元徴用工判決「日本は法的な問題とみなしてはならない」2018/12/06

 韓国の元徴用工判決に対して日本側が「対抗措置」に言及したことに対して、韓国外交部が反発したそうです。 12月4日付け聯合ニュース。 https://jp.yna.co.kr/view/AJP20181204005100882?section=japan-relationship/index  一部を抜書きしますと、

外交部当局者は4日、記者団に対し「日本側が韓日関係を重視するのであれば、責任ある姿勢として歴史問題に対して誠意を持って臨むことを期待する」とし、「日本側が、今回の事案を法的な問題とみなし、過去に両国間にあったが不幸な歴史に起因する問題に対して目を閉じてはならない」と指摘した。

その上で、「特に日本側は今回の事案を過去の歴史問題から抜け出すための好機と考えてはならない」と強調した。

また「法的問題はともかく、根本的に韓日関係は法だけでは解決できない道徳的、歴史的背景があるにもかかわらず、日本側が法的に全て終わったことであり責任を負うことではないというふうに問題の根源を度外視する態度をみせるのは両国関係にとって決して望ましくない」と批判した。

 この中で、日本側が「法的な問題」として取り上げることに対し、韓国側が反発していることに注目されます。 日本では法に定まっていたら、それを最優先に尊重するという考え方が定着していますが、韓国ではそうではないということです。

 かつて李明博大統領が「日本人はすぐに法律を持ち出す」と日本に対する不満を表明したことがあります。 つまり法やルールに対する考え方が、日本人と韓国人とでは大きく違っているのです。 これについてはこれまで拙論で何度も論じてきましたので、ご参照ください。

 世界には法に対する考え方・価値観が違う国がたくさんあります。 韓国はそういう国の一つとして見なければならないということです。 

【拙稿参照】

法に対する思想が根本的に違う日本と韓国 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/09/11/6570566

法より情を優先する韓国社会       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/09/16/6575093

韓国の古代的法規範意識         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/10/27/1873691

韓国の法意識              http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/11/10/1900716

韓国の法意識(続)           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/11/17/2393593

朴槿恵の謝罪―親の罪は子の罪か?    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/09/25/6584335

法を軽視する韓国の民族性        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/09/01/6967936

法を守るという価値観          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/05/11/1501343

法治国家かどうか疑問の韓国       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/11/19/7496467

法治主義と儒教             http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/11/23/7500552

英雄を救うために法を変えよ―韓国    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/03/25/7597162

朴槿恵の謝罪―親の罪は子の罪か?    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/09/25/6584335

韓国の非常識判決ー対馬の盗難仏像 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/02/27/6732313

非常識がさらに非常識を呼ぶ―対馬仏像盗難事件 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/03/12/6744868

かつて朝鮮人女性には名前がなかった2018/12/13

 李朝時代の朝鮮では女性に名前なかったことについて、現代日本人にはなかなか理解が難しいようです。 犬猫でも名前があるのに‥‥、名前なしでどうやって生活できたのか‥‥という反応になりがちです。 しかしこれまでかなりの研究者がこれについて論じてきており、拙稿でも紹介してきました。 下記【拙稿参照】

 ついでにもう一つ、資料を紹介します。 尹学準『韓国両班騒動記』(亜紀書房 2000年4月)に、朝鮮人女性の名前について著者と日本の進歩系インテリ女性との会話が報告されています。

―朝鮮の場合、女性は結婚しても苗字が変わらないそうですね。

―もちろんです。日本の場合、昨日まで田中○子だったのが、結婚したとたんに亭主の苗字になる。これはいけませんね。まさに従属そのものじゃないですか。

―そうだわよね。女性蔑視の最たるものだわ。朝鮮の女性はなんとすばらしいことでしょう。うらやましいわ。

―女権獲得のために大いにがんばることですね。

この羨望のまなざしをこめて問いかけてきたのは、日本の進歩派の女性、フェミニストのリーダーの一人であった。  かくいう小生もこういう内容のことで幾度か話しかけられたことがある。 そのとき私はどう答えたか。

―いや、実は朝鮮の女には名前さえないのですよ‥‥。などと正直なことは絶対に言わない。 ただニヤニヤしてその場をごまかし、なんとか話題を逸らしたりするのだ。(以上 141頁)

私は「朝鮮の女には名前すらない」ことに対して、わが家の女どもから糾弾されただけですんだことにつくづく安堵した。 もしこのことが日本の進歩的インテリ女性―とくにフェミニストの闘士に知られたらどうなることだろうと思うと、背筋が寒くなる。 朝鮮女性にたいして向けられた羨望のまなざしが一転して侮辱のそれに変わるであろうから。 ひたすら国家、民族を愛している国粋主義者の私にとっては、これは耐えがたいことだ。(144頁)

 ちょっと面白おかしく書かれていますが、「朝鮮女性には名前がなかった」という事実は間違いないところです。

 なお奴婢等の賤民階級の女性には名前があったことは忘れないでほしいところです。 李朝時代は最下層の賤民女性には名前があり、上・中層の女性には名前がなかったのです。

 奴婢は「一賤則賤」「従母法」という法に従って、婢女から生まれた子供は奴婢であり、全て主人の両班(貴族階級に相当)の私有財産となりました。 両班にとって婢女が子供を産むと、自分の財産が増えることになるのでした。 従って両班は奴婢が自分の私有財産であることを証明するために、母親の婢女の名前が必要だったのです。 女性に名前があるということは、李朝時代では厳しい女性差別と身分差別の産物であって、人格尊重では全くありませんでした。

 「李朝時代、女性に名前はなかった」の反論に、奴婢の女性の名前を挙げることは可能ですが、果たしていかがなものなのでしょうかねえ。 上層階級の両班が王様の逆鱗に触れて処罰されて妻女が奴婢身分に落とされた場合、その妻女には名前が付されます。

 韓流ドラマの時代劇を見るとき、女性がどのように扱われているかに注意してみると、時代考証がどれほどいい加減か、興味深いですね。

【拙稿参照】

李朝時代に女性は名前がなかったのか   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/02/29/8033782

李朝時代に女性は名前がなかったのか(2)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/03/23/8055612

李朝時代に女性は名前がなかったのか(3)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/01/8061795

李朝時代の婢には名前がある       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/03/19/8053165

許蘭雪軒・申師任堂の「本名」とは?   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/03/31/8060665

李朝時代に女性は名前がなかったのか(4)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/05/04/8083000

名前を忌避する韓国の女性        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/03/10/8043916

風疹予防接種、かつて障害者解放運動が反対した2018/12/17

 毎日新聞に、妊婦に風疹予防接種を呼びかける記事が出ました。  https://mainichi.jp/articles/20181216/k00/00m/040/016000c

 30年以上前の障害者解放運動が盛んだったとき、彼らが風疹予防接種に反対していたことを思い出します。 このことは拙ブログでも書いたことがあります。   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/07/31/5260494

 これに類する主張は珍しくないようです。 2年ほど前に手話に関する講演を聞いたとき、高性能の補聴器によって聞こえるようになることに対して、手話文化が廃れるからと反対する人がいることにビックリしました。 こんな人はごく一部なのかも知れませんが、こんな主張が当事者から出てくることに驚いた次第。

 医療や科学技術の発達によって、障害を予防できたのなら、あるいは障害者の障害を取り除くことが出来たのなら、それは喜ばしいことと思うのですが、解放運動ではそれは障害者差別だとして反対してきたし、今もそれにつながる考え方があるようです。 私には理解できなかったし、今も理解できないところです。 

 ところで先程の話ですが、もし豊かな手話文化があるのなら、それは耳の聞こえない人だけの独占物にするのではなく、健常者同士のコミュニケーションにも利用を呼び掛けたらいいのに、と思います。 電車の中や図書館などでは大声で話すことは禁物ですが、ここで手話を使えば声を出さずに意思疎通ができます。 また豊かな手話文化は障害の有無を超えて楽しむことが出来るのではないか、と思うのですが。

【拙稿参照】

障害者解放運動への疑問      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/07/31/5260494

被差別正義               http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/08/06/5270853

同情は差別か              http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/08/13/5284066

かつて在日の身分事項の混乱2018/12/25

 もう古い昔の話になりますが、在日韓国・朝鮮人が自分の身分証明事項に関して、彼ら自身が混乱していたことが多々ありました。 その一例が『季刊 三千里 №24』(1980年11月)の李敬子「父の在日・私の在日」に載っていましたので紹介します。

私は長い間、父をずいぶんいいかげんな頼りにならない父親だと思ってきた。なぜかといえば、まず名前である。父は私に「敬子」という名前をつけたつもりであった。確かに届出はそう記していた。ところが、もの心ついてから私はみんなに「キョウコちゃん」と呼ばれ(もちろん父からも)、自分の名前は「京子」であると信じてきた。だから小学校に入学した時、「冠村敬子」と書かれた自分の名前を見て、これは自分の名前でないと泣いて抗議した。その結果、本名李敬子こと冠村京子という、二つの名前をもった一人の人間が存在することになった。

次に生年月日である。小学校入学当時は、たしか昭和26年(1951)4月22日生まれとなっていたと記憶している。ところが中学校に進む時に、市役所の届出は5月21日になっているから、どちらからに決めて欲しいと担任の先生に言われた。考えてみれば、私の兄姉は、みな生年月日が二転三転している。四番目のあになどは月日だけでなく年の方がずれていて、入試手続の際にアワをくってほうぼう走りまわって証明書をもらい、変更したことがある。

自分の子供の名前や生年月日さえいいかげんに届け出てしまう何と無責任な父親だろうと思ってきた。おかげで外人登録の際のイヤな思い出も一つ二つではなく、どうもいまだに市役所ときくとイヤな思い出しか持ちあわせていない。 (以上 106~107頁)

 昔の在日一世の親は、こういった人が多かったものです。 母親の大抵は読み書きが出来ませんでしたので役所への出生届なんかは父親がしたものですが、届け出内容と実生活で使うものとに齟齬が生じることがしばしばでした。 だから子供の名前や生年月日に混乱が生じるという事態が発生したのです。

 もともと朝鮮人は日帝機関である総督府が作成する戸籍を信用しない傾向が強かったです。 だから子供の出生届はかなりいい加減だったようです。 特に生年月日は都合のいい日付で届け出ることが多かったのです。 当時の朝鮮人の生年月日は、戸籍よりも族譜(家系図)の方が本当であるという話はよく出てきます。 日本人は戸籍を非常に大事にしますが、かつての朝鮮人はそうではなかったのです。

 その考え方を受け継ぐ在日一世の父母は、子供の出生届がいい加減になってしまったようです。 届け出た子供の名前や生年月日を忘れてしまうなんて、そう珍しいことではなかったのです。 だから上述の李敬子さんのような例が出てくるのです。

 さらに本国では朝鮮戦争等によって戸籍そのものが焼失したりしたこともあり、韓国政府は新たに戸籍を作成するのですが、間違いが非常に多かったといいます。 在日が本国から戸籍を取り寄せたら、名前が違う、生年月日が違う、父母の名前が違う、となることがよくありました。

 このように在日は自分の身分事項が混乱した状態でしたから、パスポート(韓国)が作れない、あるいは日本に帰化しようとしても本人確認の書類が作れないので帰化できない、とかの状況が生まれました。

 在日が帰化するのが難しいという話がありますが、実はこのように混乱した身分事項が大きな一因でした。 これを解決しようと思えば本国戸籍と日本の外国人登録を整理して内容を一致させればいいのですが、これには費用と手間と時間が相当にかかります。 在日が帰化するのにかなりのお金を使い苦労したという話は、大抵はこのことです。 在日の帰化の難しさの原因はここにあったと言ってもいいぐらいです。

 以上はかなり昔の時代のことで、今は在日三・四・五世の時代です。 戸籍整理が済んでおり、日本の外国人登録と韓国の戸籍(家族関係登録簿)とが一致することがほとんどですから、パスポートの取得も容易ですし、帰化も以前ほど難しくはありません。 在日の状況は本当によくなりましたねえ。

【拙稿参照】

水野・文『在日朝鮮人』(22)―帰化 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/11/08/8244117

帰化にまつわるデマ        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/05/31/387157

在日の帰化            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/08/18/489465

帰化と戸籍について        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/08/26/499625

「개백정」とは何か?2018/12/29

 韓国の有力紙『朝鮮日報』12月20日付を読んでいたら、犬の屠蓄業の廃業に関するニュースがありました。 インターネット版には出ておらず、紙面だけの記事のようです。 抜粋して翻訳してみます。

結局、商売を畳むモラン市場の最後の犬屠蓄業者   「城南市・動物愛護団体の圧力にこれ以上耐えることが出来なかった」

ソウル畜産のシン・スンチョル(53)代表は、京畿道城南市のモラン市場の最後に残った食用犬屠蓄業者だった。 ‥‥ 首都圏最大の犬の流通団地であるモラン市場をねらった動物保護団体の要求が続いた。

週末になると、動物保護団体が私の店の前に集まって来て「息子は国際弁護士だが、その父親は『개백정』だ」と叫ぶ。

 この「개백정」という言葉、前後からすると罵倒語であることはすぐに分かりますが、これまで聞いたことがありませんでした。 何だろうと思って調べてみました。

 「개백정」は辞書では「犬白丁 ①犬を殺して売ることを業とする人。②<罵って>不作法な人」と説明されていました。 「白丁」は日本では「穢多」に当たる言葉ですから、訳すと「犬殺しのエタ野郎」という意味なんですねえ。 凄まじい差別語・罵倒語です。

 この差別語が、動物保護団体の口から出てくることに驚いた次第です。 

【拙稿参照】

「白丁」について       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/05/03/8841899

韓国ドラマに出てくる「白丁」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/05/31/3552264

韓国映画に出てくる「白丁」  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/13/8070271

韓国の有力紙に出てくる「白丁」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/06/30/8121172

「韓国は差別がゆるい」?   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/04/28/344906

水平社と衡平社        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/03/19/1326206

「白丁」考         http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainijuunanadai

 今年の日韓関係は、レーダー照射問題で悪化したまま終わろうとしています。 来年も日韓関係は悪化一路で進みそうですね。 文在寅政権はあと3年半続きますし、アメリカのトランプ政権は日韓の仲裁に入る気がないようです。 日韓関係の悪化がどこまで行くのか、なかなか読めないところです。