芥川賞受賞作家 李良枝(2)―日本語は宝物である2018/04/13

 次に在日の日本語論について語ります。

―全く新しいタイプの在日作家が誕生した、と評されるのは不愉快ですか。

よく「在日文学を超えた」とか言われるけれど、私は文学ジャンルのために小説を書いてはいない。

―由煕の言葉で印象的だったのは「私には日本語が教えられない」と語る場面だったんですが、これはどう受け止めたらいいのですか。

由煕にとって日本語は何だったと思いますか。

―重荷でしょうか。

宝物だったのよ。

 在日にとって「日本語は宝物である」と主張する李良枝に感心しました。 在日が使う日本語を「植民地支配の傷痕」と捉える人が大部分だった時代でしたから、朝日ジャーナルの記者が在日にとって日本語は「重荷」だと言ったのです。 それに対し李良枝は「日本語は宝物」だと言い切りました。 この「日本語は宝物」という言葉は、在日社会でもっと評価されていいでしょう。 この感覚が、在日の使う日本語をもっと豊かにしていくと思うからです。

 次に、韓国に留学する在日論です。

―あなたの『刻』に韓国留学中の在日の若者が梅干を懐かしがったり、韓国人を「原住民」「原ちゃん」と呼ぶ、と書かれている。 こういう意識はどこからくるのですか。

在日の留学生は日本に生まれ育ったその出自に自信が持てないと同時に、名分として早く韓国人らしい韓国人にならなければならないという意識を持っているの。 ところが、そう簡単に韓国人になれない実態があります。 そこに先進国から来たというおごりが重なって、劣等感を埋め合わせる。

 『刻』はこれ以前に書かれた李良枝の小説で、芥川賞候補に選ばれたことのある作品です。

 ところで韓国に留学した在日が地元の韓国人を「原住民」「原ちゃん」と呼ぶというのは、1959年末~60年代初めに北朝鮮に帰国した在日が現地の北朝鮮の人たちを「原住民」と呼んでいたという話と同じですねえ。 韓国語の不自由な在日に対し、本国人が馬鹿にすることが多いのですが、在日は言葉ができないので反論できずに言われっぱなしとなります。 そこで内輪の話として本国人を「原住民」「原ちゃん」ということになります。

 しかしこれは在日の特性というよりも、人の悪口を言って溜飲を下げようとする人間の特性といった方がいいようにも思えます。

芥川賞受賞者 李良枝 ―韓国人を美化する日本人はおかしい  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/04/08/8821395

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