宮田浩人『復刻 戦ふ朝鮮』 ― 2018/09/04
長年本棚に積ン読していた宮田浩人編集・解説『復刻 戦ふ朝鮮』(新幹社 2007年6月)、初めて開きました。 宮田さんは元朝日新聞記者で、「1994年に朝日新聞社を辞めるまで、30年間の新聞記者生活の大半を、在日朝鮮人差別問題にはじまる日朝・日韓関係取材で過ごした」(175頁)方で、「日朝関係史には多少自信をもっていた」(180頁)と自称しています。 確かにかつての朝鮮関係には、彼が執筆した本がかなりあります。 私も3~40年前まではよく読んでいたことを覚えています。
その彼は、同じく朝日の記者であった父が1943年の戦争中に『戦ふ朝鮮』という植民地支配礼賛の「愚劣な体制翼賛本」(176頁)を制作していたことを知って衝撃を受けました。 そして「忸怩たる思い」(175頁)「息子として慚愧に耐えない」(178頁)として、朝日ですら「マスコミという主体性を欠く付和雷同集団は、いとも簡単に自ら翼賛体制を作り出す」(176頁)という「醜悪な本」(176頁)を出版していたという事実を世に知らせるために、この本を復刻したといいます。
彼は朝鮮史についてそれなりに詳しくて専門家と言ってもいいでしょう。 しかしこの『復刻 戦ふ朝鮮』で彼が書いた解説文は間違いだらけです。 昔はこんな歴史が大手を振っていて、私も含めてみんな信じ切っていたんだなあと、感懐にふけりました。
典型例を一つだけを取り上げます。 創氏改名の解説です。
(創氏改名は)朝鮮古来の族譜に基づく姓を廃し、天皇を頂点とする家父長制の日本式姓を創る。合わせて名も日本式に改めることで、天皇への忠誠を誓う同化・皇国臣民化促進の企図だった。1939年11月に朝鮮民事令改訂として公布され、翌年8月までの届け出を義務づけた。創氏は強制で、名の改変は任意であった。
この任意部分を理由に「創氏改名は朝鮮人が望んだ」(2003年5月、自民党政調会長・麻生太郎)などと強弁・正当化する発言がいまだに絶えない。実態は、朝鮮姓を名乗ると公文書の受け付けは拒否、就職も差別、地方公署・警察競っての勧奨・脅迫と実質的強制であった。 日帝の敗北で朝鮮では皆すぐ本名に戻ったが、在日朝鮮人のあいだでは民族差別からの防御策としての通名が、傷痕として今に至るも残っている。 (以上181頁)
この文章中で正しいのは「日帝の敗北で朝鮮では皆すぐ本名に戻った」という部分ぐらいです。 一つ一つ説明していきます。
*創氏改名は「朝鮮古来の族譜に基づく姓を廃し」とありますが、姓は朝鮮戸籍の本貫欄に記載されました。 姓は廃されたのではなく残ったのでした。 従って戸籍謄抄本を取り寄せれば、朝鮮古来の姓を証明することが出来ました。
*「名も日本式に改めることで、天皇への忠誠を誓う同化・皇国臣民化促進の企図だった」としながら、その直後に「名の改変は任意であった」とあります。 これでは日本の同化・皇民化企図に乗るかどうかは、朝鮮人の任意であったとことになります。 権力の企図に添うかどうか決めるのは各個人に任せられているとは、まあ何と民主的な植民地支配だったことでしょう。 矛盾とは思わなかったのが不思議です。
*「1939年11月に朝鮮民事令改訂として公布」。 これは単純ミスですね。 「改訂」ではなく「改正」が正解です。
*「翌年8月までの届け出を義務づけた」は完全な間違いです。 創氏の届け出は義務ではなく任意でした。 創氏を届け出て日本風の名前にすることを「設定創氏」、届け出せずに従来の民族名のままにすること「法定創氏」といいます。 設定創氏の割合は8割、残りの法定創氏の割合は2割でした。 つまり2割の朝鮮人は創氏を届け出ずに民族名のまま創氏したのでした。
*「創氏は強制で、名の改変は任意であった」。 これは間違いではないのですが、誤解を生む表現です。 日本名を付ける設定創氏であれ、民族名を維持する法定創氏であれ、どちらも「創氏」です。 そして「創氏」は強制でした。 なおこれは日本名の強制ではなく、創氏の強制であることに注意が必要です。 また下の名の改変は裁判所の判決が必要となりますから、任意に改変できるものとは少し違います。
*「この任意部分を理由に『創氏改名は朝鮮人が望んだ』(2003年5月、自民党政調会長・麻生太郎)などと強弁・正当化する発言がいまだに絶えない」。 しかし麻生さんの発言は次の通りです。
当時、朝鮮の人たちが日本のパスポートをもらうと、名前のところにキンとかアンとか書いてあり、「朝鮮人だな」と言われた。仕事がしにくかった。だから名字をくれ、といったのがそもそもの始まりだ。
「(名の改変の)任意を理由に」と宮田さんは書きましたが、麻生さんはそんな理由を全く挙げていません。 こうなると捏造と言えるでしょう。
*「朝鮮姓を名乗ると公文書の受け付けは拒否」とありますが、法定創氏で朝鮮姓を維持している人ならば当然受け付けられます。 受け付け拒否はあり得ません。 なお設定創氏で日本姓が戸籍名となった人は、戸籍名でなくなった朝鮮姓では受付を拒否された可能性はあります。 例えば日本本土への渡航証明は戸籍名で申請せねばなりませんでしたから、戸籍名変更前の朝鮮姓で申請しても拒否されたでしょう。
*「就職も差別」とあります。 しかし例えば手元に1944年の朝鮮銀行職員録があるのですが、その京城本店営業部に勤める33名の朝鮮人行員のうち、閔泳台、李璣鍾、陸珍鳳、金光昇、呉栄州、金泰晋、洪国善の7名が民族名です。 果たして「(朝鮮姓を名乗ると)就職差別」されたのか、疑問になります。
*「在日朝鮮人のあいだでは民族差別からの防御策としての通名が、傷痕として今に至るも残っている」。 こういう発言をする日本人は、おそらく在日朝鮮人活動家とばかり付き合っていて、一般の在日朝鮮人とは付き合いが薄かったものと思います。 活動家が通名を「傷痕」と考えて本名を名乗ったとしても、その家族や親戚間ではほとんどが通名で呼び合っており、その活動家自身もそういう場では通名を使うものでした。 活動家が在日の子供たちに「本名を名乗れ」と迫りながらも、実家では日本名の通名を呼ばれて素直に返事する姿を実見すれば、果たして「傷痕」と言えるのか、疑問になります。