趙甲済、48年前の投稿―「京城」は誤り2018/03/17

 今は廃刊となっている『朝日ジャーナル』を読み返してみて、1970年11月29日号の「読者から」コーナーに↑のような投稿があるのを発見しました。 投稿者は「趙甲済」。 え! 韓国の保守系言論人として有名なあの趙甲済か?! 投稿文を紹介します。

「京城」の名称は誤り      趙甲済

私は韓国の釜山にある水産大学3年に在学中の男です。高校2年から日本語を学びましてこの数年間、朝日ジャーナルを読んでいました。その中で私は非常に残念なことを発見しました。すなわち韓国の首都「ソウル」を「京城」と表記しているのをみつけたのです。

わたしたちの長い歴史上こんな地名はありませんでした。朝鮮民族は京城という名を使用したことはたった一度もなかったのです。これは日本の帝国主義者たちが李氏朝鮮を自分の植民地にしたあと「漢城」をそのように変えたのです。

私が日本の出版物のなかで「京城」をみつけるとき私はつぎのようにおもいました。まず、日本人は意識的に、無意識的に韓国を過去の朝鮮のような日本の指導、ないしは影響を受けている国だと思っている。第二に、日本人は韓国にはほとんど関心をもっていない――首都の名前もしらないくらい。私たち韓国人は「京城」という文字をよむとき、過去のうつくしくない思い出を思い出します。私たちはあかるい未来――日本との関係において――のためにもこのような帝国主義的な残滓を駆逐すべきだと信じています。そして、おたがいに、もっと理解をふかくするように相手に対して関心をもちましょう。あなたたちは私が東京を江戸とよぶ時、どんな感じを受けるでしょうか。韓国の首都の名前は「京城」ではなく「ソウル」なのです。

それとともに、韓国にくる日本の観光客にももうしあげたいことがあります。約一ヵ月前、私は大学生にみえる日本の青年三人に質問をうけました。かれたちは日本語でソウルに運行するバスの停留場の位置をわたしにたずねました。     私はかれがどんなかんがえで私が日本語を知っているとおもったか、ぜんぜん理解できませんでした。     すこしおこった表情になって私は‘‘I cannot understand Japanese’‘と冷たくうちきってしまいました。

日本語は韓国人にとっては、もはや外国語です。四〇代以上の世代によってつかわれるのをたびたびみつけますけれども、若い韓国の世代には日本語は英語と同様に外国語の一つにすぎないことを日本のみなさまは理解すべきだとおもいます。      (大韓民国・釜山市・学生)

 趙甲済さんは現在の韓国で保守系言論人として有名で、日本でも彼の主張はよく紹介されます。 この投稿文では自分の経歴に「釜山」「水産大学」とありますし、1970年に大学3年生であったとありますから、正にご当人であることが判明します。 (1945年生まれの彼は25歳。当時の韓国の兵役は3年間だから、25歳で大学3年生は普通)

 48年も昔の彼の文章を発掘したという次第。 なお彼の投稿文で、事実に反するものが一点あります。 「朝鮮民族は京城という名を使用したことはたった一度もなかった」は、明らかな間違いです。 「京城」は古くは高麗時代から李朝時代を経て近代に至るまで、朝鮮民族が使っていた首都名の一つです。 戦後になって金達寿が出版した岩波新書『朝鮮』(1958)にも「京城」は頻繁に出てきます。 「朝鮮民族が京城という名を使用した」歴史事実は、いくらでも挙げることができます。 詳しくは、下記の拙稿をご参照ください。

「京城」は差別語ではない http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dairokujuunidai

全外教の歴史誤解と怠慢―「京城」について― http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuukyuudai

漢城、漢陽そして京城 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/hyaku11dai

「差別語」考    http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainijuuyondai

朝日の〈おことわり〉の間違い http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/09/29/1827082

朝日の歴史無知   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/10/20/1861618

 ところで、「京城」は日本が植民地化した際に造作した帝国主義的呼称だという説は、これまで梶村秀樹が『朝鮮研究102号』(1971年2月)に発表した「『京城』ということば」が始まりとされていました。 しかしそれよりも三ヶ月ほど前に、趙甲済が『朝日ジャーナル』の読者欄に投稿していたのです。 時系列に考えると、梶村は趙の投稿を読んで、間違いのまま取り込んだと考えられます。

 そしてこの梶村のデタラメ説が広まって差別用語として定着してしまい、今度はこれが差別糾弾闘争の材料となっていきました。 だからうっかり「京城」を使ってしまった人は、デタラメ説を根拠にした糾弾闘争を受けることになるのですが、大迷惑としか言いようがなかったですね。 一方のデタラメ説を信じて糾弾闘争した側は、何の反省もありません。 今もこのデタラメ説を信じているのでしょうか。

 ところで梶村は当時すでに朝鮮史研究者として名を成していました。 一方の趙は歴史学に疎い一介の学生でした。 プロの研究者が素人の床屋談義を真に受けたということになるのかも知れません。

コメント

_ 辻本 ― 2018/03/20 03:22

>今もこのデタラメ説を信じているのでしょうか。

と書きましたが、大阪の人権博物館(リバティ大阪)では、今なお差別語として扱っています。

http://www.liberty.or.jp/
 最下段に次のように記されています。

>本ホームページで用いる「穢多」「かわた」「非人」「特殊部落」 「鮮人」「第三国人」「京城」「土人」「旧土人」などの用語は、 差別的な意味で使用されてきました

 「京城」が差別的な意味で使用された実例なんて、あるのでしょうかねえ。

_ 筑後太郎 ― 2018/03/20 15:17

京城という言葉が朝鮮王朝で使用された例を講演会で聞いたとことがありましたのでお知らせします。
平成27年4月25日に九州歴史資料館(福岡県小郡市)で行われた名誉館長講座「近世の朝鮮半島」において、九州大学名誉教授(考古学)の西谷正氏は、20年ほど前に発見された純祖の時代の資料「東國輿圖」の中に京城という表記があり、1910年以前にも朝鮮において使用されていた例であると指摘されました。
googleKOREAで検索したところソウル大学校奎章閣韓国学研究院に写本が保管されているようですが、残念ながらハングルが読めないため資料説明の内容がわかりません。一度当たられてはいかがでしょうか。

私も以前からなぜ京城が差別語なのか理解できませんでしたが、辻本さんのこのブログでようやく理解できました。ありがとうございます。

_ 辻本 ― 2018/03/21 09:17

 1910年以前の李朝や高麗時代に「京城」が多用されていることは、20年以上前から指摘されています。

 正史では、

『高麗史』 恭愍王7年5月辛亥条に「倭焚喬桐 京城戒厳」

『朝鮮王朝実録』 「太宗実録」14年甲午8月辛酉条に「京城三角山之神」

等々があります。 調べればいくらでも出てきます。

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