いがある。会談および夕食会(8日午後6時30分~9時14分)、レセプション(9日午後6時39分~44分)、開会式出席(9日)、女子ショートトラック競技観覧(10日午後7時43分~8時20分)などだった。

 ペンスさんはアメリカ副大統領で、二泊三日の滞在中に韓国政府から食事接待されたのが8日の夕食会の一回だけでした。 それでは次に日本です。

4強(日米中露)首脳のうち、唯一開会式に参加した安倍氏とも円滑ではなかった。開会式とレセプションを除けば、文氏と安倍氏は9日に1時間会談したのがすべてだ。安倍氏に対する韓国政府の高位要人の食事接待もなかった。特に、会談後の青瓦台の発表で公開的な行き違いも明らかになった。

 安倍さんは一泊二日で、食事接待はありませんでした。 安倍さんは日本の最高権力者で、米中露等の主要国や北朝鮮が二番手、三番手を派遣したのとは格が違います。 それでも韓国政府の要人は一人も、安倍さんと食事を共にしようとしなかったのです。

 以上の食事接待の回数からして、文在寅政権の外交の重点がどこにあるかを如実に示しています。 要するに韓国は、日本をあまり重要とは認識していないのです。    ここから文政権はこれまで慰安婦問題や天皇訪韓希望など、対日外交に一貫性がないというか、行き当たりばったりであることが理解できます。 だから反日に徹底することもないのです。 つまりそれ程に文政権には日本は軽い存在というわけです。

 日本では嫌韓雑誌等で、韓国はどれほど反日であるかを繰り返し論じられていますが、実は韓国は日本をそれほど気に掛ける存在とは考えていないことを示しています。 逆に安倍さんなどは韓国を「重要なパートナー」とか「日米韓の強固な連携」とか言ってラブコールを送っていますが、韓国側は日本について優先順位を高くせねばならない国ではないのです。

 韓国が日本を重要視していないことは、この中央日報の記事の続きに次のように記されていることからも判明します。

青瓦台高位関係者は10日、記者団と会い、「首脳会談で安倍氏が『韓米合同軍事訓練を予定通りに進めるのが重要だ』と延べ、文氏は『内政に関する問題を安倍氏があれこれ言ってもらっては困る』と答えた」と明らかにした。記者が質問したわけでもないのに、「首脳会談に対して追加で申し上げることがある」としてこのように紹介したのだ。

反面、日本政府当局者は首脳会談ブリーフィングの際、「韓米合同軍事訓練関連の言及はあったか」という質問に「両国が北朝鮮に対する圧力を最大限まで高めようということで意見が一致した。これ以上の対話は公開できない」とだけ述べた。首脳間の対話を行った片側が、一方的に内容を公開するのは、外交慣例上あまりないことだ。外交消息筋は「マスコミの報道が先に出てきたわけでもなく、青瓦台が該当内容を自ら公開したため、日本側では安倍氏を恥さらしにしようとしたと受け止められる素地がある」と懸念した。

 安倍首相・文大統領の会談の中で出た意見の対立について、日本側は黙っていましたが、韓国側は公開したのです。 首脳会談内での対立は、普通は双方の了解なしに外部に明らかにしないものなのですが、韓国側は一方的に暴露しました。 ここからも韓国が日本をどれほど軽く見ているかを知ることが出来ます。

 従って韓国政府は対日外交の明確な方針を打ち出すこともなく、国内の反日意見が強くなればそちらになびき、日本が弱気と見ればつけ込み、日本が強気になればそれに合わせ、国際的圧力を受ければ関係改善に乗り出す‥‥と、一貫性のない外交を展開するものと、私は予想しています。 反日一辺倒にすらならないでしょう。

【拙稿参照】

韓国が天皇訪韓を望む!?-朝日インタビュー http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/09/23/8681910

慰安婦合意の検証 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/12/31/8758841

新大統領は「反日」を緩めるかも http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/03/15/8406228

『韓国はどれほど日本が嫌いか』  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/08/02/6931411

『韓国はどれほど日本が嫌いか』(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/08/04/6934273

韓国の反日外交の定番      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/01/22/7546410

慰安婦問題―韓国政府には当事者能力がない http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/03/09/7586932

やはり韓国政府には当事者能力がない―慰安婦問題 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/11/13/7906094

慰安婦問題の日韓合意は混乱を呼ぶか http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/01/02/7968787

Me Too:韓国を揺るがす著名文化人のセクハラ暴露2018/02/28

 韓国では有名な文化人・知識人が、かつてセクハラしていたという暴露が相次ぎ、ちょっとした騒ぎになっているようです。 2月22日付『朝鮮日報』の記事の一部を紹介します。

Me Too:ノーベル文学賞候補・高銀氏も告発に沈黙  「一度でもいいから責任ある態度を見せてほしい」

演劇界の大物に強制わいせつや性的暴行を受けたという1人の女性被害者の叫びが大衆へと広がっている。 強制わいせつ・性的暴行問題で非難されている著名な詩人の高銀(コ・ウン)氏(84)、舞台演出家の呉泰錫(オ・テソク)氏(77)、同・李潤沢(イ・ユンテク)氏(65)、俳優チョ・ミンギ氏(52)らが、問題発覚後に見せてきた無責任な態度と言動のためだ。 高銀氏と呉泰錫氏は今も沈黙している。 李潤沢氏は公の場で謝罪したが、「誠意のない偽りの謝罪」に対し「リハーサルまでした芝居だった」ことまで暴露され、批判が強まっている。 チョ・ミンギ氏は「明らかなデマだ。 法的対応も辞さない」と真っ向から受けて立つ姿勢を見せたが、女優ソン・ハヌルさんの実名告発で翌日、「警察の聴取に臨む」と態度を変えた。 「王」と言われるほど演劇界や演技教育の現場で絶対的権力を行使してきた著名な人物たちには、告発が相次いでも「帝王的な権威で踏みにじり、素知らぬふりをしよう」というごう慢さが見受けられ、非難の声が殺到している。

続きは http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/02/22/2018022201141.html で確認してください。

 ここでは4人の名前が挙がっていますが、私の知っている人は高銀さんの一人だけですねえ。 高さんは84歳、それ以外の方もちょっとお年を召した方ばかりです。

 聖人君子と思われていた有名文化人が、実はセクハラ常習者だったということが今になって暴露されたということなのでしょうね。 これまで泣き寝入りして我慢するしかなかった女性が声を上げてきたのです。 こういう類の暴露は、今は全世界的な傾向となっているようです。 そして韓国では、文化人・知識人たる者は道徳的にも優れていなければならないという観念がありますから、それだけに衝撃はかなり大きいようです。

 日本でも同じような著名人セクハラ事件はかなりあったと思いますが、なかなか表に出ませんね。 私自身の経験では、1970年代にある左翼リーダーについて「実はあの人、女たらしでね。次から次へと‥‥」という噂話がよく飛んでいました。 右翼の場合はお金を持っているから女を買うが、左翼はお金がないから同志の女性から顔のいいのを選んでアレをやる、英雄色を好むでリーダーはあちらも精力的、という話がまことしやかに流れていたのです。 昔はそんな時代だったなあと思い出します。 英雄ではない私には関係のない話でしたが。

 今は鳥越事件や詩織事件とかで明るみになる場合が出てきているので、少しはマシになっているのかも知れません。

 なお文化人ではありませんが、差別と闘う団体の幹部による隠れた性犯罪については、抽象的な情報ですが、拙論で以前に紹介したことがあります。 お読みいただければ幸甚。 

活動家によるレイプ事件考   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/03/07/2708813

それは泣き寝入りではなく自殺だった http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/08/19/5296007

解放運動の「強姦神話」     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/07/28/1685192

暴力にみる民族的違和感    http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuunanadai

 こういう下世話な話は右も左も関係ないですね。