尹東柱の言葉は「韓国語」か「朝鮮語」か2018/08/19

 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/08/11/8939110 のコメントで、ヌルボさんが尹東柱の詩の一節の「六畳部屋は他人の国」について、私がこの「国」は出身地のことではないかと自分の解釈を述べたことに対して、

「元の韓国語では「ナラ」で、「コヒャン」ではありません。「ナラ」を「出身地あるいは故郷」と解釈するのは無理があると考えます。

と批判されました。 批判の内容は理解できるのですが、ここで尹東柱が使った言葉を「韓国語」と記されたことに、あれ!と違和感を抱きました。 というのは言語名称の「韓国語」は解放(1945)後に使われたのであって、それまでは「朝鮮語」という言語名称のはずと思ったからです。

 つまり尹東柱が生きていた時代(1917~1945)に、朝鮮人たちが使っていた言葉を「韓国語」と称したことはなかったのではないか、ということです。 ちょっと調べてみました。

 まずは1910年の日韓併合以前は「大韓帝国」でしたから、この時代にこの国の言葉を「韓国語」と称したことがあったのではないかと思ったのですが、「韓語」というのは出てきます。 しかし管見では「韓国語」というのが見当たりません。 見当たらないというのは、根拠提示が困難ですねえ。 おそらくは「英語」を「英国語」と言わないのと同じように、「韓国語」と言わなかったのではないかと思います。

 尹東柱が生きた植民地時代は上述したように「韓国語」というものはなく、「朝鮮語」でした。 「朝鮮語学会事件」なんかが有名ですね。 当時の朝鮮人が使う言葉を「韓国語」と称したというのは出てきませんでした。 しかしこれも根拠提示が困難ですね。 なお上海臨時政府が「韓国語」と称した可能性はありますが、資料が余りに少なくてよく分からないです。

 やはり「韓国語」は、戦後(解放後)に生まれた言語名称だろうと思います。 従って植民地支配下で生きた尹東柱の使った言葉は「朝鮮語」であって、 「韓国語」とするには注釈が必要になるように思えます。

 ところで尹東柱の言葉が「『ナラ』であって、『コヒャン』ではありません」と記されました。 おそらく出身地という意味ならば「나라(ナラ)」ではなく「고향(コヒャン)」としていたはずが、そうではないじゃないかというご批判のようです。

 しかし尹東柱の作品では「고향」というハングルは使われずに、「故郷」という漢字語が使われています。 尹東柱は原則的に漢字語をハングル読みで書き表すことはなかったですから、「コヒャンではない」というご批判はちょっとずれているように感じたのですが。

 「남의 나라(ナメ ナラ ―他人の国)」の「나라(ナラ ―国)」は出身地あるいは故郷の意ではないかというのは、私の解釈です。 これは前に書きましたように、六畳一間の小さな空間を「他人の国」と書いた尹東柱は東京の下宿に馴染めず、故郷のような安息の場所ではないという意味で表現したと思えたからです。

この詩に漂う孤独感をどのように説明されるのか知りたいところです。

 この詩は上京し立教大学に入学して2ヵ月の作詩で、親しい友人が出来ずに孤独な新入生の心情を表したものと考えました。 同時期に作詞された「流れる街」にある「愛する友、朴よ!そして金よ!お前たちは今どこにいるのか?」という一節をはじめ、この時期の詩には孤独感が感じられたからです。

 その際にちょっと想像が過ぎた部分があったことは反省していますが、そういう可能性も考えられるということですね。 想像たくましくとも決して荒唐無稽ではないと思っています。

 ところで文学作品は人それぞれ様々な解釈があります。 だからそれを議論し合うことには意義があります。 しかし自分の解釈を提示せずに人に解釈を聞くというのは議論につながりませんねえ。

【拙稿参照】

尹東柱の創氏改名記事への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/07/16/8917954

尹東柱の創氏改名―ウィキペディアの間違い http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/08/11/8939110