金時鐘『「在日」を生きる』への疑問2018/03/01

 金時鐘さんが最近、佐高信との対談集『「在日」を生きる―ある詩人の闘争史』(集英社新書 2018年1月)を出されましたので、早速購読しました。

 金時鐘さんの名前と法的地位に関して、どのように説明されているかに関心があったからです。

 金時鐘さんは、生まれてから20歳まで使っていた本名が「金時鐘」です。 そして1949年に日本に密入国した際に入手した外国人登録の名前が「林大造」であり、以降日本ではこの名前を本名として暮らして来られました。 そして2003年に韓国にこの「林大造」という名前で本籍を設けられました。

 つまり父を金鑚國、母を金蓮春とする「金時鐘」は、今は日本でも韓国でも「林大造」という名前の人物となっているわけです。 「金時鐘」という人物は、日本にも韓国にも公的には存在しないのです。

 そして不法に入手した外国人登録名「林大造」のまま、今まで生きてこられたのですから、おそらくこの別人である「林大造」さんの在留資格を引き継いでおられるものと推定できます。 日本の当局には、「金時鐘」はペンネーム、本名は「林大造」であることで押し通しているとのことです。

 この事実を拙ブログでは下記のように指摘して疑問を呈しました。 そして今度新しく出された『「在日」を生きる』ではどのように説明されているのかに関心があって購読したわけです。 しかし読んでみて、全く触れられていませんでした。 

 名前と法的身分(日本の在留資格、韓国の本籍)への疑問と、彼の思想・主張とがどのような整合性があるのか、その辺を知りたかったのですが、残念な気分です。

金時鐘『朝鮮と日本に生きる』への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/28/7718112

金時鐘さんの法的身分(続)     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/13/7732281

金時鐘さんの法的身分(続々)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/26/7750143

金時鐘さんの法的身分(4)    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/31/7762951

金時鐘さんに関する拙ブログがYahoo, google検索から排除される http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/02/23/8792760

金時鐘さんの出生地        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/05/7700647

金芝河の告白2018/03/06

 今韓国で広がっている「Me Too」は、当初は著名文化人によるセクハラ事件でしたが、最近では文化人のみならず政治家までも告発されるようになってきています。 しかし加害者自らの告白は、なかなか出てこないようです。

 ところで1991年と30年近く前のことになりますが、韓国の著名な文化人で、自分の犯した不道徳行為を告白した人がいました。 詩人・金芝河。 近年ならばこの名前を見ても、はて一体だれ?という反応になるでしょうが、1970~80年代に韓国の民主化運動に関心を持っていた人には超有名人です。 何しろ朴正煕政権下で何度も逮捕され、二度も死刑判決が下り、国際的な救援運動が起きました。 日本でも救援活動が盛り上がったものでした。

 その彼が1991年2月の東亜日報に自らの「罪」を告白しました。 その抄訳が1991年4月12日付けの『朝日ジャーナル』に掲載されています。 その一部を紹介します。

私は泥棒である。 私は次のように私の泥棒歴を告白する。

私は『五賊』(1970年発表の詩。特権階級を痛烈に風刺し、逮捕される)のあと、結婚前に、酒場で働く一人の女性を妊娠させた。 私は狼狽し、嫌がる彼女に金を与え、むりやり堕胎させた。 そして棄てた。 その無慈悲な裏切りの記録と殺された胎児の血まみれな幻想が、ずっと私から離れない。 その後もう一回、他の飲み屋の女を妊娠させた。 彼女は私に相談もなく堕ろしてしまった。それから、もう一回、私の妻が虚弱すぎて私の承諾のもとで堕胎させたことがある。

私は生命運動(地球環境全体をひとつながりの生命体と考えて、生命の大切さや健康、環境、自立を求める運動)をやっている人間である。 それなのに生命を三度までも盗み、殺した。 私は堕胎に反対である。 なのに堕胎させた。この偽善‥‥ ああした残忍さは到底許されないだろう‥‥ 心がうずく。

   法的には犯罪ではないのかも知れませんが、生命運動を主導している彼には道徳的犯罪と言えるでしょう。 さらに彼は女性関係が多かったことを語ります。

私は有名人だ。‥名誉への執着が強く、とんでもない英雄意識があって‥ 海南(全羅南道南西部にある郡)で病気になる前は女関係が多かったが、暗く色情的で複雑だった。 傲慢放埓で冷酷でむら気で、性的妄想も激しい。 アルコールに耽溺し、ルームサロン(韓国の風俗店の一種)にも行き、酒を飲んでほっつきまわり、ときにはいかがわしい理髪店(看板は理髪店だが、実際は売春業を営む)にも出入りした。

 それほど詳しくは書かれていませんが、女性関係はかなり激しかったようです。 これは彼自身が語っているように、国際的にも有名人になったことが関係しているようです。 曰く「名誉への執着」「英雄意識」、これが女性遍歴に繋がったと言えるかも知れません。

 彼は1970年代の朴正煕ファッショ的軍事独裁政権に対し果敢に闘う民主化運動の象徴でした。 しかし彼自身は次のように告白します。

出獄後は、転向書を書いたのかと、よく尋ねられる。 はっきりさせておきたいが、私は(転向書を)書けと言われるたびに書いた。 『蜚語』(1972発表の詩)の時は、きわめて卑屈に、民青学連事件のときはきわめて堂々と、1980年の出獄の時は堂々かつ卑屈に、そして、最後の時には臆面もなく「酒を飲ませてほしい」と書いた。 そのせいか、出獄後、全斗煥政権関係者に何度も酒をおごられたし、牛肉だの、りんごだのを贈られた。 私は大物になったような気になって、しっかりもらって食べた。 これまた泥棒である。

 民青学連事件とは 1974年、全国民主青年学生総連盟関係者の多数が政府転覆を図ったとして軍法会議に起訴され、金芝河らに死刑判決が下った事件です。

 金芝河は全斗煥時代に転向したとされていましたが、実際はそれより10年も前の1970年代前半には転向していたのです。 さらに彼は、自分の経歴の虚偽を告白します。

私の略歴にはきまって「4・19革命に参加」という件がある。ところが、実際は参加していないのである。 あの日、私はデモ隊に遮断されながら丸一日かかって、引っ越しをしていた。

全国民と全世界に知られる『良心宣言』は、明らかに私の書いたものではない。故趙英来弁護士が書いたものなのである。‥‥私が書いたかのように主張し続けた私の偽善は名声を盗んだ明らかな欺瞞である。 良心宣言で良心を盗んだわけだ。名文だとほめられていい気になったりしていた

 そして彼は、最後に次のように語ります。

私はたしかに人格的に破綻した人間である。 だが、告白を通じて生まれ変わりたいし、明と暗の対極を統合させることで自己実現したいと思う。 振り返ると芝河という名前を使いだしてから私は混濁した闇に囚われて明るい光を見ることがなかった。 私は本名の金英一という素直な名前を取り戻したいと思う。 そして塵ひとつなく澄み渡っていた幼年のころへ、暖かい南の故郷へ帰りたいと思う。 私の心の奥深いところでたえず涙が流れている。 私を金英一(キム・ヨンイル)と呼んでくれ。 私はジハ(芝河=地下)から解放されたいのだ。

 「金英一」は本名で、ペンネームが「金芝河(キム・ジハ)」です。 こっちの名前が超有名です。彼は権力と果敢に闘う闘士として世に知られて、そのように演じてきました。 有名になってしまって、引っ込みがつかなくなったのでしょうか。 失礼な言い方になりますが、この告白をする以前に亡くなっていたら、軍事独裁政権との闘いのなかで非業の死をとげた若き英雄として、祭り上げられていただろうと思います。

 自らの「罪」を告白した金芝河に私は好感を持ちます。 少なくともノーベル文学賞候補だと毎年取り上げられる有名詩人(この人も韓国民主化運動の代表的存在)がかつてのセクハラを告発されて沈黙しているよりは、はるかに好感があります。

「朝鮮半島の非核化」は「北朝鮮の非核化」とは違うのでは?2018/03/08

 韓国が北朝鮮の平壌に特使を派遣して金正恩に接見し、北朝鮮が大幅に譲歩して非核化を表明したとされています。 特使が韓国に戻り、接見の結果を発表したのが↑です。 このうち、非核化を表明したのは3・4番目です。 訳してみました。

특사 방북 결과 언론발표문      特使 訪北の結果 マスコミ発表文

3. 북측은 한반도 비핵화 의지를 분명히 하였으며 북한에 대한 군사적 위협이 해소되고 북한의 체제안전이 보장된다면 핵을 보유할 이유가 없다는 점을 명백히 하였음     北側は朝鮮半島の非核化の意志を明らかにし、北朝鮮に対する軍事的脅威を解消し北朝鮮の体制安全を保障するならば、核を保有する理由がないという点を明白にした。

4. 북측은 비핵화 문제 협의 및 북미관계 정상화를 위해 미국과 허심탄회한 대화를 할 수 있다는 용의를 표명하였음      北側は非核化問題の協議および北・米関係正常のためにアメリカと虚心坦懐な対話をすることが出来る用意を表明した。

 この中で3番目の「朝鮮半島の非核化の意志」という部分を、韓国は“北朝鮮が自分の国の非核化の意志を表明した”と解釈して、北朝鮮は大幅に譲歩したと受け取ったようです。 しかしこれは違うのではないかと思います。

 北朝鮮が言っているのはあくまで「朝鮮半島の非核化」であって、韓国の非核化すなわち韓国がアメリカの核の傘にあることも含めての「非核化」を意味しているからです。 北は、我が国が核を持っているのはアメリカが韓国にいるからだ、アメリカが韓国を出て行くならば非核化を考えてもいい、だから非核化についてアメリカと話し合うが韓国とは話し合わない、と言っているのです。

 北朝鮮は統一について、これまで「自主的」を主張してきました。 自主的とは外国勢力つまりアメリカを排除することです。 統一の最大の妨害となっているのがアメリカであり、これを排除するために核兵器を開発してきました。 つまり韓米軍事同盟を解消させてアメリカを追い出し統一を成し遂げる、そのための核兵器である、というのが北朝鮮の路線です。 今回の「特使 訪北 発表文」を読めば、この北朝鮮の路線と何ら矛盾していないことが分かります。 北朝鮮は譲歩なんかしていないです。

 北朝鮮は、韓国の文在寅政権を自分の方に引き寄せることに成功したと見るべきでしょう。

 【拙稿参照】

韓中共同声明―北の核をめぐるすれ違い  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/07/04/7379560

自主的、民主的、平和的統一       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/04/22/6421457

南朝鮮解放路線はまだ第一段階      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/03/30/6762019

金正恩の発言は既定の北朝鮮の路線2018/03/12

 去る3月5日に、韓国の特使が北朝鮮を訪問して金正恩委員長に接見して、金委員長から次のような発言を受けました。

・対話が続く間は、追加の核実験や弾道ミサイルの試射など戦略的な挑発を再開しない。

・非核化問題の協議と米朝関係の正常化のため、米国と虚心坦懐に対話をすることができる。

・軍事的な脅威が解消され、体制の安全が保障された場合、核兵器を保有する理由がない。

・核兵器はもちろん、在来型兵器を韓国に向け使用しない。

・非核化の目標は先代の遺訓であり、先代の遺訓に変わりはない。

 これが、北朝鮮が譲歩をしたように報道されています。しかし北朝鮮は、従来からこのような主張をしており、何ら譲歩しておりません。 何かそれを示す資料はないかと探してみたら、金時鐘・佐高信『「在日」を生きる―ある詩人の闘争史』(集英社新書 2018年1月)の162~163頁に、次のような金時鐘さんの発言を見つけました。 金時鐘さんは北朝鮮の体制に対して批判的ですが、北の核政策には支持しておられます。  北朝鮮のこれまでの核路線を分かりやすく簡単に解説しておられますので、紹介します。

ありていに言って、こと核に問題に関する限り、北朝鮮側に道理があります。 金日成主席の生存時から、北朝鮮はアメリカに対して、朝鮮戦争の休戦協定を平和協定に締結し直そうと、ずっと提起してきました。 そうなれば北朝鮮が核を持つ理由がなくなる、とも言い続けてきました。 金日成から金正日に代わったときも同じことを言ってきたし、今の金正恩も、話し合いをするなら私たちは核の問題を考える、それはお祖父様の遺言だとも言っています。  (『「在日」を生きる―ある詩人の闘争史』162・163頁)

 この本は金時鐘さんと佐高信さんの対談集で、2ヶ月前の1月に出版されています。 対談の具体的な日にちは記されていませんが、「はじめに」の日付が「2017年11月立冬の日」となっていますので、これより以前です。 つまり5カ月以上も前のことです。 その時に金時鐘さんが、北朝鮮の核路線を代弁して要約してくれていますので便利ですね。 今度の金正恩発言とほぼ同じ内容を、5ヶ月以上も前に明らかにしていたのです。

 この北朝鮮の従来からの核路線と今回の韓国特使に対して金委員長がした発言とは、「核兵器を持つ理由がなくなる」「遺訓・遺言」等で内容的に一致していることが分かります。 つまり北朝鮮は、先代から定められた核路線を、金正恩の言い方で言い換えただけのことです。 それを譲歩したかのように受け取られて世界を驚かせたのですから、北朝鮮の完全勝利だったということです。

 これから北朝鮮は世界、具体的には米・韓・日を相手に譲歩を迫るでしょう。 北朝鮮が最初から譲歩していないことに、早く気付いてくれればいいのですが。

趙甲済、48年前の投稿―「京城」は誤り2018/03/17

 今は廃刊となっている『朝日ジャーナル』を読み返してみて、1970年11月29日号の「読者から」コーナーに↑のような投稿があるのを発見しました。 投稿者は「趙甲済」。 え! 韓国の保守系言論人として有名なあの趙甲済か?! 投稿文を紹介します。

「京城」の名称は誤り      趙甲済

私は韓国の釜山にある水産大学3年に在学中の男です。高校2年から日本語を学びましてこの数年間、朝日ジャーナルを読んでいました。その中で私は非常に残念なことを発見しました。すなわち韓国の首都「ソウル」を「京城」と表記しているのをみつけたのです。

わたしたちの長い歴史上こんな地名はありませんでした。朝鮮民族は京城という名を使用したことはたった一度もなかったのです。これは日本の帝国主義者たちが李氏朝鮮を自分の植民地にしたあと「漢城」をそのように変えたのです。

私が日本の出版物のなかで「京城」をみつけるとき私はつぎのようにおもいました。まず、日本人は意識的に、無意識的に韓国を過去の朝鮮のような日本の指導、ないしは影響を受けている国だと思っている。第二に、日本人は韓国にはほとんど関心をもっていない――首都の名前もしらないくらい。私たち韓国人は「京城」という文字をよむとき、過去のうつくしくない思い出を思い出します。私たちはあかるい未来――日本との関係において――のためにもこのような帝国主義的な残滓を駆逐すべきだと信じています。そして、おたがいに、もっと理解をふかくするように相手に対して関心をもちましょう。あなたたちは私が東京を江戸とよぶ時、どんな感じを受けるでしょうか。韓国の首都の名前は「京城」ではなく「ソウル」なのです。

それとともに、韓国にくる日本の観光客にももうしあげたいことがあります。約一ヵ月前、私は大学生にみえる日本の青年三人に質問をうけました。かれたちは日本語でソウルに運行するバスの停留場の位置をわたしにたずねました。     私はかれがどんなかんがえで私が日本語を知っているとおもったか、ぜんぜん理解できませんでした。     すこしおこった表情になって私は‘‘I cannot understand Japanese’‘と冷たくうちきってしまいました。

日本語は韓国人にとっては、もはや外国語です。四〇代以上の世代によってつかわれるのをたびたびみつけますけれども、若い韓国の世代には日本語は英語と同様に外国語の一つにすぎないことを日本のみなさまは理解すべきだとおもいます。      (大韓民国・釜山市・学生)

 趙甲済さんは現在の韓国で保守系言論人として有名で、日本でも彼の主張はよく紹介されます。 この投稿文では自分の経歴に「釜山」「水産大学」とありますし、1970年に大学3年生であったとありますから、正にご当人であることが判明します。 (1945年生まれの彼は25歳。当時の韓国の兵役は3年間だから、25歳で大学3年生は普通)

 48年も昔の彼の文章を発掘したという次第。 なお彼の投稿文で、事実に反するものが一点あります。 「朝鮮民族は京城という名を使用したことはたった一度もなかった」は、明らかな間違いです。 「京城」は古くは高麗時代から李朝時代を経て近代に至るまで、朝鮮民族が使っていた首都名の一つです。 戦後になって金達寿が出版した岩波新書『朝鮮』(1958)にも「京城」は頻繁に出てきます。 「朝鮮民族が京城という名を使用した」歴史事実は、いくらでも挙げることができます。 詳しくは、下記の拙稿をご参照ください。

「京城」は差別語ではない http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dairokujuunidai

全外教の歴史誤解と怠慢―「京城」について― http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuukyuudai

漢城、漢陽そして京城 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/hyaku11dai

「差別語」考    http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainijuuyondai

朝日の〈おことわり〉の間違い http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/09/29/1827082

朝日の歴史無知   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/10/20/1861618

 ところで、「京城」は日本が植民地化した際に造作した帝国主義的呼称だという説は、これまで梶村秀樹が『朝鮮研究102号』(1971年2月)に発表した「『京城』ということば」が始まりとされていました。 しかしそれよりも三ヶ月ほど前に、趙甲済が『朝日ジャーナル』の読者欄に投稿していたのです。 時系列に考えると、梶村は趙の投稿を読んで、間違いのまま取り込んだと考えられます。

 そしてこの梶村のデタラメ説が広まって差別用語として定着してしまい、今度はこれが差別糾弾闘争の材料となっていきました。 だからうっかり「京城」を使ってしまった人は、デタラメ説を根拠にした糾弾闘争を受けることになるのですが、大迷惑としか言いようがなかったですね。 一方のデタラメ説を信じて糾弾闘争した側は、何の反省もありません。 今もこのデタラメ説を信じているのでしょうか。

 ところで梶村は当時すでに朝鮮史研究者として名を成していました。 一方の趙は歴史学に疎い一介の学生でした。 プロの研究者が素人の床屋談義を真に受けたということになるのかも知れません。

韓国首相が皇太子に自国支持を求める2018/03/20

 韓国の聯合ニュースによれば、李洛淵首相が、日本の皇太子に会って「韓国政府の努力と朝鮮半島の変化を、日本は理解し支持してほしい」と要請したようです。

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/03/20/2018032000725.html

【ブラジリア聯合ニュース】韓国の李洛淵(イ・ナクヨン)首相は19日(現地時間)、ブラジルの首都ブラジリアでの「第8回世界水フォーラム」開会式前、日本の皇太子徳仁親王に対し、南北対話をはじめとする朝鮮半島情勢の変化への理解と支持を求めた。また、韓日関係の改善へ力添えを求めた。徳仁親王は、歴史を学ぶ人として過去を反省した上で良い関係が築かれることを願うと応じた。

李氏は世界水フォーラム開会式の会場に入る前、徳仁親王に歩み寄り、あいさつした。     李氏は、北朝鮮核問題の解決に向け、韓国政府が国際社会の北朝鮮制裁に賛同する一方で対話のルートを維持し、今の南北対話の機運を生かし核問題の平和的な解決を目指していることを説明しながら、「韓国政府の努力と朝鮮半島の変化を、日本は理解し支持してほしい」と呼び掛けた。 これまで自分なりに韓日関係の発展に努め、今後も努力し続けるとして、徳仁親王に両国関係改善への力添えを求めた。 さらに、適切な環境が整えば徳仁親王の韓国訪問を希望することも伝えた。

徳仁親王は朝鮮半島の変化に対する理解と支持の求めに、自身の立場でできることは限られているものの、できることはするという趣旨を述べながら、朝鮮半島問題の平和的な解決を願うとした。 韓国訪問の要請に対しては、両国間に良い環境ができることを願うと答えた。 韓国料理を好んでいるという話もあった。

言葉を交わしたのは開会式前の3分程度だった。 開会式終了後も、李氏は徳仁親王に「東京でなり、ソウルでなり、またお会いしたい」とあいさつした。徳仁親王も再会を願うと応じたようだ。

李氏は新聞記者時代に東京特派員を務めたことがあり、日本語が堪能だ。この日は英語と日本語を使って対話し、韓日関係に関し内密な話もあったとされる。

 韓国首相が皇太子にした話はいろいろあったようですが、「韓国政府の努力と朝鮮半島の変化を、日本は理解し支持してほしい」というのは、わざわざ括弧書きしていますので、実際に言った言葉のようです。

 これからどう展開するか分からない外交案件で、外国の政府要人が日本の皇太子に自国支持を訴えたのです。 これに対し皇太子が具体的どう答えられたのか分かりませんが、当たり障りのない話を返されたようです。 しかし、これが自国支持を得たと誤解される可能性があります。

 皇族を政治利用するのは厳に慎まなければならないのですが、韓国ではそういう考えがないようです。 天皇は謝罪しろ、というような言葉が韓国では高位の政治家からも割とよく出てきます。

 今回もその延長でしょうか。 あるいは、将来天皇になられる皇太子が言っているのだからと、日本に譲歩を求める布石なのかも知れません。

武田砂鉄の被差別正義論―毎日新聞2018/03/24

 毎日新聞の「武田砂鉄の気になるこの人」という対談コーナーがあります。 3月24日付の、映画監督ヤン・ヨンヒさんとの対談では武田さんが次のような発言をしています。    https://mainichi.jp/articles/20180324/ddm/014/040/008000c

武田 「差別はよくないが、差別される側にも良くない部分がある」といった「どっちもどっち論」がはびこっています。

 「はびこっている」という言葉から、彼は、「差別される側にもよくない部分がある」という指摘は不当であるという考え方であることが分かります。 つまり差別問題はすべて差別する側が悪いのであって、差別される側に問題はないし、あっても問題にしてはならないという考え方です。 これはいわゆる被差別正義というもので、差別者側を一方的に正さねばならないし、それが解決だということになります。

 ところが、詩人の金時鐘さんは「差別される側のエゴ、独善」を強調し、「今でも朝鮮人、特に“在日”の不幸は、日本人のしでかしたことがそのすべてだ、という言い方が常識論のまま幅をきかす関係が少なくない」として、差別する側とされる側の「両側から超える」を以前から主張しておられます。 つまり差別問題は、差別者も被差別者も一緒に努力して解決していかねばならないというものです。

被差別者である朝鮮人について、金さんは次のように言います。

こと朝鮮人の問題に関するかぎり、事実は朝鮮人の内部で、同族同士がいがみあい、反目しあい、けなし合っては籠絡し合い、背を向け合っていて、向き合ったが最後、殺し合わないとも限らない関係が、手つかずのまま放置されている。 この内実の深刻さに比べると、日本人から受ける「差別」は物の数じゃない。

ところがこの深刻さを度外視して日本人との関係だけをみるとすると、とたんに朝鮮人には分裂、亀裂はなくなってしまうんですよ。 対日本人感情は、朝鮮人おしなべて一つの感情みたいなものだからです。 そういうところで取り組まれる連帯を連帯と見るべきかどうか。差別を論じ合っていながら、ぼくはウソ寒い思いを自分自身におぼえるときがよくあります。  (以上 『朝日ジャーナル』1977年4月22日 「金時鐘氏を迎えて―野間宏・安岡章太郎の“差別”鼎談」83頁)

 そして朝鮮人や被差別部落民も含んだ「庶民」「民衆」が持つ差別意識を語ります。

民衆は過酷な条件を生きれば生きるほど、差別を楽しむ体質みたいなものがあって、自分より低い弱い者を見つける意識をいつも持っている。 (同上 84頁)

 この金時鐘さんの言葉を知ると、今回の毎日新聞に出てきた武田砂鉄さんの発言は差別問題解決からかなり後退している、という印象を持ちました。

 差別する側に問題があれば、差別される側にも問題がある、両者が歩み寄って手を携える関係を作らねばならないという金時鐘さんの考えが正解だと思います。

 そしてそんな関係を作れず、ヘイトを繰り返すような人は、もはや精神的な問題を抱えていると考えた方がいいのかなあ、と考えます。

韓国の対日感情は理解が難しい2018/03/29

 現在の韓国人が激しい反日感情と同時に親日感情を有していることは、以前に論じました。

韓国の反日感情はいつ形成された? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/10/08/8698008

韓国人のアンビバレントな感情 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/10/01/8690297

 韓国の反日感情について、日帝の過酷な植民地支配から説明するものがあれば、それより以前の倭寇や秀吉の朝鮮侵略から説明するものや朱子学の華夷秩序意識から説明するもの等々、いろいろな説明・解釈があります。 産経の黒田さんは、戦後に形成されたのではないかという説を出しています。

 今回は、このうちの華夷秩序意識に基づく反日感情についての話です。 1875年(明治8年)9月、江華島事件により日本は朝鮮に開国を迫り、朝鮮朝廷(高宗・閔妃政権)は翌年2月に日本と江華島条約を締結して開国します。 この時に華夷秩序に基づく鎖国攘夷政策を主張する儒学者たちが開国に反対する意見を高唱します。 その一人である崔益鉉は、日本と条約を結ぼうとする朝廷に抗議するために、斧を担いで宮廷におもむき、自分の意見を聞き入れないならこの斧で自分の首をはねよ、と訴えました。 その時の彼の上疏文には、次のような一節があります。(現代語訳は田中明)

すでに禽獣にひとしい西洋人と化した日本人と往来することになれば、西洋人の邪教(キリスト教)等が入り込み、必ずや我が伝統的秩序を破壊してしまうであろう。 ‥‥ 日本人が朝鮮に来たり住むようになれば、朝鮮人の財産、婦女を掠奪するであろう。 ‥‥ かつて清国が侵入したとき講和し平和が保たれたことから、いま日本と講和しても差し支えないだろうというものがいるが、清国は夷狄であるのに反し、洋賊である日本は禽獣である。夷狄は人間だから交際できるが、禽獣と交わるのは危険である。

 わが朝鮮は君子、中国(当時は清国)は夷狄、日本と西洋は禽獣という位置づけです。 日本はそれまで夷狄であったのが、西洋人と付き合うようになって禽獣と化したとしているところが興味深いです。 反日感情もこれくらい徹底してくれると、非常に分かりやすいですね。 このような朝鮮の儒教的差別意識は拙論で論じたことがありますので、参考いただければ幸い。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/03/21/7250136

 しかしそれから150年後の現在の韓国人は、一方では激しい反日感情を露わにすると同時に、他方では親日感情を見せるという態度をします。 例えば、昼間は公式の席で日本を激しく糾弾しながら夜のレセプションではニコニコしながら話しかけてくる韓国人に、日本人は戸惑います。 あるいはこの人は日本に理解がありそうだと近づき仲良くなったと思ったら、いきなりの反日言動にビックリします。 また慰安婦問題で熱心に反日言動する韓国人から日本によく旅行しますと言われると、当惑するだけです。

 150年前の崔益鉉のように日本と付き合うくらいなら殺される方がましだと、終始一貫して徹底してくれれば理解できます。 そうではなく反日から親日へ、時には親日から反日へと変身、あるいは反日と親日の同時並存という現代韓国人は理解が難しく、どう考えていいものやら、迷うことになります。

 韓国人自身がこれをどう分析しているのかを知りたいと思っているのですが、なかなか見当たりません。 おそらくは矛盾と自覚していないのではないかと思われます。 

 反日感情は、何も知らない日本人を教え諭して正してやっているのだという優越意識なのか。 あるいは反日言動をすることによって溜飲を下げたいという自己満足なのか。 それとも日本から注目されたいがための反日なのか。 ひょっとして日本を引き寄せて利益を得んがための反日なのか。 いろんな解釈ができるでしょうが、どれが正解なのでしょうかねえ。 

 韓国人の対日感情は難しいですね。

【拙稿参照】

古田博司 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/03/21/7250136

世界で唯一日本を見下す韓国人   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/10/06/8216253

日本を見下す韓国(2)         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/12/22/8285733

韓国人の対日感情           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/01/12/8317218

韓国人のアンビバレントな感情   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/10/01/8690297

韓国の反日感情はいつ形成された? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/10/08/8698008